病院アート(7) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・やっぱり、「平野」の病院を紹介しておかなくては、


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【緑風会病院】

547-0034大阪市平野区背戸口1-18-1306-6705-1021

http://ryokufukai.or.jp/

1973年(昭和48)10月に開院。大阪大学医学部附属病院救急医学講座(高度救命救急センター)・整形外科教室の関連病院でもある。理事長の杉本侃(大阪大学名誉教授)とそのスタッフ達は、日本最初の救命救急センターの創設者であり、2002年(平成14)7月23日にNHKの★「プロジェクトX~挑戦者たち~救命救急ER誕生」で紹介された。

最高の人気番組で初回は、平成15年7月23日に放送された。その後、何度も再放送されている。この番組の主人公は、当院理事長★杉本侃である。その若き日の姿を見ることが出来る。物語の背景になったのは、★大阪大学医学部付属病院の特殊救急部である。大学病院が、本格的に瀕死の救急患者の治療に取り組んだ最初の救命救急の物語である。特殊救急部が発足した昭和41年の大阪は、万国博の開催を4年後に控え、道路の拡張が始まり自動車が急増して、事故が多発していた。その犠牲者の発生率が全国一となり「交通戦争」と呼ばれた。しかし、重症患者を救急治療ができる病院はなく、たらい回し」が社会問題となっていた。


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大阪府は大阪大学付属病院に、24時間、重症患者を受け入れる施設の設置を要請。昭和42年8月、日本初の「特殊救急部」が誕生した。リーダーは、34歳の杉本侃。メンバーは皆20代から30代の若い医師達であった。血の海、緊迫した声が飛び交う医療の最前線。修羅場の中で、若き医師達は次第に自分の専門分野を磨いていく。そして、多発外傷」の患者が次々と運び込まれて来た。杉本以下、メンバーは総力を挙げ、消えゆく患者の命と向きあった。そして運命の一瞬。このようにして、日本初の救急医療に挑んだ若き医師達の壮絶な闘いのドラマは、展開していく。物語はすすむ。 このような重症患者の救命には、ただ同じ治療を繰り返していてはならない。患者の病態の解明と新しい治療法の開発が不可欠である。その研究の進歩と、救命救急医学の発展が、スタッフの実力の向上につながる。だが医学界で認められるのは、遅かった。ようやく5年後に、杉本は外科学会の檜舞台に立つことになる。 その成果は、外傷外科学として出版されることになった。本書はその後10年以上にわたり、日本の災害、外傷の最高の教科書となった。後に、最重症救急患者救急患者の治療を目的にした救命救急センターが日本中に設立され、それを核にした救急医療システムが構築されることになった。その端緒はこのようにして始まったのである。


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《参考》大阪大学医学部附属病院・高度救命救急センター

565-0871吹田市山田丘2-15大阪大学附属病院/06-6879-5111

http://www.osaka-u-taccc.com/index.html

当救命救急センターは、昭和42年にわが国ではじめての本格的な重症救急の専門施設である★「特殊救急部」として大阪大学医学部附属病院に開設されました。以来、大阪府の三次救急施設として、大阪のみならず日本の救急医療・医学の発展のために邁進してきました。阪大病院が吹田地区へ移転した後は、平成12年に改組されて救命救急センターとなり、さらに平成13年には高度救命救急センターの認可を受けました。これは、特殊救急部の人員・病床を大幅に増強するとともに、阪大病院各診療科、基礎医学講座、★微生物研究所など大阪大学の生命科学関連部署の総力を結集して、21世紀のわが国の救急医療・医学の発展に貢献することを目的として開設したものです。


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《参考》大阪大学微生物研究所「微研ミュージアム」

http://www.biken.osaka-u.ac.jp/

大阪大学微生物病研究所は竹尾結核研究所と大阪特殊皮膚病研究所を併せて193年(4昭和9)に設立されました。創立70周年を記念して★微研ミュージアムを設置することが計画され、2010年12月17日の開館式をもって正式に開館しました。学内者、学外者ともに平日の朝9:00~17:00まで自由に出入りできます(入場無料)。また受付で芳名帳にお名前を記入いただければ豪華なパンフレットがプレゼントされます。多くの来館者をお待ちいたしております。


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《参考》大阪新美術館

http://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000020944.html

平成10年10月、近代美術館建設用地として、★大阪大学医学部等跡地のうち、南半分8,000平米を購入。新美術館は。大阪市総合計画審議会で国際文化都市・大阪の中心的な文化ゾーンと位置づけられた中之島西部地区に計画されています。周辺には既に科学館と国立国際美術館があり、大阪新美術館はそのシンボル性を保ちながら、他の文化施設との連携により、文化的なにぎわいを創出します。

《大阪新美術館コレクション》

http://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu120/artrip/

4900点超の近・現代美術作品からなる国内屈指の「大阪新美術館コレクション」を紹介。主な所蔵作品の一覧も一部画像付きで公開。大阪の新しい美術館は、2021(平成33)年度の開館をめざしています。美術館用地のある中之島は、古くから大阪の経済の中心地であり、現在も文化施設や集客施設が多く立地しております。今後、新しい美術館を中心として中之島を文化芸術のまちにすることで、大阪のまちの魅力をさらに高めていきます。

 

・・・「大阪府立急性期総合医療センター」に「大阪新美術館コレクション」が貸し出されていましたが、新美術館の開館こそが待ち遠しいものです。