◆【大阪科学技術館】◆
550-0004大阪市西区靱本町1-8-4/06-6441-0915
http://www.ostec.or.jp/pop/index.html
2016.2.5
「五代友厚ゆかりの地」~五代友厚邸跡に建つ大阪科学技術センター~
http://kanoshirase.jugem.jp/?eid=182
日時:開催中~★4月10日(日)(予定)
場所:大阪科学技術館2階テクノくん広場、入館:無料
本件問合せ:普及事業部06-6443-5318
大阪科学技術センタービルは、1961年(昭和36) 五代 友厚(大阪商工会議所初代会頭)邸跡に建設されました。今般、大阪科学技術館では、五代 友厚ゆかりの地として、近隣地域の皆様のご協力を頂き、五代友厚公の功績紹介や屋敷の貴重な「瓦」の実物などを期間限定展示しております。
・・・なんと、この情報を知った時はすでに開催期間が過ぎていました。せめて、展示の詳細を知りたくて調べていますと、
2016.4.15
特別展「うつぼ公園の自然と歴史」~いのちの森・生物多様性公園をめざして~
日時:開催中~★6月30日(木)
場所:大阪科学技術館2階テクノくん広場
http://kanoshirase.jugem.jp/?eid=189
大阪科学技術館では、期間限定の特別展を開催しており、4月11日(月)からは隣接する靱公園の自然と歴史についてご紹介しております。靱公園に生息する珍しい植物や昆虫をご覧頂くことができます。新緑まぶしい靱公園の散策とあわせて是非ともご来館ください。★ご好評いただいております「五代友厚公ゆかりの地~五体友厚邸跡に建つ大阪科学技術センター~」も6月30日まで期間延長し、展示しております。
・・・ラッキー、期間延長されていました。もちろん、早速行ってきました。
大阪在勤となった五代友厚は、1868年(慶応4)からは備後町で暮らし始める。1869年(明治2)には梶木町(現・北浜4丁目、日本銀行大阪支店の土佐堀川対岸あたり)へ移り約半年ほど住んだ。翌年に備後町に仮居した後は平野町に引っ越し、1871(明治4)12月から西区★靭北通1丁目(現・大阪科学技術センター)に自邸を構えた。屋敷は1960年(昭和35)まで残っていたが、大阪科学技術センタービルの建設により取り壊され、現在は「大阪科学技術館」として姿を変えている。料亭・加賀伊(かがい)(後の花外楼)で行われた大阪会議開催前に盟友・大久保利通が長期間宿泊し、碁盤を間に五代と向き合って日々談義したのはこの靭邸である。その後、1885年(明治18)1月、中之島(現★日本銀行大阪支店)に邸を新築した。同年8月には東京で療養生活を送り始め、そのまま同年9月25日に東京で逝去したため、この邸で暮らした期間は短いものだった。
《参考》日本綿花/「五代友厚邸」近くに本社ビルを建設
http://www.sojitz.com/history/jp/company/post-5.php
明治25(1892)年に日本綿花が設立され、第一期決算より配当を行うなど順調な滑り出しとなった。翌明治26(1893)年には、大阪北区中之島2丁目10、11番屋敷に405.9平方メートルの土地を購入し、木造事務所を建築。この場所は現在の日本銀行大阪支店敷地内一画にあたり、★五代友厚の屋敷の隣であったとされる。
《NEWS》2016.2.26産経ニュースより
ここにも五代さまゆかりの地/邸宅跡は大阪科学技術センター
NHK連続テレビ小説「あさが来た」で一躍脚光を浴びた五代友厚(1836~85)がかつて住んでいた邸宅の跡地に、大阪科学技術センター(大阪市西区)が建っているのをご存じだろうか。現在の大阪商工会議所の設立などに奮闘していた明治4~17年に居住し昭和35年に取り壊された。“五代さま”ブームにあやかり企画展を準備していところ、近隣住民が譲り受けた邸宅の★鬼瓦も今月「発見」され、新たな注目を集めている。同センターが運営する大阪科学技術館の企画展「五代友厚公ゆかりの地~五代友厚邸跡に建つ大阪科学技術センター~」で展示中の鬼瓦は、縦約40センチ、横約55センチ、高さ約30センチで、力強い目に鋭い角が印象的だ。明治4~17年に五代が住んでいた邸宅に使われていた。
同館によると、朝ドラの影響で五代に注目が集まる一方、この邸宅跡はほとんど知られず、各団体が発行する朝ドラゆかりの地マップでも紹介されていない。そこで、同館も五代と縁があることを広く知ってもらおうと、企画展の開催を準備していたところ、同館の近くに住む会社社長、西保吉裕さん(63)が五代邸の鬼瓦を所有していることを偶然知り、合わせて展示することになった。西保さんは五代邸の向かいにある住宅で生まれ育った。鬼瓦は小学校低学年だった昭和35年、五代邸を取り壊す際に祖母が記念に譲り受けたものという。取り壊し前に一度、西保さんも邸宅に入った。「とにかく大きくて、襖の向こうに可動式の隠し階段があり、忍者屋敷みたいだった」と懐かしそうに振り返る。同館などによると、五代は市内で6回にわたり転居。邸宅に住んでいた当時は、五代の人生で特に激動の時代だったという。明治11年には大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)を設立し初代会頭に就任したほか、大阪株式取引所(現・大阪取引所)を設立。13年には大阪商業講習所(現・大阪市立大)、17年に大阪商船(現・商船三井)を設立するなど、大阪経済の復興に大きな功績を残した。五代邸の写真付き資料などを展示する企画展は入場無料。午前10時~午後5時(日祝は午後4時半まで)。問い合わせは同館(電)06・6441・0915。
・・・この五代邸のすぐ近くに「旧御霊神社」(楠永神社)があるわけですから、「若宮商工稲荷神社」との関係があってしかるべきです。