《坂根進と開高健=ワインとパイプの肝胆ドラマ》藤井建HPより
http://kakashi.sakura.ne.jp/kakashi-kouyuuroku.html
坂根進という人物に関してはあまり知られていない。実は彼こそが芥川賞作家として、またサン・アドのコピー・ライターとして名を馳せた★開高健の傍らで、常にアート・ディレクターを務めた人間なのである。しかも彼はそのサン・アドを常にリードし、サントリーに加えてホンダやソニーの仕事までも取り込んだ敏腕アート・ディレクターで、2代目株式会社サン・アドの生え抜き社長に抜擢された人物でもあった。
(略)
坂根は株式会社サン・アド社長に就任後、『トリス広告25年史』(1975 年=昭和50 年9月株式会社サン・アド発行)の編纂や、サン・アド退社後には『万祝』(まいわい:1992 年=平成4年5月岩崎美術社より限定1480 部発行)などエディトリアルの分野でも活躍することとなった。また株式会社サン・アドの社長を退任してからの坂根は、全国の博覧会や展覧会に情熱を傾け、他界するまで生涯現役を務めた。この点では開高とも似ていたが、坂根は開高より10年近く長く生きたため、晩年は、開高亡き後の寂しさを、美食におぼれ自らの健康に留意する事はなかった。体重は80kg を超え、この点でも開高とよく似ている。以下の記述と写真は坂根と開高の人間ドラマであり、Wikipedia にもまだ確かな記述のない坂根進の人間像である。
(略)
彼の一周忌に株式会社サン・アドから出版された『坂根進・想』(Memories of Sakane Susumu=非売品)の表紙である。この似顔絵の版画は、坂根自身が18歳(昭和25 年)のときに彫あげたもので、在りし日の坂根の特徴を巧みに捉えている。またこの書籍に寄稿された方々は20世紀の広告業会はもとより、文学や芸術などの分野に携われている方々、さらには彼の趣味の仲間など、各業界の著名人が名を連ねている。いずれの方々も坂根と篤い親交があった方々で、彼の人情の温かさと、心の広さを物語るものである。この書籍はネット書店等で入手可能である。
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彼は私生活に関して語ることはなく、学歴も職歴も定かではない。昭和6年生まれ、松江高校の出身で、千葉大学工学部写真工学科を中退、★桜クレパスに入社後、★田辺製薬、★主婦の友社と渡り歩き、★サントリーに流れ着いたというが、京都在住の不明時代があり、このとき★小磯良平氏に洋画を学び、小磯の描いた『少女像』を贈られている。たった一つ確かなことは、日本の20 世紀最後の★「趣味人」だったことかもしれない。
・・・藤井建(山田案山子)さんの文にも惹かれ、『坂根進・想』を入手しました。「ミュージアム」を体現した人がいたことを、知りました。まさしく、「地球樹」が引き合わせてくれたわけです。
《参考》「仔猫にもらった91日間の幸せ-捨て猫ゴロは、いつしか私と親子になっていた」著:山田案山子
《株式会社サン・アド(SUN-AD Company Limited)》
107-0061 東京都港区北青山2-11-3 A-PLACE青山/03-5785-6800
1964年、佐治敬三、山崎隆夫、柳原良平、開高健、山口瞳、酒井睦雄、坂根進らを中心に、サントリー株式会社の系列会社として設立。山崎隆夫が社長に就任。中央区銀座に事務所を置く。現在まで、トップ広告プロダクションとして、50年にわたって日本の広告表現を牽引し続けてきました。当初はサントリーのウィスキーの仕事が中心、今では広告主の数は飛躍的に増え、その領域もグラフィック広告、TVCMだけではなく企業のCI、プロダクトデザイン、WEB、ビルや店舗などの空間計画まで多岐にわたる。
《原宿サン・アド》
150-0001東京都渋谷区神宮前6-27-8京セラ原宿ビル5F/03-6450-5805
私たち原宿サン・アドは、1975年10月、主にサントリーの広告を担当している株式会社サン・アド内の本田技研担当部門が分離・独立してスタートしました。以来、クライアント企業のブランド確立と課題解決のためのトータルコミュニケーションを提案してまいりました。1975年以前のサン・アドでは、★坂根進さんを中心にHondaの仕事を企画・制作していた。Honda初の4輪車にしてスポーツカーである『S600』のグラフィックを担当。画期的な軽自動車『N360』ではTVCFも企画・制作。その後も、『Life』、『Z』、そして、ベストセラーとなった『CIVIC』と、当時の Hondaの主力車の広告の多くを担当しました。Honda2代目『CIVIC』のTVCMが、原宿サン・アドでの企画・制作の第1弾となりました。
《参考》不朽の広告作品
http://www.suntory.co.jp/whisky/old/ad/ad01.html
「人間」らしく やりたいナ この不朽のメッセージを生み出したのは、サントリーの前身・寿屋宣伝部に在籍、そこから独立した広告制作会社★サン・アドの創立メンバーでもある芥川賞作家★開高健でした。
【柳原良平】(1931~2015)
http://yanagihara-ryohei.jp/top.html
《NEWS》2016.1.31産経ニュースより
柳原良平の仕事を回顧
2015年8月17日に死去した名イラストレーターの仕事をまとめた『柳原良平の仕事』(玄光社)が「イラストレーション別冊」として刊行されている。ウイスキーのテレビCMに登場するキャラクター★「アンクルトリス」の生みの親として知られる柳原は、イラストの仕事のほかにも、漫画家、アニメーション作家、エッセイストなどいくつもの顔を持ち、半世紀以上第一線で活躍した。「初の仕事集」には、生涯に手がけた膨大な作品が収められている。遠藤周作や山口瞳のエッセー集の明るく軽やかで粋な装丁の数々。ユーモアたっぷりの絵本、「ピカロじいさん」「サラやん」をはじめとする新聞連載漫画。アンクルトリスの灰皿やコースターといったグッズなど900点以上の図版を掲載。多彩な仕事ぶりをたどることができる。柳原は昭和6年、東京生まれ。美大を卒業後に入社した壽屋(現・サントリー)の宣伝部で開高健や山口瞳とともに働いた。同社制作のPR誌★『洋酒天国』に掲載したイラストが人気を呼んだ。8歳のころから船の絵はがきを集めていたほどの船好きだったという。ライフワークとして取り組んだ題材が船だった。船についての著書も多数あり、あまたの船を切り絵などで制作した。のんびりと大海に浮かぶ豪華客船はなんともおおらか。巻末の年譜には、15歳の時に仲間と編集した機関誌「船」などの表紙写真も収録されていて、貴重な記録となっている。
《柳原良平コレクション展》於;東成図書館06-6972-0727
2015年(平成27)3月20日(金)~5月20日(水)
http://www.oml.city.osaka.lg.jp/index.php?key=joxs52smi-4181
★「なにわの海の時空館」旧蔵資料である柳原良平氏のコレクション展。洋酒のCMキャラクター“アンクルトリス”の生みの親で船舶評論家でもある柳原氏のコレクションの一部をケース展示しご紹介します。
《商船三井名誉船長「柳原良平」作品展2016》
105-8688 東京都港区虎ノ門2-1-1商船三井ビル1階
2016年4月4日(月)~8日(金)
https://www.mol.co.jp/info/article/2016/yanagihara.html
商船三井が所蔵する画家・柳原良平氏の作品の一部をみなさまにご覧いただきたく、小さな作品展を開催いたします。柳原良平氏と商船三井とのご縁は古く、柳原氏が16 歳のころに遡ります。1969年には名誉船長に就任、昨年8月に逝去されるまで、多くの作品を手掛けていただきました。作品は船にとどまらず、社旗やコンテナサービスのマスコット「アリゲータ・マーク」など多岐にわたり、当社の活動をご支援くださいました。
《柳原名誉船長ミュージアム》
http://www.mol.co.jp/yanagihara/
《輪島屋善仁》柳原良平さんの描く漆職人
・・・それぞれが個性(★人間)をぶつけあいながら、それをより次元の高いアートへと押し上げていく、そういう「★時間」と「★空間」が与えられなければならない。つくづく、そう思う。