都市環境アメニティ賞(5) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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1997生形貴春

1948大阪市生まれ

1997★大阪市都市環境アメニティ表彰受彰

「弧の仕掛/東風橋」「弧の仕掛/西風橋」

(生形貴春+アパ・アソシエイツ共同制作モニュメント)

http://www.zenitaka.co.jp/info/info_f.html


うぶか1


錢高組本社ビル(なにわ筋ツインズウエスト)と、向かいのなにわ筋ツインズイースト(辰野西本町ビル)に設置されてります、生形貴春氏と 株式会社アパ・アソシエイツの共同制作のモニュメント「弧の仕掛/東風橋」「弧の仕掛/西風橋」が、大阪市より★第7回(1997)『大阪市都市環境アメニティ賞』のモニュメント表彰を受けました。この賞は大阪市内において屋外に設置され、市民が容易に鑑賞できる作品で都市景観の向上に寄与し、特に企画・デザイン・管理に優れたモニュメントに対して授与されるものです。


うぶか2


1997第25回長野市野外彫刻賞 (長野冬季オリンピック記念野外彫刻制作)、大阪府立現代美術センターにて個展

1998第15回神戸須磨離宮公園現代彫刻展・大賞、イギリスのロンドンクリスティーズでアジアアバンギャルド展

1999第18回現代日本彫刻展・毎日新聞社賞 (山口県宇部市)

2000第7回朝来野外彫刻展in多々良木2000・準大賞 (兵庫県朝来市)

2001第19回現代日本彫刻展・毎日新聞社賞 (山口県宇部市)

2002 OAP ART COURT野外彫刻個展(大阪市)

2007 JR加古川駅前広場指名コンペで彫刻モニュメント制作 (兵庫県加古川市)など

《錢高組》

550-0005大阪市西区西本町2-2-11なにわ筋ツインズウエスト

http://www.zenitaka.co.jp/310nen/araebisu.html

ご存知「銭形平次捕物帳」。野村胡堂氏の傑作小説であるが、これほど大衆に愛され、長く親しまれた小説は日本でも珍しい。実はこの平次親分、一番最初に文芸春秋の月刊誌「オール読物」に登場した際の命名のヒントは、当社★社名と社章だった。胡堂は文芸春秋から「岡本綺堂の半七捕物帳のようなものを」と依頼され構想を練る時に大変悩んだ。半七と同じでは能がない。「水滸伝」の中に登場する小石投げの名人のようなワザがほしい・・・。そうこうするうちに、平次という名が先に決まった。姓とワザ・・・と思案なげ首のある日、ふと窓外のビル建設現場が目に入る。『設計施工錢高組』の看板と社章の『錢』。ポン、と膝をたたいて投げ銭がまず決定。 名前の方は、「錢高」では商標もあるしと、「錢安」「錢○」「錢○」・・・とあてはめていくがうまくいかない。そこで「錢高」の「タカ」を逆にして「ゼニカタ」。ついにこれに決まったという。以上は胡堂氏の随筆集からも明らかで、昭和6年誕生以来27年間で383編におよぶという膨大なもの。ところで昭和6年というのは当社が株式会社として発足した、まさにその年。因縁浅からぬものを感じる。また当社は、平成7年6月に胡堂氏の出身地である岩手県紫波町に音楽評論家「野村あらえびす」としても著名な胡堂氏の業績を同町が顕彰しようと建設した「野村胡堂・あらえびす記念館」の施工を担当している。

《野村胡堂・あらえびす記念館》

http://kodo-araebisu.jp/

《尼崎紡績本社工場》

http://www.zenitaka.co.jp/310nen/amagasaki.html

2015年9月から放映されているNHK連続テレビ小説★「あさが来た」のヒロインの夫のモデルとなった★広岡信五郎が初代社長を務めた尼崎紡績★本社工場は、当社の歴史と深い関係があります。社祖・錢高善造は、1884年(明治17)泉州尾崎村(現・大阪府阪南市尾崎町)より上京し、明治の文明開化の波と共に勃興しつつあった西洋建築の新技術や近代経営の習得に努めるなか、数多くの得意先から知遇を得ていきます。そして1887年(明治20)善造は大阪市内の地に移り、屋号の番匠屋を錢高組に改め、新たな一歩を踏み出しました。創立当初の錢高組は、このころ新興産業として各地に工場をつくりつつあった紡績会社や、鉱業関係会社の仕事を多く与えられ、日々成長していきます。当時の大阪は、河内や和泉など綿作地帯を背後に持っており、とくに明治20年代の紡績業の隆盛はめざましく、多数の紡績工場が誕生し、“東洋のマンチェスター”とまで言われていました。そんな中、当社が初めて独力で手がけた工事が、1891年(明治24)竣工した尼崎紡績の工場建設でした。同社は兵庫県に登場した初の本格的紡績会社で、のちに大日本紡績(現・ユニチカ株式会社)と改称し、日本最大の紡績会社となります。なお、尼崎紡績本社工場上棟式に用いた破魔矢「鏑矢(かぶらや)」と「雁股矢(がんまたや)」は、尼崎紡績本社建物(現★ユニチカ記念館)に残されています。


うぶか3


《参考》旧小西平兵衛家住宅(錢高組高徳寮)

竣工年:奥の蔵/1880年(明治13)居住棟/1888年(明治21)

設計施工:大工棟梁-弥兵衛、左官-前兵衛、石工-太郎兵衛、屋根-喜兵衛、手代-茂兵衛

旧小西平兵衛家住宅は、羅紗や毛氈などを扱う唐物(輸入品)商の店舗兼住居として明治中期に建てられた。大阪市内中心部の町家の中でも、特に大規模でかつ保存状態がよい建物のひとつである。正面に店舗棟、角に土蔵を配し、敷地全体を高塀で囲う。店舗棟の奥には居住棟と前裁(中庭)、奥土蔵を配している。なお正面の店舗棟と土蔵は大正初期に当時「市区改正」と称された道路拡幅によって敷地が切り取られたため、改築が施されているが、窓がなく極めて閉鎖的な外観となっている。1941年(昭和16)より、大阪に本拠を置く中堅ゼネコン★錢高組が所有・管理、錢高組高徳寮となっており、玄関には「錢高組分室」の表札が掛かっている。大阪市立の博物館「大阪くらしの今昔館」では、近世後期の大阪市中の商家建築を再現する際、小西平兵衛邸を参考資料にしたそうである。


うぶか4


・・・生形さんの作品は、「桃山学院大学」や「梅花女子大学」キャンパスにも設置されていました。


うぶか5


・・・伝統のある錢高組、現代アートとのコラボなど素敵ですね。