《参考1》西日本模型
531-0073大阪市北区本庄西3-7-17/06-6374-0891
1937年(昭和12)に大阪市城東区の城北川沿いに建設された大阪大国技館、最大25000人が入ったという記録がある巨大なものでした。残念ながら大相撲は4年7場所しか開かれず、戦争中は倉庫に、戦後間もなく解体の運命をたどりました。城東区ではアイラブ城北川ブランド化プロジェクトを推進しており、城北川フェスティバル、城北川の水質調査や河川の環境学習への協力などを通じて「何時でも憩い・楽しいと感じる親水エリア」になるよう、取組みを広げてきています。大阪市で4番目の人口の城東区を細井区長は「住んでみたいまち・住みやすいまち・住み続けたいまち」「都会のなかのふるさとまちづくり」をめざして頑張っておられます。このたび、公益財団法人★大林財団が趣旨に賛同され、かって城北川沿いに存在した「大阪大国技館」の復元模型を、アイラブ城北川ブランド化推進委員会に対して寄贈されることになり、平成25年12月3日、城東区役所において収受式ならびに除幕式が執り行われました。弊社(★西日本模型)も模型製作についてお手伝いをさせていただきました。当時の資料が少なく大変苦労しましたが、3Dデータ作成と3Dプリンターの活用により、大阪大国技館の雄姿を皆様に見ていただくことができました。
《参考2》生誕100年記念 双葉山と大阪大国技館/於:大阪歴史博物館
平成24年2月29日(水)~ 4月9日(月)
http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2011/tenjigae/120213.html
69連勝で有名な横綱双葉山は、100年前の明治45年(1912)に生まれました。双葉山の全盛期であった昭和12年(1937)、大阪の関目(現城東区古市2丁目)に大阪大国技館が完成します。4階建て、収容定員2万5千人という巨大な建物でした。今の国技館(約1万1千人)をはるかにしのぎます。双葉山は、この国技館竣工記念の相撲で、「三段構え」という特別の儀式の時だけ行われる型を披露したと言われています。今回の展示では、双葉山生誕100年を記念し、双葉山と大阪大国技館に関する資料をご紹介します。
・・・真新しい城東区複合施設を堪能し、これから「国技館」跡に行ってみたいと思います。
◆元大阪国技館前の古い町並み<元相撲茶屋/城東区古市2丁目2・3番
http://www.city.osaka.lg.jp/joto/page/0000000706.html
大阪国技館は、敷地6千坪、建坪3千坪、鉄筋コンクリート4階建ドーム式、収容人員25000人の国内屈指の屋内スポーツ施設で昭和12年3月に竣工しました。同年6月9日のこけら落としの大阪準本場所は、連日「満員御礼」の垂れ幕が下がり、梅田駅と難波駅から市バスが臨時運行したそうです。国技館の前には、2階が力士の宿舎になっていた相撲茶屋が建ち並んでいました。昭和16年の太平洋戦争の勃発で、わずか4年間7回の準本場所の開催だけで休館を余儀なくされ、昭和26年ごろには解体されてしまいました。現在、国技館跡地はUR都市賃貸住宅★「リビエール関目」となり、わずかに残っていた相撲茶屋跡の家並みも現在はなくなっています。
http://www.city.osaka.lg.jp/joto/page/0000000817.html
《UR都市賃貸住宅「リビエール関目」》
http://www.ur-net.go.jp/kansai-akiya/osaka_chu/3520.html
◆2002「大阪府警察学校関目校・専科教養部」
大阪市城東区関目6-2-13/設計:東畑建築事務所
https://www.tohata.co.jp/works/?mode=show&seq=219
主に現任警察官に対してさまざまな専門教育・訓練を行うための警察学校です。建物空間は、ガラスカーテンウォールで覆われた4層吹抜けの長大なアトリウムを軸として教室郡や講堂等を配置することにより、機能的にも視覚的にも明快な構成となっています。このアトリウムから敷地北側公園や屋上テラスの緑を連続的に望むことができ、また吹抜けのドラフト効果により自然通風を促進させるなど、明るく快適な空間を実現しています。
・・・そして「親愛女学院」もありますので、ちょっと寄り道します。