淀殿(3) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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【太融寺】

530-0051大阪市北区太融寺町3-706-6311-5480

http://taiyuji1.web.fc2.com/

嵯峨源氏の祖で左大臣・大納言の源融ゆかりの寺で、大阪市北区に伽藍を構える真言宗(高野山真言宗・準別格本山)の寺院。山号は「佳木山」、院号は「宝樹院」。古くから当寺付近の地名にもなっている。「大融寺」と誤記されることもあり、中近世の文書に多い。


たゆじ1


境内には本堂の他に空海(弘法大師)を祀る大師堂、不動明王を祀る不動堂、多くの女性の信仰を集める淀殿の★墓所(もとは、東成郡鴫野村弁天島=現・大阪ビジネスパークにあった「淀姫神社」に安置されていたものが、1877年(明治10)、弁天島全域が軍用地に指定されたことに伴い移転されたもの)、その墓所を守るかのように隣には雌神を祀る白龍大社がある。また、縁結びの神としても信仰を集めており、女性は白龍大神、男性は境内の外れに祀られる龍王大神にお参りするとよいとされている。写経堂では写経会や座禅会の他、桂米朝一門を筆頭に落語会なども催されている。


たゆじ2


【街角ミュージアム】太融寺の展示コ-ナ-

http://www.occpa.or.jp/ikou/machikado_M/machikado_M02.html

821年(弘仁12)弘法大師により創建されたとされる太融寺には淀殿の墓や自由民権運動の舞台となったことを顕彰する近代日本政党政治発祥地の碑などがあります。一帯は古代寺院の「安曇寺跡(あずみでらあと)推定地」であり、発掘調査では平安時代の遺構・遺物は見つかりませんでしたが、土師器、瓦器、土錘といった遺物のほか、ゴミ穴、 貝塚など鎌倉時代の生活の跡が見つかりました。また中国製の磁器類、墨書土器、瓦質の火鉢など寺院を中心とする集落のあったことを窺わせる貴重な資料が出土しています。


たゆじ3


淀殿は、豊臣秀吉の側室で、豊臣秀頼の母。秀吉の死後、1599年(慶長4)秀頼と共に大坂城西の丸に入り豊臣の再興を画すが、1615年(元和元)5月8日、大阪夏の陣で大坂城落城により秀頼とともに自刃した。淀君の墓は、太融寺資料によると『1615年(元和元)5月、大阪城落城によって秀頼と共に自刃して果てた淀殿の遺骨は、淀君の崇敬が殊のほか篤かった大坂城外鴫野弁天島(現:大阪ビジネスパーク辺り)「弁天社」の隣に一祠を作って埋められた。これが「淀姫神社」である。1877年(明治10)11月、城東練兵場(現:大阪城公園)造成に当り、この「淀姫神社」が生国魂神社に移祀されることとなり、豊臣家に縁の深い当寺に埋め「九輪の塔(戦災により六輪となる)」を建て境内西北隅に祀った。』と記されています。