クールスポット(9) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《京都大学防災研究所「地震予知研究センター」》

611-0011京都府宇治市五ケ庄/0774-38-4640(防災研究所広報室)

http://www.rcep.dpri.kyoto-u.ac.jp/#ja

地震予知研究センターは、地震発生とその予知に関する研究を総合的に推進するために、1990年(平成2)6月、防災研究所所属の3研究部門と5観測所および理学部所属の地震予知観測地域センターと3観測所を統合・再編成し、新たに防災研究所附属施設として設置された。本研究センターは、固体地球科学を基礎とした多くの研究分野の緊密な協力によって、地震予知に関する基礎研究と技術開発を行うとともに、地震発生のメカニズムを解明し、最終的に地震予知手法を確立し、地震災害の軽減に資することを目的としている。1996年(平成8)防災研究所が全国共同利用研究所に改組されたことに伴い、本研究センターも9研究領域(内客員1)と8観測所により構成されることとなった。さらに2005年(平成17)4月第1期中期計画を確実にかつ速やかに実施するための改組に伴い、2研究領域が地震防災研究部門へ移行され、7研究領域8観測所として現在に至っている。センターの研究領域は大部門的に運営され、相互に有機的連携を保って研究が行われており、多くのプロジェクト的な研究や観測の実施に当たっては、随時研究領域の枠を越えて自由に研究チームを作り研究活動を行っている。また、共同利用的な運営を進め、地震防災部門をはじめ学内外の研究者との共同研究を推進し、地震防災関連の研究との緊密な連携をとっている。今世紀半ばまでに、南海トラフ沿いのプレート間巨大地震の発生確率がピークに達するとされている。また、それに向けて西南日本内陸部における地震活動が活発化し、大きな被害地震も増えると予測される。これら「南海トラフ沿いの巨大地震の予知」および「内陸地震の予知」の研究を一層強力に推進すると共に、研究成果の社会への効果的な普及「Outreach」を当センターにおける研究の3本柱としている。

★観測所 http://www.rcep.dpri.kyoto-u.ac.jp/observatory/#ja


じしん1


1930「阿武山観測所

569-1041高槻市奈佐原944072-694-8848

http://www1.rcep.dpri.kyoto-u.ac.jp/observatories/ABU.html

阿武山観測所は、大阪府高槻市の北方、標高281mの阿武山山頂から南へのびる尾根の突端頂部、通称「美人山」の山頂付近にあります。美人山の標高は218m、山麓を有馬-高槻断層帯に境され、隆起した北摂山地の南端に位置し、天然の展望台となっています。塔の屋上はもちろん、本館の2階以上からも、大阪平野を一望することができます。晴れた日には淡路島や関西国際空港までも遠望でき、夜となれば、眺望は地の果てまで続くような無数の光の海に変わります。六甲山からの夜景は1000万ドルと良く言われますが、阿武山はそれ以上ではないかと思います。眺望の良さは古代から有名だったようで、美人山の山頂には、★阿武山古墳が存在します。この古墳は、初代所長志田順が、地震計用のトンネルを掘削しているとき(1934年)に偶然発見したもので、石室からは漆塗りの棺に横たわった貴人(のミイラ)が現れました。志田は、埋葬物について、当時としては最新技術であるX線写真を撮っていました。しかし、「不敬」にあたるとしてその存在は内密にされ、1982年に観測所の物置の奥からX線写真が再発見されるまで歴史に埋もれていました。再発見されたX線写真の解析により、貴人が頭を横たえていた枕はガラス玉を銀の糸でつないで錦でくるんだ「玉枕」であること、衣は金糸の刺繍があったことから、貴人の身分の高さが想像され★「藤原鎌足」ではないかと言われています。1983年、文化庁により阿武山古墳として史跡指定されました。


【阿武山古墳】

http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/jidai/kofun/1327658589251.html


じしん2


阿武山観測所は、1927年の北丹後地震(マグニチュー ド7.3、犠牲者約3、000人)の発生後、地震の研究を進めるため、1930年に設立されました。原奨学金の援助を受け、地元からは約3万坪におよぶ用地を300年間の契約で借用させていただいています。建物は、斜面であることを生かし、2階建ての西館と3階建ての本館・東館を上下および左右にずらす変化を与えています。2007年(平成 19)に大阪府の近代化遺産総合調査報告書において、注目すべき近代化遺産として取り上げられており、建物を目的とする訪問者も多数います。上記の報告書によると、西館と本館をつなぐ玄関ホールは建築全体の要で、吹き抜けの内部にある2列の太い丸柱の上部は逆円錐台形になっており、モダン化されたギリシャ神殿の内部を見ているようだということです。

志田は、京都大学理学部の地球物理学講座の初代責任者でしたが、東京大学との違いを独自の観測に求め、明治から昭和初期にかけて、上賀茂地学観測所、地球物理学研究施設(別府)、阿蘇火山研究所、阿武山観測所を次々と開設し、地震学と測地学の観測と研究を積極的に展開しました。これらの観測は、当時としては大変先進的なものであり、それら観測に基づき、地球潮汐における志田数、地震波初動の四象限型押し引き分布、深発地震の存在など、1930年代としては極めて先駆的な発見が行われました(注:論文としては、和達清夫の方が早く出版された)。


じしん3


阿武山観測所では、開設と同時にウィーヘルト地震計(1トン)が設置され、その後も最新の地震計の導入や各種の地震計の試作・改良が行われ、佐々式大震計などが追加されました。世界で初めて地震波を電気変換して今日の高性能の地震観測の先鞭を付けた、ガリチン地震計も設置されました。1960年代からは、世界標準地震計網の一つとして、プレス-ユーイング型長周期地震計による観測も開始され、地球物理学の発展に貢献しました。広帯域・広ダイナミックレンジの観測体制により、世界の第一級地震観測所として評価され、観測 結果は、1952年から1996年まで、Seismological Bulletin、 ABUYAMAとして世界中の地震研究機関に配布されました。長年続けられた地震観測により、1943年鳥取地震、1944年東南海地震、1946年南海道地震、1948年福井地震等の貴重な記録が得られ、地震現象の解明に大きく貢献しました。なかでも、佐々式大震計による鳥取地震および福井地震の長周期(10秒から30秒)波形は、金森博雄博士(カリフォルニア工科大学名誉教授、平成19年度京都賞受賞)の断層モデルによる解析(1972年)に使われ、世界的に有名となりました。また、プレート境界地震の発生予測は、基本的には、アスペリティモデルと呼ばれる、「同様の地震が同じ場所で繰り返す」というモデルに基づいて行われていますが、このモデルの検証のためには、同じ場所で発生した大地震の波形の比較が極めて重要です。最近の例では、阿武山観測所に保管されていた1933年、1936年、1937年の3発の宮城県沖地震の記録は、アスペリティモデルに基づく2004年宮城県沖地震の中期的発生予測において重要な貢献を果たしました。これらの歴史的な地震計たちは、現在はその役割を終えていますが、当時の姿そのままに、本館・東館地下の観測室に展示されています。


じしん4


地震予知研究計画発足前夜の1962年には、防災研究所に、「本邦地震活動度の地理的分布調査のための観測事業」経費が交付され、阿武山観測所も分担して、観測網による微小地震観測が開始されました。その後、 1973年には、阿武山観測所に地震予知観測地域センターが併設され、1975年からは近畿北部に展開した観測網の記録を定常的にオンラインで収録する微小地震観測システムが稼働し始め、リアルタイム自動処理も行われました。国内はもとより世界で初めてのこの自動処理定常観測システムは、計算機によるオンライン自動読み取り処理結果をグラフィックディスプレイでオペレーターがマニュアル修正するなど、30年以上前としては大変先進的なものであり、データの質と量をそれ以前に比べて飛躍的に高めました。その後、これらのシステムは全国的に普及し、現在の地震観測方式の基となっています。これらのデータに基づき、計算機による微小地震の震源決定、微小地震の発震機構の解析、地震発生域の深さの変化と大地震の断層との関係や、地震発生域の応力場と強度についてなどの先駆的な研究が行われました。このシステムは、1995年兵庫県南部地震以降、防災科学技術研究所のHinetのシステムに発展し、業務的な観測として全国展開され、多数の世界的な成果を挙げています。また、1971年には、敷地内に総延長250mを越える観測坑道が設置されるのに伴い、地殻変動連続観測や地下水観測なども実施され、近畿地方における地震予知研究のための各種基礎的データが蓄積されています。地震や地殻変動観測だけでなく、1918年に理学部で開始された高温高圧実験の装置は阿武山観測所 に移設されたうえ、科研費等により高圧装置等が次々に追加され、高温高圧下での岩石の変形・破壊実験等も行われていました。1990年、理学部および防災研究所に属する地震予知関係部門が統合され、防災研究所附属地震予知研究セン ターが設立されました。1995年の地震予知研究センター研究棟竣工に伴い、阿武山観測所の主な観測装置および 人員も宇治キャンパスに移転することになり、これから近畿地方での本格的な地震観測が始まろうとしていた矢先、それに先んじて、1995年1月、兵庫県南部地震が発生しました。


じしん5


残念ながら兵庫県南部地震の発生後でしたが、上記の微小地震観測網のデータ等に基づいて、兵庫県南部地震の発生過程に関する仮説が提唱されました。実は、内陸地震がなぜ起こるのかという問題は、当時はほとんど不明だったのですが、六甲断層帯や有馬-高槻断層帯の北側の地震発生層の下に、水平に近い断層が存在し、それがゆっくりすべることにより、兵庫県南部地震の地震断層がすべりやすくなったという新しいアイデアが発表されました。この仮説は、その後、内陸地震研究において先導的な役割を果たし、近年内陸地震の発生メカニズムと発生予測の研究の進展に大きく貢献しています。