病院アート(6) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「聖バルナバ病院」からすぐ近くに、

 

【大阪赤十字病院】

543-8555大阪市天王寺区筆ヶ崎町5-30/06-6774-5111

http://www.osaka-med.jrc.or.jp/index.html

日本赤十字社は、世界190の国と地域にある赤十字・赤新月社のひとつとして、日本赤十字社法という法律に基づいて設立された法人です。1877年(明治10)創立された「博愛社」を前身とし、日本政府がジュネーブ条約に加入したことに伴い、1887年(明治20)日本赤十字社と改称しました。東京に本社を置き、全国47都道府県にある支部、病・産院、血液センター、社会福祉施設などを拠点に、国内外の災害救護、医療、血液、社会福祉などの事業、救急法の普及、青少年赤十字、ボランティア活動など、幅広い分野で活動しています。


せきじ1


大阪赤十字病院は日本赤十字社大阪支部病院として、博愛の精神に基づいて一般診療及び救療事業を目的とし、併せて優秀な看護婦の養成をするため1909年(明治42)創立されました。第二次世界大戦後に連合軍総司令部 (GHQ)に接収された後、1946年(昭和21)1月に大阪市天王寺区の市立生魂国民学校(現: 市立生魂小学校)講堂に、1947年(昭和22)2月に東区(現: 中央区)法円坂の元22部隊跡に移転し、1956年(昭和31)4月に天王寺区筆ヶ崎町に復帰しました。

《参考》筆ヶ崎地区

http://www.city.osaka.lg.jp/toshikeikaku/page/0000005057.html

歴史のあった旧病棟は建築的にも大変貴重なものでしたが、「聖バルナバ病院」と同様に建替えられました。跡地の半分は「桃坂コンフォガーデン」として住宅整備されています。


せきじ2


http://www.ur-net.go.jp/west/toshisaisei/uemachi/pro_gaiyou.html

●大阪赤十字病院新病棟建設

平成13年6月工事着工、平成16年1月新本館が竣工。設計:安井建築設計事務所、施工:大林組。

●桃山市民病院跡地(OSAKAフォレストスクエア)

健康関連施設…平成16年11月(第1期)・平成19年4月(第2期)にオープン。

●府営筆ヶ崎住宅

・建替・・・平成20年3月完了

・建替に伴う余剰地での民間分譲マンションの建設・・・平成20年5月竣工

●聖バルナバ病院

・建替・・・平成17年11月完了

・建替に伴う余剰地での民間分譲マンションの建設・・・平成21年1月竣工

●道路・歩道の整備

赤十字病院南線及び桃山病院前筋線の道路拡幅、歩道機能の整備


せきじ3


《参考1》日本赤十字社・大阪府支部

540-0008大阪市中央区大手前2-1-7/06-6943-0705

http://www.osaka.jrc.or.jp/

日本赤十字社大阪府支部は、1887年(明治20)に設置されて以来、大阪府民の皆様の温かいご支援をいただきながら、赤十字のめざす「人道」実現のため、大阪府内全域にわたり幅広い活動を展開しています。今後とも、災害救護や医療、福祉等地域社会のニーズに対応した、顔の見える赤十字としてのきめ細やかな諸事業を的確に遂行してまいります。

 

《参考2》日本赤十字社の創設者・佐野常民生誕記念碑(佐賀市川副町大字早津江津)

http://kurumenmon.com/saga/sanotunetami/tunetamikinenhi.html

1822年(文政5)12月28日、佐賀藩士下村充贇の5男としてこの早津江に生まれた。1832年(天保3)11才の時、藩医佐野常徴の養子となり、藩主より栄壽の名を賜った。長じて藩校である弘道館に学び、その後江戸の古賀侗庵、京都の広瀬元恭、大阪の★緒方洪庵等につき、さらに藩命により江戸の戸塚静海、伊東玄朴の塾に入って漢学、医学、蘭学、物理学、化学、外科術、冶金術などを修め、また長崎において航海、造艦、造船、砲術などを伝習した。1863年(文久3)三重津に汽罐製造所を建てて佐賀海軍の創設に努力し、明治維新となり帝国海軍が創設されるや、これに尽瘁した。1877年(明治10)西南の役が起るや、その惨状を見るに忍びず自ら熊本に赴き、征討総督有栖川宮熾仁親王にお許しを得て同年5月大給恒らと共に「博愛社」を創立した。1887年(明治20)博愛社を日本赤十字社と改称して万国赤十字社に加盟した。佐野常民はその初代社長となり社業の振興に日夜努力し社名を内外にとどろかせたが1902年(同35)12月7日齢80才で没した。晩年元老院議官、元老院議長、大蔵卿、枢密顧問官、農商務大臣等国の要職を歴任し、1895年(同28)伯爵を陞授された。また龍池会(★日本美術協会の前身)等をつくって、日本美術工芸の振興育成にも力を尽くした佐野常民は、佐賀県七賢人の一人であり、真に日本の偉材ということができる。日本赤十字社は1926年(大正15)11月創立50周年を記念して生誕の地に記念碑を建てた。


せきじ4


《参考3》日本赤十字社大阪支部の社屋(「旧大阪府庁舎」略史より)

日本赤十字社大阪支部は1887年(明治20)設立され、事務所を★大阪府庁舎内に置いた。そして以降支部長に大阪府知事が代々就任し、医療・救援・救護活動を行なった。大阪支部の事業報告書によれば、1898年(明治31)8月に大阪府庁構内西北隅に★支部社屋(洋風木造二階建)を新築し移転したという。明治あるいは大正時代の旧大阪府庁舎の写真を見ると、その北側に寄棟木造二階建の建物が建っている。この場所は大阪府庁構内の西北隅に当たる部分で、位置が上述の赤十字社大阪支部の建物に関する記録と一致するだけでなく、建物の形状の記録も写真資料と矛盾しない。従ってこれが同支部の建物であることは確実である。そして1916年(大正5)3月、府庁舎増築工事に伴い、同支部社屋は府庁構内東北隅に煉瓦造り二階建を新築して移転した。しかし大正15年(1926)に大阪府庁が大手前に移転したのに伴い同支部も移転して新府庁舎内に事務所を置き、そして昭和4年(1929)に新府庁近くの★現在地に社屋を新築した。


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NEWS》2012.5.22読売新聞より

大阪市、日赤の資金集め協力中止/橋下市長指示

大阪市が、日本赤十字社(本社・東京)から委託されている活動資金募集業務について、「8月以降、取りやめる」と日赤側に通知したことが分かった。橋下徹市長が「資金集めに市役所が協力すべきでない」と指示したため。災害救援や献血など公共性の高い事業を実施する日赤の資金集めを、自治体側が拒否するのは異例。日赤側は「資金が十分集まらない可能性もある」と懸念している。日赤はほとんどの市町村に地方組織の事務を委託している。大阪市でも1952年以降、助役・副市長が日赤の地区本部長、各区長が地区長などの委嘱を受けてきたが、7月末で一斉に辞任するという。資金募集は5月の赤十字運動月間を中心に行われ、地域住民でつくる赤十字奉仕団が集めた資金を各区役所で集約。大阪市全体では毎年2億6000万円~2億8000万円を集めて日赤側に送っている。しかし、市の不正経理を追及してきた市民グループ「見張り番」(松浦米子代表)が今年3月、橋下市長との面談で、▽過去の市長選で助役出身候補を支援した自治会組織「市地域振興会(地振)」の役員が赤十字奉仕団の役員を兼務▽日赤の地区事業費が地区長を務める区長の口座に振り込まれ、一部が地振の事業に使われている――などを指摘。その上で、「市職員が事務を担当するのはおかしい」と批判した。橋下市長はこれを受け、「公金でない現金を公務員が扱うことは不適切だ」と見直しを指示していた。8月以降の業務委託の打ち切り通告を受け、日赤府支部は今後の事務の引き受け先として、全24区に拠点施設を持つ団体を検討。市が22区で区民センターの管理を委託する外郭団体「市コミュニティ協会」に打診しているが、日赤の担当者は「協会が受託してくれても、残りの2区の拠点をさらに探す必要がある」と頭を悩ませている。さらに寄付金集めでも、「これまで『市役所が協力しているなら』と提供する人が多かった」といい、市赤十字奉仕団幹部は「市に協力関係を解消されては、市民の協力が得にくくなる」とこぼす。橋下市長は、歴代府知事が就任してきた日赤府支部長を知事在任中の2010年6月、「直接運営に関わっていないのに、行政のトップというだけで就くべきでない」と辞任している。日赤府支部幹部は「多くの自治体は、日赤の事業の公共性を理解し、協力いただいている。大阪市の決定が、他自治体に波及しないか不安だ」と話している。

 

・・・悲喜こもごも。