あべの発見(4) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「馬車鉄道跡の碑」を求めて阪堺電車「東天下茶屋駅」までやって来ましたので、界隈を散策したいと思います。

《松虫通り》

区間は大阪市★西成区の岸里交差点から★平野区の平野警察署西交差点まで。阿倍野区内の区間は生活道路を拡幅し、1980年代初頭に開通した。同道路は阿倍野区内では生活道路の時代から「松虫通」と呼ばれ、1929年からは道路周辺の町名にもなっているが、名称は松虫通の道路沿いにある★「松虫塚」に由来している。松虫通の拡幅の際、拡幅の支障になるとして松虫塚を取り壊すことも検討されたが、地元住民の要望があって塚を残すことになった。そのため松虫塚前の歩道は狭くなっている。


まつむ1


【松虫塚】大阪市阿倍野区松虫通1-11-5

http://www.city.osaka.lg.jp/abeno/page/0000001570.html#05

《松虫と鈴虫》

古くはスズムシのことを「マツムシ」、マツムシのことを「スズムシ」と呼んでいた、あるいは混同されることが多かったといわれる。マツムシは、スズムシに似ているが体長は19~33mmとより大型で、体色は淡褐色。また、付節に吸盤(褥盤)があるためプラスチックやガラスの垂直面を登ることが出来る。

◆文部省唱歌「蟲のこゑ」

あれ松蟲が鳴いてゐる。ちんちろちんちろ ちんちろりん。

あれ鈴蟲も鳴き出した。りんりんりんりん りいんりん。

あきの夜長を鳴き通す あゝおもしろい蟲のこゑ。

◆能「松虫」

摂津国 阿倍野の市の酒売り(ワキ)のもとに、いつも訪れては仲間たち(ツレ)と酒宴をしていた若い男(シテ)がいた。彼は酒売りに「松虫の音に友を偲ぶ」故事として昔の二人の男の心の交流を語り、実は自分がその男の幽霊なのだと明かして消え失せる。夜、男の霊(後シテ)が酒売りの夢枕に現れ、友と心通わせた日々、友との心を繋ぐ酒の徳などを語り、旧懐の舞を舞う。


まつむ2


【「伊藤静雄」文学碑】

545-0043大阪市阿倍野区松虫通2松虫ポケットパーク内

日本浪漫派の代表的な詩人。長崎県生まれ当地には住吉中学(現★住吉高校)の教師として来阪。「百千の」の詩は、昭和18年に刊行された第三詩集「春のいそぎ」におさめられている。簡潔で強く、また作風に円熟したものを感じさせる詩と評価されている。


まつむ3


【正圓寺】

545-0043 大阪府大阪市阿倍野区松虫通3-2-32/06-6651-2727

http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009332.html

通称「天下茶屋の聖天さん」。939年(天慶2)光道和尚により開基。当時は、現在地より東に500mのところにあった般若山阿部寺の一坊であったが、元禄時代(1688~1703)に義道見明和尚が寺を移転し、海照山正圓寺と改めた。本尊は木彫の大聖歓喜双身天王で、これは日本最大である。


まつむ4


境内には鎮守の神を祭る奥之院と呼ばれる場所があり、鎮守堂(荼枳尼天)、寄松塚(八本松竜王)、石切社分祠、浪切不動明王、弁才天祠などが祭られている。また★「兼好法師の藁打石」と「兼好法師隠棲庵跡」の碑が境内東側に建っている。吉田兼好は南北朝時代にこの付近に移り住み、清貧自適な暮らしを営んでいたと言われている。


まつむ5


別名「聖天山正圓寺」とも言われるが、「聖天山」は山号ではなく標高14mの低山の名前で、★「大阪五低山」の一つ(残りは天保山、御勝山、荼臼山、帝塚山)。山頂は正圓寺境内にある。ちなみにこの山は★聖天山古墳と呼ばれる古墳であることが分かっている。