近松門左衛門(12) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《参考》古堤橋と寝屋川分流水門

http://www.city.osaka.lg.jp/joto/page/0000000736.html

★今福小学校前の寝屋川沿いの道を東へ行く道は、かつて★古堤街道(野崎街道)と呼ばれていました。この道は天満橋南詰から片町に出て寝屋川北岸沿いに東に進み、新喜多橋北詰から少し行って左折し、いったん今福の町に入り、また右折して極楽橋北詰にぬけ、再び寝屋川提をまっすぐに進んで、徳庵・住道を経て奈良へ通じていました。その名残がこの橋名にしのばれます。今ここには、大きな水門が設けられ、洪水の時に寝屋川から城北川に流れ込む水の量が調整されています。


いまふ1


・・・「極楽橋」までやってきました。市営墓地(斎場)への道に架けられているので、その名もふさわしい極楽橋と名付けられたようです。


いまふ2


【旧野崎道の跡碑】536-0003大阪市城東区今福南2-1

http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000010034.html

http://www.city.osaka.lg.jp/joto/page/0000000758.html

お染・久松の恋物語でお馴染みの「野崎参りは屋形舟で参ろ…」で始まる往年のヒット曲「野崎小唄」はよくご存知のことでしょう。これらの背景となる野崎街道は、通称「野崎の観音さん」で知られる曹洞宗福聚山慈眼寺(そうどうしゅうふうじゅさんじげんじ)(大東市野崎)へ参詣するルートです。野崎参りは 17世紀後半の延宝(1673~1681年)・元禄(1688~1704年)に始まり、明治の末頃まで、大坂の町や近郷から行楽を兼ねてお参りをする人々で賑わいました。特に旧暦の4月1日から10日にかけて行われる無縁経は有名でした。


いまふ3


当時、大坂から今福・徳庵を経ての野崎参りは、屋形舟で鯰江川や寝屋川をさかのぼり住道で舟を降りて観音様まで歩いていくか、寝屋川の堤をてくてくと歩いていくかのどちらかでした。春たけなわ菜の花の咲く中を舟の乗客と土手を通る人が旅行気分で、お互いにののしり合う光景は、落語の「野崎詣」でユーモラスに演じられています。このように野崎参りで賑わった川も街道も、明治28年(1895年)に浪速鉄道(現JR学研都市線)が開通してから次第に衰えていきました。昭和40年(1965年)に姿を消した鯰江川は、かつて寝屋川の北側を流れていました。JR環状線の京橋駅ホームは、道路になった鯰江川と堤防上の旧街道をまたいでいます。今福交番前の交差点は、鯰江川に架かっていた三郷橋の跡で、付近から古代の丸木舟が発掘されています。ここから旧街道は東南方向へ今福の古い町並みに入り、町の四辻に建立されていた道標は、すぐ近くの皇大神宮の境内に移設されています。街道は今福の町を抜け、寝屋川北岸を行くもう一つの野崎同に出会います。その三叉路の今福小学校の西南角に顕彰碑が建っています。寝屋川に架かる極楽橋から東を眺めると遠くに生駒山が望まれ、そのふもとが野崎です。往時とはすっかり様相が変わってしまいましたが、目を閉じて菜の花畑や屋形舟を想像するのも楽しいものです。


【今福郵便局発祥の地】536-0003大阪市城東区今福南1-4-19

今福郵便局は、1882年(明治15)8月1日にこの地に設置された。現在の城東郵便局の前身である。大阪市内の郵便局としては特に初期のもので、設立より今福村の戸長筧半兵衛とその子息伝が局長をつとめた。大正元年(一九一二)に隣地に移転するまでこの地にあった。


いまふ4


【室戸台風遭難学童の碑】536-0003大阪市城東区今福南1-5-21栄照寺06-6931-7817

昭和9年9月21日の朝、近畿地方一帯を襲った台風は、わずか数時間の間に広範な区域にわたって大きな被害をもたらしました。なかでも、鯰江第2小学校(現聖賢小学校)と鯰江第3小学校(現今福小学校)では、倒れた校舎の下敷きとなって多くの児童が死傷するという大変痛ましいものでした。このとき犠牲となった児童の慰霊のために、★「栄照寺」の境内にこの碑が建てられています。また、今福小学校にも昭和56年(創立50周年時)に慰霊碑が建てられました。


・・・再び「新喜多大橋」までもどってきました。


いまふ5


《金井産婦人科》536-0004大阪市城東区今福西1-2-8/06-6931-2391

http://www.kanai.or.jp/


・・・山畑利次さんの「ダンス」いいですね。抽象作品も山畑さんの作品かな?「病院」とアートの関係も特集してみたいものです。さて、その前に「国技館」について調べなければなりません。