街角ミュージアム(73) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「大学ミュージアム」のブログで、大阪市旧町名継承碑「西関谷町1~2」を紹介しました。その後、「関谷町」のことを調べると、いろいろ興味深い情報が出てきました。

 

《関谷町公園》

556-0004大阪市浪速区日本橋西1-9

設立時ここが関谷町(正確には西関谷町)という町名だったことに由来しています。今は関谷町という町名は消滅しているので、唯一この公園が関谷町という名称を今に伝えています。1960年代前半までは隣の関谷グランドと合わせて「空き地」という扱いでした。戦前は長屋が密集する区画だったのですが、大阪大空襲で焼け野原になり、家を失った人たちが集まってバラック小屋を建てて暮らす場所になっていったそうです。1960年代には行政の指導で小屋は姿を消していき、1960年代中頃になって公園が整備され「関谷町公園」と命名されたそうです。

中学校の校庭もすべて公園区域で、開園面積は約8,800平米となっていますが、実際は敷地の2/3くらいが校庭として仕切られて占用されており、その中に入ることはできません。いちおう校庭と公園とを行き来できる門が設けられていますが、野球のバックネットがあったりしてこの門が開かれることはなさそうです。現状公園部分についても、繁華街に近くホームレスや不法投棄を始めとする公園管理上の問題が多いという土地柄からか、高いフェンスに囲まれて昼間だけ開園する全フェンス型の公園になっています。中に入れば芝生が美しく、シンボルツリーになっているクスノキもよく育った気持ちの良い公園です。付近は都心型の大規模マンションも多く、子どもの利用のための新しい遊具も設置されています。

 

 

《NEWS》2014.5.20建設ニュースより

大阪市は「日本橋中学校」を施設一体型小中一貫校として整備する。実施設計は東急設計コンサルタントが担当する。2014年度補正予算では実施設計費として5836万円を計上した。大阪市が施設一体型小中一貫校を整備するのは今回が4校目になる。大阪市浪速区にある恵美、日東、日本橋の3小学校を統合する。校舎は既存の日本橋中学校の校舎(RC造4階建て)を改修するほか、中学校の敷地南側にある★「関谷町公園(面積約8800平方㍍)」を敷地に使って新校舎を建設する。新校舎はRC造5階建て延べ約5000平方㍍を見込む。クラス数は1学年当たり3クラスとし、9学年の計27クラスとする。所在地は大阪市浪速区日本橋西1。14年度中に実施設計を終え、15、16年度に工事し、17年4月の開校を目指している。恵美、日東、日本橋の3小学校は16年度末で閉校する予定だ。大阪市の施設一体型小中一貫校は12年度にやたなか小中一貫校(大阪市東住吉区)、14年度にむくのき学園(大阪市東淀川区)が開校、15年度には今宮中学校(大阪市西成区)が開校する予定だ。

 

★大阪市報道発表資料「関谷町公園」を廃止する。

http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/cmsfiles/contents/0000329/329610/211_02_keikaku_riyu_Sankou.pdf

 

・・・地元から反対の要望書も出されていたようです。

陳情第72号「浪速区日本橋関谷町公園廃止反対に伴う陳情書」(要望書)

http://www.city.osaka.lg.jp/templates/dantaikyogi/cmsfiles/contents/0000327/327182/youbousyo.pdf#search='%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E6%B5%AA%E9%80%9F%E5%8C%BA+%E9%96%A2%E8%B0%B7%E7%94%BA%E5%85%AC%E5%9C%92+%E5%BB%83%E6%AD%A2'

 

《参考》日本橋エリアマップ付きフリーペーパー「ぽんタブ」20号より

http://pontab.jp/

日本橋中学校を小中一貫校に再編、関谷町公園は移転へ

大阪市は、市立日本橋中学校(浪速区日本橋西1)と周辺の小学校を統合し、新たな「施設一体型小中一貫校」として再編する計画を発表した。現在の日本橋中学校に、南側で隣接する関谷町公園(約8,800㎡)を学校敷地として取り込み一体化。新校舎を建設し日本橋小学校(浪速区日本橋3)・恵美小学校(浪速区恵美須西2)の2校を移転、小中一貫校としては2017年4月の開校をめざす。統合後は1学年あたり3クラス、小・中学校の合計で27クラスの規模を想定。大阪市による市内での小中一貫校は、やたなか(東住吉区)、むくのき学園(東淀川区)、いまみや(西成区)に続く4校目となる。なお、この事業で廃止される★関谷町公園の代替には、現在更地となっている市営広田住宅跡地を公園として整備。また、公園内のグラウンドについては恵美小学校の閉校後、その跡地に再整備する。と、この件に関する情報を一通りまとめたところで気になったのが、日本橋小学校の閉校後の行方。現時点では、将来の活用計画まで踏み込んだ具体的な動きこそまだないものの、いざ閉校となれば難波から徒歩圏内の好立地でまとまった広さの貴重な土地が生まれることとなる。小学校跡地の処分といえば、難波駅近くの一等地ゆえ早々と民間に売却されたはいいものの、後になって良からぬ噂が噴出し、事実上の放置状態に陥った★精華小学校跡というわかりやすい悪例もあるだけに、同じ轍を踏まないことを願うばかりだ。

 

 

《難波御蔵・難波新川跡碑》

http://nam-come.com/welcome/comegura.html

江戸時代、このあたりには、難波御蔵とよばれた幕府の米蔵がありました。享保18年(1733)につくられたもので、寛政3年(1791)には、今の日本橋3丁目にあった天王寺御蔵(高津御蔵)を合併しました。白い塀と松並木で囲まれた、約43,000平方メートルという広大な敷地には、十数棟の建物が建ち並んでいました。その中には、3間×20間(約200平方メートル)という大きな蔵もあったといいます。難波御蔵に米を運搬するために、難波御蔵と道頓堀の間に掘られた水路が難波新川です。幅は15メートル、全長は852メートルありました。明治になって難波御蔵は廃止され、その跡は煙草工場となりました。難波新川も昭和33年(1958)頃から埋め立てられ、姿を消しました。その歴史を今に伝える「難波御蔵・難波新川」跡碑が、なんばCITYにあります。時代を経て、米蔵は大阪球場へ、そしてなんばCITY・なんばパークスへと姿を変えています。

 

・・・その近くに「蔵前町」の旧町名継承碑がありました。

 

 

・・・近くを散策していると、

 

《秩父宮同妃両殿下台臨記念碑》

556-0005大阪市浪速区日本橋5丁目16番

http://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000000912.html

昭和の初期に、全国で初めての鉄筋コンクリート造り★市営住宅(南日東・北日東・下寺)が建設されました。各戸に専用水道・水洗便所・ガス・調理台等を整備し、屋上には物干場、空地の一部は児童遊戯場、さらには屋内に2~3坪の共同作業場を有する堂々たる鉄筋3階建住宅でした。1937年(昭和12)2月17日に、秩父宮同妃両殿下がこの地へ行啓されたのを記念して、南日東住宅地内に、地元有志により記念碑が建立されました。同市営住宅の老朽化により建替事業が進められ、それを機に2000年(平成13)7月に同記念碑が現在地(日本橋住宅4・5号棟)に移設されました。

 

 

《廣田神社》

556-0004大阪市浪速区日本橋西2丁目4番/06-641-1771

http://www.nipponbashi.ne.jp/index.htm

日本橋商店会の氏神様。天照大神の荒魂「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」を祀ったのが、廣田神社の起源とされており、祭神の一人に「賢彦名命」を祀り、この神はアカエ(エイ)に乗り訪れる智恵の神様で、無病息災・痔疾をはじめ難病治癒にご利益があり、叡知の“エイ”に通じることから合格・必勝の祈願を叶えるといわれており、広く信仰されている。

 

 

http://www.nipponbashi.ne.jp/hirota.htm

《赤土稲荷大明神》

摂社の赤土稲荷大明神(赤土稲荷大神、米倉稲荷大神、楠稲荷大神)もあります。

 

・・・どちらの境内にも立派な「ザクロ」が、見事に実を結んでいました。