・・・以前、「庭園見学会」は往復はがきによる申し込み・抽選でなかなか実現しませんでしたが、幸い、メールでの先着順に変更となり、1年ぶりに再訪の機会がやってきました。
【生誕110年記念「三岸節子展~私は燃えつづける~」】於:香雪美術館
2016年3月17日(木)~5月15日(日)
http://www.kosetsu-museum.or.jp/exhibition/
三岸節子(1905~1999)は、愛知県小信中島村(現・一宮市)に生まれました。東京に出て女子美術学校(現・女子美術大学)を首席で卒業し、その年に洋画家・三岸好太郎と結婚、翌年には女性として初の春陽会入選という華々しい画壇デビューを飾ります。しかし、好太郎は31歳で急逝。3人の子供を抱えての苦しい生活と困難に直面しつつ、節子は画家として生きることを決意します。
制作との厳しい両立を強いられる中、独立美術協会、新制作派協会(現・新制作協会)などへの入選を重ねて、女流画家の第一人者としての地位を着実に築いていきました。そこからつむぎ出された画面は生命力に燃え、さらに拠点の移り変わりとともに作風も大きく変遷します。晩年20年余りを過ごしたフランスでは、ほとばしる色彩が、いっそう激しく鮮やかに展開していきました。本展では、生誕110年を記念して、情熱の画家・三岸節子のデビュー作「自画像」から、93歳の大作「さいたさいたさくらがさいた」まで、激動の人生をたどり、その画業を振り返ります。
《参考》【一宮市三岸節子記念美術館】
494-0007愛知県一宮市小信中島字郷南3147-1/0586-63-2892
平成10年に尾西市三岸節子記念美術館として開館し、平成17年の市町村合併にともない現在の名称に改称された。名誉市民(旧尾西市)である三岸節子画伯(明治38年1905~平成11年1999)をたたえ、その作品を収集・展示することにより、その画業を後世に伝え、市民の美術への関心を高めることを目的としている施設である。画伯の生家跡に建設されており、かつてこの敷地内にあった織物工場を彷彿とさせる鋸屋根、現存する土蔵を生かしてアトリエを復元した展示室、ヴェネチアをイメージした水路など、三岸画伯の思い出と深くかかわった設計がなされている。三岸は幼いころより文学少女であり、その長い画業の中で、様々な書籍の挿絵や装丁を手掛け、自らも随筆などの文章を残している。戦前から佐多稲子、壺井栄ら多くの女性文学者と交流し、戦後は、女性歌人が結集した女人短歌会により40年以上にわたって発行された機関誌「女人短歌」の表紙絵を担当したことでも知られる。同館には、「女人短歌」をはじめ、画伯の装丁になる単行本等が多く収蔵されている。
★特別公開(庭園見学会)
http://www.kosetsu-museum.or.jp/event/special/guide.html
六甲南麓の自然林が残る香雪美術館の林園内を歩き、重要文化財に指定された明治、大正期の「旧村山家住宅」の外観を豊かな自然とともに鑑賞する見学会を年に数回開きます。美術館の敷地は約五千坪に及び、調査で野鳥が17種確認されたほか、南方系アゲハチョウの一種であるナガサキアゲハなども生息していました。
植物は、モチノキ、ネズミモチ、アオキなどの常緑植物を中心に66種が確認され、樹齢が百年以上と推定される大木も多数あります。こうした自然を生かして建てられた旧村山家の洋館と和館の佇まいは、「豊かな郊外」の先駆だった神戸・御影の当時の生活を想像させます。見学会では、ガイド役の説明を聞きながら、自然と文化の「遺産」を味わうことができます。
・・・「庭園」に大自然が残されています。いや、大自然を残すために「庭園」が造られたというべきかもしれません。郷倉さん、そして三岸さん二人の偉大な女性画家(絵師画人)に出会わせてくれた「香雪美術館」に、感謝です。