クールスポット(10) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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現在、西南日本の内陸で地震活動が活発化していると言われています。過去約1千年のデータによると、南海トラフの巨大地震の前50年後10年の期間には、それ以外の期間に比べて、西南日本で被害地震の数が約4倍となっています。次の南海トラフの巨大地震は、今世紀 半ばまでに起こる確率が高いと言われていますので、近畿地方でも内陸大地震の活動期に入ったと考えられます。さらに、最近、近畿地方中部、北摂・丹波山地を中心として微小地震活動の低下(静穏化)が見られています。2003年頃より、微小地震活動が約3割少なくなっている訳ですが、同様の静穏化は兵庫県南部地震の前にも見られており、現在その推移を注意深く見ています。しかしながら、既存の観測網の観測点間隔は数十km程度であり、それは内陸大地震の断層のサイズと同程度となっています。そのため、上記の静穏化の意味することや、近畿地方の断層にどのようにひずみ が集中しているかなど、内陸大地震の発生予測に直接役立つ情報を得ることは難しくなっています。幸いにして、平成18年度総長裁量経費(超多点フィールド計測システムの開発)をいただき、それをベースとして、安価で取り扱いが容易でかつ高性能の地震観測システムを開発しました。これまでの装置と違って、1万点規模の観測が可能なことから、「満点」地震観測システムと名付けています。この装置を近畿地方等に多数設置し、内陸大地震の発生予測と被害軽減に貢献したいと考えています。有馬-高槻構造線近傍の北摂山地にある阿武山観測所は、そのための重要な前線基地となります。以上のように、阿武山観測所は、発足当時から地震の観測研究において世界をリードしてきました。最近開発さ れた「満点」地震観測システムも、現時点では世界最高のオフライン地震観測システムであり、トップランナーとし て、これからも地震防災研究を支えて いきたいと考えています。


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《阿武山地震観測所サイエンスミュージアム構想》

http://www.drs.dpri.kyoto-u.ac.jp/gsp/abup_top.html

阿武山観測所は1930年に設立された地震観測所で、設立から80年間、その時代の最先端の観測機器を用いて、地震学の発展に貢献してきました。阿武山地震観測所サイエンスミュージアム構想は、震学の専門家と市民が協働しながら、よりよい地震学や減災・防災の取り組みを発信していく拠点として位置づけようとはじめられたプロジェクトです。2012年度からはボランティアサポーター制度もはじまりました。ボランティアサポーター制度とは、市民の方々に阿武山観測所にある地震観測機器について学んでいただき、実際にサイエンスミュージアムの解説員として、一般公開のお手伝いをお願いしている取り組みです。現在、15名の方々がボランティアサポーターとして活躍されています。2013年度には、第2回ボランティアサポーター養成講座を開催する予定です。ご関心のある方は、ぜひご応募ください。月に二度、一般公開(要予約)をしています。

阿武山観測所は耐震改修工事に伴い、2014年7月5日の最終見学会をもって一時休館となっていましたが、2015年7月4日(土)リニューアルオープンしました。改修工事により、西館はセミナー室やホワイエ等が、モダンな雰囲気できれいに生まれ変わりました。一方、本館はできるだけもとの内装を維持し、改修前の雰囲気を色濃く残しております。2007年に大阪府の近代化遺産に選ばれており、改修に伴い現代と近代が絶妙に融和した作りとなっておりますので、是非一度足をお運びいただけたらと思います。


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《設計:京都帝国大学営繕課「大倉三郎」》

阿武山観測所の建築様式はモダニズム建築(ドイツ表現主義)の考えを取り入れているようです。初代所長の志田順(とし)教授がドイツ★ゲッチンゲン大学に留学していました。その時の地球物理研究所をモデルにしたと言われています。建物は昭和5年に建てられました。設計は京都帝国大学営繕課の大倉三郎氏です。この方は「武田吾一」の右腕と言われた人で知名度はありませんが、なかなかの実力者でした。ギリシャ神殿を思わす丸柱。入り口の右手が本館で地下には歴代地震計が展示・保存されています。地震計の一部は動態保存されており、今でも地震波を捉えることができる「ウィーヘルト地震計」があります。階段はラセン式になっています。手すりは大理石で屋上までは歩いて行きます。エレベーターが無いのが”特徴”です。3階ベランダからは大阪平野が一望できます。180度の大パノラマです。梅田のビル群やOBP、また「あべのハルカス」も遠くに見えます。


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窓枠は珍しい様式です。「丸窓」や「隅丸窓」などあります。屋上のセメントの小屋のようなものは「暖炉の煙突」です。塔の最上部から1階床面まで30mです。塔に窓があるので階段は明るいです。階段の最上部から地階までワイヤーでおもりを吊るして「フーコーの振り子」としています。地球の自転が体験できます。本当は昔、塔の傾きを調べるためにあったようです。地階の廊下奥に「ウィーヘルト地震計」が動態保存しています。地震の記録は「スス書き」といって、白い記録紙に煤(スス)を付けてそれを地震計の針でひっかいて記録をします。


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【大倉三郎】(1900~1983)

1900年(明治33)京都市に生まれる

1923年(大正12)京都帝国大学建築学科を卒業(第1期生)、宗建築事務所に入る

1928年(昭和3)京都帝国大学営繕勤務(★武田五一の指導を受ける)

1940年(昭和15)台湾総督府技師営繕課長

1946年(昭和21)台湾行政長官公署留用、国立台湾大学工学部教授に就任

1948年(昭和23)帰国

1949年(昭和24)大阪工業大学教授

1951年(昭和26)京都工芸繊維大学教授

1955年(昭和30)工学博士

1957年(昭和32)日本建築学会賞受賞(「ゴットフリート・ゼムベーの建築論的研究」)

1960年(昭和35)京都府建築士会会長(~1973年)

1962年(昭和37)京都工芸繊維大学学長

1966年(昭和41)京都工芸繊維大学を退官

1967年(昭和42)西日本工業大学学長

1977年(昭和52)西日本工業大学を退職

1983年(昭和58)逝去


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●主な作品

萬年社京都支社(1925京都市) 宗建築事務所で担当。1999年の同社倒産後に解体

旧伊藤千太郎邸(旧近畿建築会館、旧ヒサヤ大黒堂玄武会館)(1926大阪市)現存せず

グランヴェルジュ京都七条倶楽部(旧鴻池銀行七条支店、旧若林仏具製作所)(1927京都市下京区)宗建築事務所で担当

生駒時計店(1930大阪市中央区)宗建築事務所で担当

熊本YMCA花陵会館(1931熊本市)

京都大学農学部演習林事務室(1931京都市左京区)

京都大学法学部経済学部本館(1933京都市左京区)

龍谷大学図書館(1936京都市下京区)

台湾台北第三高女(1939台北市立中山女高)