【比翼塚】
好きあって死んだ男女や、仲のよかった夫婦(めおと)を合葬した墓あるいは記念碑をそう呼ぶ。
【比翼の鳥(ひよくのとり)】
中国での、想像上の鳥。雌雄が各々つばさと目を一つずつもち,つねに雌雄一体となって飛ぶという鳥。男女の仲の深いこと、愛情がこまやかなことをたとえていう。羽を交(かわ)せる鳥。比翼。『山海経』「海外南経」によれば、青赤色の身体で、2羽で翼がそろって飛ぶという鳥。逆にいうと二羽そろわないと飛べないわけで、そのことが男女の仲の睦まじさをあらわす喩えにもなっている。
『長恨歌』作:白楽天
在天願作比翼鳥 天にあっては比翼の鳥となり
在地願爲連理枝 地にあっては連理の枝とならん
《長島充》
1959:千葉県市川市生まれ
1977~81:すいどーばた美術学院にて素描と油彩画を学ぶ(東京)
1981~85:創形美術学校にて各種現代版画技法を修得する(東京)
1984:創形美術学校版画科卒業(卒業制作一席、創形賞)
1985:同校研究科版画課程修了(堀井英男ゼミナール)
1985~87:同校版画科副手
1987~:千葉県佐倉市在住。 (社)日本版画協会会員 (社)日本美術家連盟会員 日本ワイルドアート協会会員 (財)日本野鳥の会会員
《NEWS》2013.2.27産経ニュースより
住大夫さん「みんなの気持ちで修復」文楽の祖・竹本義太夫の供養塔「修復抜魂式」大阪・四天王寺
「竹本義太夫などの墓で抜魂式」、大阪市天王寺区の四天王寺で抜魂式が行われ、文楽の人間国宝・竹本住大夫さんらが参加した。文楽の語り芸「義太夫節」の元祖、竹本義太夫(1651~1714)らの供養塔と墓石の修復のための抜魂式が2013年2月27日、大阪市天王寺区の四天王寺で文楽の技芸員らが参列して行われた。今年、300回忌を迎える竹本義太夫は江戸時代、道頓堀に芝居小屋「竹本座」を創設、近松門左衛門と組んで「曽根崎心中」など多くの名作を送り出した。同寺には、没後まもなく建立された供養塔や、二代目を襲名した竹本播磨少掾の腹帯を納めた石塔などがあるが、劣化が激しく破損や倒壊の危機にさらされていた。今年1月、事態を憂慮した技芸員らが「先人の墓石が自分たちの代で壊れてしまっては申し訳ない」と、修復資金のための追善公演を企画、国立文楽劇場(大阪市中央区)でも募金活動を行っていた。この日、抜魂式に集まったのは人間国宝の竹本住大夫さん(88)ら技芸員約30人。神妙に供養塔に手を合わせた住大夫さんは「義太夫さんは文楽の祖。みんなの気持ちで修復できるのはありがたいこと。これを機にもっと勉強して文楽を発展させていきたい」と話した。7月中旬に修復を終え、8月に開眼式を行う予定。
【初代竹本義太夫師三百回忌記念行事】
http://www.ntj.jac.go.jp/topics/bunraku/25/3009.html
竹本義太夫及び浄瑠璃界先師墓石修復資金勧進事業「事業報告書」をお配りしています。人形浄瑠璃文楽座因講では、竹本義太夫三百回忌追善・竹本義太夫墓石修復資金勧進特別公演及び浄瑠璃界先師墓石修復資金勧進事業を行い、多くの皆様の暖かいご支援により墓石等の修復を実現するとともに、★2013年8月28日に初代竹本義太夫師三百回忌法要等を執り行うことができました。この度、一連の事業を「事業報告書」にまとめ、国立文楽劇場2階ロビーにてご自由にお持ちいただいております。11月文楽公演期間中(11月2日~24日)のみの配布です。ご観劇の際は、ぜひお持ちください。
「浄瑠璃(義太夫節)界先師石塔群」について詳しい報告が15ページ近くにわたって記載され、それぞれ供養等の概略・来歴に加えて、図や写真なども盛り込まれ、墓石や供養塔の説明と同時にそれぞれの人物についても概要がわかるようになっております。それらの情報の一部は、『増補浄瑠璃大系図』より転載されたとのことです。
《浄瑠璃大系図》竹本筆太夫・近松春翠子/刊:天保13年
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2533814
《増補浄瑠璃大系図 上・中・下〈演芸資料選書6〉》著:四代目竹本長門太夫/刊:国立劇場芸能調査室
本書三冊は、四代目竹本長門(長登)太夫(1814~1890)著『増補浄瑠璃大系図』全22巻の新訂版です。本書は、人形浄瑠璃文楽に従事した、作者・太夫・三味線弾き・人形遣いの師弟関係を系譜の形式に整理した著作物で、その収録範囲は人形浄瑠璃草創期の頃から、所謂、古浄瑠璃期を含み、義太夫節台頭期から明治初期までが含まれています。著者が生きた19世紀後半の人物に関する記述が最も充実しています。江戸時代初期から明治初年に至るおよそ300年の人形浄瑠璃従事者について、その膨大な師弟関係が整理され、系統付けられている本書は人形浄瑠璃の人物情報源であり、人物事典です。
【浄瑠璃(義太夫節)界先師石塔群】
和宗総本山「四天王寺」 http://www.shitennoji.or.jp/
543-0051大阪市天王寺区四天王寺1-11-18/06-6771-0066
これらの石塔類は、能楽・歌舞伎と並んで日本の三大国劇の一つと呼ばれる。大阪で生まれた「人形浄瑠璃」(現在の文楽)界の功労者を顕彰するために、四天王寺境内に門弟等によって建立された供養塔である。当初からこの様な一群であった訳ではなく、近年において判明しているだけでも1925年6月,1933年7月に整備されたものであるが、江戸時代の著名な芸能者の供養塔がこの様な形で集まっているものは珍しく、又貴重なものである。
○初代豊竹若太夫供養塔(1681~1764)
○二代竹本義太夫供養塔(1691~1744)
○初代竹澤彌七墓石(?~1754)
○初代・二代竹本春太夫墓石(初代?~784)、二代(?~1790)
○初代鶴澤清七供養塔(?~1826)
○文正翁曲帯塚
○豊竹此太夫夫妻宝塔
四天王寺境内には、他にも義太夫三味線の元祖「初代竹澤権右衛門の碑」や「人形遣いの碑」などがある。
《参考》オクダ工芸
(本社)京都府宇治市莵道只川17
(営業所)京都市上京区阿弥陀寺前町31(寺町今出川上ル)/075-741-6993
http://www.okudakogei.co.jp/signboard/board.html
ステンレス製の案内表示板です。人形浄瑠璃文学でも知られる、初代竹本義太夫300回忌に伴う、墓石(★超願寺)・供養塔(★四天王寺)の修復工事の際、案内板を設置させて頂きました。
・・・「初代竹澤権右衛門の碑」は元三大師堂の墓所にありました。