東住吉区(4) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《百済の地名》

http://www.city.osaka.lg.jp/higashisumiyoshi/page/0000033839.html

区内での百済の地名は、明治22年(1889)に鷹合、砂子、湯谷島、中野の4ケ村が合併して、南百済村とされたことに因みます。現在は南百済小学校や百済公園に百済大橋などに、その地名が残るのみで、行政上での地名はなくなっています。


くだら1


日本書紀(続)から、東住吉の百済との関係を探すと、

(1) 持統天皇7年(693)紀1月条

31代百済王・義慈王は唐や新羅に攻められて、大和王朝に救援を依頼し、2人の皇子(豊璋と善光)を派遣した。

(2) 斉明天皇6年(660)紀7月条、天智天皇2年(663)紀8月条

百済(豊璋)に援軍を付け、百済遺臣・佐平鬼室福信に迎えられて遠征した(斉明6年紀)が、白村江で惨敗し、百済は滅亡し、豊璋は行方不明(天智2年紀)となる。

(3) 天智天皇3年(664)紀3月条

残された善光に難波(天王寺区堂ケ芝・百済寺跡と細工谷・百済尼寺跡)に住まわせる。以後、天武天皇、持統天皇の時期には百済王として、優遇されており、百済人が善光を頼って続々と亡命してきたので、この一帯を百済と呼ばれるに至った。

(4) 聖武天皇(続)天平21(749)422日条

善光の曾孫・敬福(キョウフク)は、大仏建立のために黄金900両を献上し、従5位陸奥守から従3位河内守に4階級も特進したが、一族の住む場所が次第に物流や交通の要所となるに及んで、天皇は敬福一族を枚方の地に移住を命じ、難波の百済は消滅する。

(5) 現在の百済王の末裔

百済王家は平安末期に三松と改姓している(枚方市史、史上の人物、433頁)が、平安期に三松性が現れていないので、この説は歴史学的には認められていない。 しかし、枚方市禁野1丁目に立派な三松家の墓地があり、百済王族末裔の墓であるとされている。また、明治初期における砲術家や神官となった三松家の4人の経歴を枚方氏史は百済王族の子孫と伝えている。枚方市の百済寺跡は廃墟となっているが、国指定の史跡である。


くだら2


【百済貨物ターミナル駅】大阪市東住吉区今林3丁目

http://www.jrtt.go.jp/08-3Topics/h24/topicsH250316.html

梅田駅(通称「梅田貨物駅」)の機能移転のため、2006年度から2012年度にかけて駅設備の改修事業が行われ、2013年(平成25)3月16日ダイヤ改正に合わせて従来の百済駅から百済貨物ターミナル駅に改称された。


くだら3


駅入口ではトラックの出入りが増えることから、歩行者の動線とトラックの出入りを分離するための延長160メートルの★立体横断施設が整備された。


くだら4


【サンガリア】

546-0012大阪市東住吉区中野4-2-13/06-6702-5426

http://www.sangaria.co.jp/

私たち株式会社日本サンガリアベバレッジカンパニーは、単なるフレキシビリティに富む企業ではなく、企業内部の充実に配慮しながらも『はてしなく自然飲料を追求するサンガリア』を企業スローガンに掲げ、品質本位のゆるぎない姿勢を守りつづけています。

商品開発では技術力をバネに、常に飲料業界を先取りした流行の味を迅速に市場へお届けすることを目標とし、1970年にはラムネ、サイダー、クリームソーダなどの炭酸飲料やミルクセーキなどの乳性飲料を開発することによって、バラエティに富む「サンガリア」ブランドの名前を高めました。また杜仲茶、烏龍茶、緑茶、麦茶などの茶系飲料も業界の先鞭をきって発表。さらにはサンガリアならではの技術力で、日本伝統の甘酒やおしるこ、健康・野菜飲料、スポーツドリンク等のアイテムを次々と商品化しています。1991年になると研究所内にデザイン室を新設し、飲料専門のパッケージデザイナーの育成にも努め、企画、デザイン、研究開発、そして製造、販売に至るまで一括して社内で行うシステムを構築。社会、経営環境の変化にも機敏に、そして柔軟に対応するフットワークにさらなる磨きをかけました。中国・唐の詩人、杜甫の作中にある「国破れて山河あり、城春にして草木深し...」の★「山河あり」に由来するサンガリア。衿を正して詠吟させるこの魅力ある人生観は厳しい研究姿勢を貫く企業体質に強く通じ、根底にある時代の動きを先取りするパイオニア精神を柱に自由で闊達な社風をもって、この21世紀、サンガリアは、ますます面白くなります。


くだら5


《参考》朝日新聞デジタル「ますます勝手に関西遺産」より

銭湯向けの瓶入り飲料を作っていた大阪市東住吉区の小さなメーカーが、サンガリアのブランドを立ち上げたのは、缶コーヒー製造に乗り出した1971年(昭和46)のこと。その名は「国破れて山河在り」から。どんな時代にも生き残る会社に、と願いを込め、その後、社名も日本サンガリアベバレッジカンパニーと改めた。ここを語るにはまずCMだ。第1弾は75年。♪1、2、サンガリア。 2、2、サンガリア。サンガリア、サンガリア。デュアー。ありがとサンガリア♪ 珍妙な歌をバックに、しましまのステテコ風水着の外国人男性が踊る。踊る。踊りまくる。しかもチャールズ・ブロンソンみたいなヒゲ面で。お茶の間へのインパクトは十分すぎた。歌の生まれた経緯は今では、同社でもよくわからないらしい。ただ、「少ない放送回数でも、確実に印象に残る」と同社の横井勝美・研究所長が話すように、以来、CMにこの歌は欠かせないものとなった。その後、登場したのも、稲川淳二や志茂田景樹、パイレーツら渋いセレクトの有名人。社内の資料には、「バカらしいことを一生懸命やるところがサンガリアCMの良さ」なんて記述もある。とはいえ個性的なのはCMにとどまらない。同社は約300品目もの飲料を展開中。1年に出す新製品は約80~100品目と週2本近く生み出してる計算だ。「営業担当が『売れまっせ』と言ったらすぐに商品化するんです。まあ、ポッと出て消えるもんもありますが」でもその機動力が同社の強み。10年ほど前の杜仲茶(とちゅうちゃ)ブームでは、取引先のスーパーに「ウチは2週間で杜仲茶を商品化します」と大見えを切ったことも。慌てて大量の茶葉を買い、1週間で配合を考え、容器デザインは1日で考えて、ホントに2週間で商品化してしまった。テレビ番組の企画から生まれた缶入り「みっくちゅじゅーちゅ」も、事前に局から製造を打診された時には、製造の難しさから断ったが、番組でタレントに「こんなん作るんはサンガリアや」という趣旨の発言をされ、退路を断たれて開発。結果は大ヒット商品に。冷凍に対応できるペットボトルなど、実は業界初の試みも多い。今では年間約200億円を売り上げる会社に成長したが、見ていて恥ずかしくなるCMのノリはもはや伝統の域。同社はHPで過去の栄光の作品を動画で公開中だ。そのサービス精神が、相も変わらず大阪の会社やね。ありがとサンガリア。

・・・「阪神高速14号松原線」を走っていると看板がよく見え、うれしくなります。