・・・「近松門左衛門」関連史蹟が「西成区」に2件ありました。
【松乃木大明神】
557-0002大阪市西成区太子2-3-19
http://www.city.osaka.lg.jp/nishinari/page/0000000741.html#16
1901年(明治34)に建立された神社で、お狐さまと薬師如来が鎮座する神仏習合の小さな社で、「近松門左衛門の碑」は鳥居の左側にあります。
もとは天王寺公園にあったもので、発起人でもあった地主の室上小三郎さんの発案で、「猫塚」を立てる時に移設されたそうです。室上さんは、1903年(明治36)天王寺で開催される内国勧業博覧会を迎えるにあたり、20世紀の幕開けの年でもある1901年(明治34)飛田新地の関係者等に呼びかけ、猫供養のための「猫塚」を立てられました。「猫塚」は、三味線の胴の形をしています。当時は、お座敷で三味線の需要は多く、この界隈には古くから野良猫や野良犬を捕獲してくることを生業とする方々(本件に関しては「伝統芸能に関する生業(許可制)」として、動物保護法からは免除されている)もおられました。
近松の「曽根崎心中」においても、三味線なくして語る事はできません。近松は芸能の神であり、芸人が寄り集う天王寺界隈において「松乃木大明神」は大切な心のよりどころだったことでしょう。今でも毎年11月22日・23日には今池本通商店会により、近松猫塚芸能祭が開催されています。
【安養寺】
557-0042大阪市西成区岸里東1-7-15 /06-6653-8519
http://www.city.osaka.lg.jp/nishinari/page/0000000741.html
昌芳山安養寺は、浄土宗知恩院派★一心寺の末寺で、本尊は阿弥陀仏、1689年 (元禄2)3月貞誉清薫尼の創建。明治20年の失火と昭和20年の戦災で2度焼失し、現在の寺は昭和34年再建のものである。境内には、紙治おさん、猪名川、佐藤魚丸の墓がある。
(1) 紙治おさんは、近松門左衛門の最高傑作の一つ「心中天網島」の紙屋治兵衛に貞節を尽くした妻として有名である。
(2) 猪名川弥右衛門は、大坂相撲の名力士である。墓石には、仁愛深く相撲にひたすらうちこみ、よく稽古をしたため、その名は天下に広まったとの意の漢文が刻まれている。
(3) 佐藤魚丸はすぐれた狂歌師で、当時もっとも世にうけた蝙蝠連(こうもりれん)という狂歌グループのリーダーとなり得意のギャグと風刺の利いた着想の妙で名をあげた。
・・・「あべの再発見」で訪問した「阿倍寺跡」の礎石が「天下茶屋公園」(安養寺の西隣)に移設保存されていますので、確認しておきましょう。
《天下茶屋公園》
557-0042大阪市西成区岸里東1-16
★「阿倍寺塔刹柱礎石」
阿倍寺は四天王寺の末寺で今の阿倍野区★松崎町にあったが、現在はここに礎石が保存されている。礎石は花崗岩でできており、白鳳時代の五重ノ塔のものと思われ、中央に柱穴を彫り、その穴の中央に舎利穴がある。
◆「是斎屋跡」
現在の天下茶屋公園が是斎屋の跡であり、公園東口の横に石碑が立っている。薬屋是斎屋は寛永年間(1624~44)近江の国の津田宗右衛門が住吉街道に面した当地へ来て「和中散」という薬を商ったのが起こりで、街道の旅人達で大いに繁盛したという。また、茶屋としても有名であった。