・・・北野恒富は「蔵鷺庵」に3年間寄宿し、名作「茶々殿」や「淀君」を創作したという。
・・・その弟子が★生田花朝であり、父・生田南水は★「上之宮神社」の宮司であったという。
・・・北野恒富が寄宿した「蔵鷺庵」のすぐ近くにあるのが、
【上之宮神社(欽明天皇社)】
543-0037大阪市天王寺区上之宮町4-40/上之宮台ハイツ06-6775-9722
上之宮台ハイツ前に「上之宮神社(上野王子)」跡の石碑があります。上之宮は四天王寺七宮のひとつで、熊野古道の九十九王子の4番目「上野王子」に当たるとされます。「摂津名所図会」には、上野王子はいまの上之宮なるべしと記載されています。「上之宮神社」は、明治40年★「大江神社 (大阪市天王寺区夕陽丘町5-40)」に合祀されました。その後、料理旅館「金龍閣」となり、現マンションとなりました。
【生田花朝生誕地の碑】
大阪の風物を大和絵風に描き続けた日本画家。父は国学者★生田南水。名は稔。俳句を父南水、漢学を藤沢黄波、国学を近藤尺天に学ぶ。★菅楯彦に大和絵・有職故実を学び、★北野恒富にも指導を受け「白耀社」に所属した。生誕地の碑が上之宮台ハイツ前に設置されています。生田南水翁の「百済野の むかしかたりて 露の萩」の歌碑もあります。
・・・学校そして静かな住宅街ですが、その昔には大阪画壇の中心だったのですね。そうそう、「コクヨ迎賓館」もありました。