東住吉区(3) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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【今川】

http://www.city.osaka.lg.jp/higashisumiyoshi/page/0000032772.html

平野区喜連西町と東住吉区湯里町との境界線と、長居公園通(古代の磯歯津路(シハツミチ)にほぼ該当する)の交差点に、現在の今川の水源である人工の吐水口があり、★平野下水処理場で高度砂濾過法により2次処理された水が、約10トン/分の割合で注ぎ込まれています。ここから北上して、杭全で駒川と合流し、更に今林で平野川に合流するまでの4.5kmを、一級河川の今川として大阪市建設局東南工営所が管理しています。


なかの1


昭和の中頃までは、沿岸には田園地帯が多く、フナ、ナマズ、トンボ、シラサギなどの天国でしたが、住宅開発や道路建設が進み、完全な近代的市街地となりました。しかし、その生活排水から魚類が住めなくなり、「どぶ川」と呼ばれる程に汚染が進みました。幸いにも、下水処理水が水源とされてからは、魚類が戻っており、魚に餌を与える人と、それを覚えて集まってくる魚との交流が見られます。また、沿道の3kmにおよぶ桜並木が、平等橋から杭全の★今川水門まで延々と続き、大阪市内での桜の名所の1つに数えられる程になりました。並河誠所の「摂津志」(享保19年:1734成立)によれば、「平野区西池から現在の今川吐水口を経て、平等橋から南の今川が、万葉集の巻2-4458番に詠まれた★息長川に該当する」とし、森幸安の描いた「摂津国難波古地図」や「平野郷町地図」には、現在は埋められて姿を消した、「平等橋と平野区喜連町を結ぶ『喜連川』が息長川である」と述べられております。いずれにしても、「現在の今川が万葉集にうたわれた息長川の流れをくむものである」との説は、東住吉にとって大変喜ばしいことと考えられます。

【鳴戸川】

http://www.city.osaka.lg.jp/higashisumiyoshi/page/0000033876.html


なかの2


大阪府の河内平野西部・上町台地寄りを流れる、今川に注ぐ小支流です。以前は、東住吉区内では中野2丁目の方から西流し、中野1丁目からは今川沿いに北上していました。現在は中野1丁目で今川から分流し、今川に平行して北上し、東住吉区今川1丁目のうるし堤公園の北で、今川右岸に注いでいます。古い地図には、うるし堤を過ぎてもなお今川沿いに北上し、杭全で駒川と同時に平野川に注ぐように描かれているものもありますが、現在は、そういった流れはありません。育和橋近く川の東側にお住まいの、昭和元年生まれの方に聞くと、「鳴戸川と、今川に架かる二つの橋を渡っていた」という証言があり、鳴戸川は、今よりもずっと北の方で今川と合流していたことがわかります。今川小学校の南側の、今川2号橋辺りへ東からT字形に注ぐ川があったようです。これは、鳴戸川改修の折、暗渠になったものと思われます。現在、其の場所に、鳴戸川へ注ぐ排水口らしきものが設けられています。今川は、曲がりくねった、天然の川ですが、鳴戸川は、人工的な直線状の、潅漑用、治水用の川でした。


なかの3


戦後、東住吉区は住宅地として著しく発展し、昭和24年から駒川・今川・鳴戸川・平野川を改修するとともに、合わせて下水工事が行われました。昭和29年に今川の改修工事が完成し、続いて施工された鳴戸川の改修工事の完成(昭和36年)を記念して、今川福祉会館の前に★石碑が建てられました。


なかの4


【大阪市土木部技術試験所今川水門】

大阪市東住吉区杭全2丁目/06-6719-7254


なかの5


JR東部市場前駅】大阪市東住吉区杭全1-10-24

1909年4月1日から1945年頃まで、当駅の天王寺寄りに百済駅があった。百済駅廃止後、駅周辺住民から新駅設置を望む声が強くなったことを受け、1989年(平成元)に改めて現在の場所に当駅が設置された。現在のところ、大和路線内で最も新しい駅である。