・・・「天満橋」を紹介して「天神橋」をないがしろにするわけにはいきません。
《天神橋》
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000023732.html
天神橋は1594年(文禄3)に架けられたと伝えられ、当初は橋の名はなく新橋と呼ばれていたが、天満天神社が管理することからしだいに天神橋と呼ばれるようになったという。天神橋の架設は上町台地と大坂の北部方面を結ぶという意味で大変重要であり、後に天満組となる現在の★北区の一部の発展を約束するものであった。橋が地域を結びつける上でいかに重要な役割を果たしているかは、戦争の経過を追うとよくわかる。大塩平八郎の乱の発生を知った幕府はいち早く三大橋をこわし、反乱軍をふせごうとした。
明治18年7月初めに大洪水により淀川筋の橋は次々と流されたが、その直後に鉄橋化されることになり、天神橋には、ドイツからの輸入品で長大スパン66mのボーストリングトラスが用いられた。現在の天神橋は第1次都市計画事業によって完成したもので、低い軽快なアーチが中之島の剣先の風景によくマッチし、水都大阪の代表的な景観を形造っている。主要部の形式は3連の軽快な鋼2ヒンジアーチで、両端には重厚なコンクリートのアーチを置き、全体のデザインを引き締めている。昭和62年、剣先側にらせん形のスロープが設けられると同時に美装化がなされ、遣唐使船の陶板ブロックや天満宮所蔵の天神祭絵巻を模写した絵陶板が飾られている。
《参考》天神祭 http://www.tenjinmatsuri.com/
・・・さて「天満宮」前には「朝陽会館」がありましたが、北区にはもう一つ能楽会館があります。
《朝陽会館》
530-0041大阪市北区天神橋1-17-8/06-6357-0844
《大阪能楽会館》
530-0015大阪市北区中崎西2-3-17/06-6373-1726
http://nougaku.wixsite.com/nougaku
《参考》「能楽道本座」
活動拠点「大阪能楽会館」のある中崎町の旧名★「道本町」の名に由来し、能楽の道を本道として芸道を練磨し、能楽の魅力を広い世代に伝えようと京阪神で活発な活動を続けているシテ方5人が中心となり結成しました。
・・・その大阪能楽会館前でも「旧町名継承碑」を発見しました。