直木三十五(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《榎木大明神》大阪市中央区安堂寺町2-3

坂の途中にあります。「榎さん」と親しまれていますが、正しくは槐えんじゅです。エノキとエンジュを間違って名付けたようです。巳さん(白蛇)を祀っています。大戦中の大空襲ではこの木のところで延焼が止まり、これも霊験として伝えられています。大阪市は何度も伐採を試みたそうですが、そのたびに不慮の事故が起こり断念したそうです。楠木正成のお手植えとの伝説もあり、樹齢約650年といわれています。直木はこの榎大明神の下で遊び、育ちました。文学碑は代表作『南国太平記』の一節が刻まれています。坂を下れば長堀通りです。


がくひ1


《参考》熊野街道

熊野街道は榎木大明神の手前でいったん東へ折れ、その先でさらに南へと続きます。往時にはこの榎木大明神の近くまで入り江が来ていて、その入り江を迂回する形で街道を通したというのがその理由のようです。現在、「御祓筋」と呼ばれる道榎木大明神を越えて南行し、その先の商店街近辺まで進んでいます。榎木大明神の前で熊野街道と御祓筋が分かれています。「御祓筋」という名前は平安末期、後白河法皇、後鳥羽上皇等が熊野詣をする際にお清めし、お祓いをしたことに由来するといいます。


がくひ2


直木三十五文学碑】大阪市中央区安堂寺町2-3★大明神横

http://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000058585.html

直木三十五(本名植村宗一)は、1891年(明治24)大阪市南区内安堂寺町通丁目(現中央区安堂寺町丁目)に生まれ、昭和年(1934)月24日死去した。桃園尋常小学校(現桃園小学校)、育英第一高等小学校(昭和12廃校)、市岡中学校(市岡高等学校)を経て、早稲田大学英文科にすすんだ。大正11年31歳のとき、植村の植の字を二字にして直木とし、年齢の三十一を用いて「直木三十一」のペンネームで『時事新報』に執筆。以後、年齢がふえるごとに筆名を改め、三十四をとばして三十五でとどめた。大正12年『文芸春秋』の発刊に加わって、毎号辛辣な世相批判、文壇ゴシップ等を発表、初期の『文芸春秋』は直木の記事で売れたと言われた。同年、関東大震災を期に大阪へもどり、月刊誌『苦楽』に仇討ものを次々と発表。大正15年には、江戸川乱歩、長谷川伸らとともに『大衆文芸』の創刊に加わり、新しい大衆文芸の創造を目ざした。昭和年「由比根元大殺記」を発表。翌年「南国太平記」を新聞紙上に連載して、大衆文芸に新風を吹き込んだ傑作と評価され、文壇での地位を確立した。その後「荒木又右衛門」「楠木正成」「足利尊氏」「源久郎義経」などの作品を次々と発表したが、長い不遇の中から得た栄光の時は短く43歳で死去した。昭和10年、功績をしのび「直木賞」が設けられた。「南国太平記」は、薩摩藩のお家騒動を素材にした小説で、碑文は、藩主島津斉彬の遺志を継いで、将来に飛躍しようとする市蔵と吉之助、即ち後の大久保利通と西郷隆盛とが決意を述べている場面である。墓所は、横浜市金沢区富岡東三丁目にある長昌寺。

《参考》「南国忌」2月24日

小説家・直木三十五(18911934)の忌日。その名称(文学忌)は、幕末の薩摩藩を舞台にした代表作『南国太平記』にちなんでいる。直木は戦前の大流行作家で、才人とも奇人とも言われる。稼いだ金を湯水のように使い、亡くなったときにはまったく残っていなかった。横浜の旧宅前に建てられた文学碑には「芸術は短く、貧乏は長し」と刻まれている。


がくひ3


南国太平記》青空文庫

http://www.aozora.gr.jp/cards/000216/files/45567_26392.html

「きっと なせる 市蔵」

「なせる」

大久保市蔵はそういってうなずくと

吉之助の手を握った

軽輩のすべては同じ心で

磯浜を桜島を眺めていた

・・・直木三十五「南国太平記」より

《参考》1994『別冊太陽青山二郎の眼』刊:平凡社

直木三十五の長篇『南国太平記』の前篇が出たのは、1931年(昭和月で、四六判箱入の上製本。装幀者の記載はなく、中篇の中扉の対向に〈装幀・挿絵岩田専太郎〉と印刷されている。この『南国太平記』がおよそ四百種に及ぶ青山二郎装幀本の第一作である。


がくひ4


《楠大明神》大阪市中央区谷町6-3

道路上に残された樹木は近くにもあり、「楠大明神」と呼ばれています。道路の中央にあり、クスノキは排気ガスの影響などからか残念なことに枯れてしまいました。かっては本照寺の境内にあったクスノキでしたが、道路の拡張で取り残されたものです。やはり、切ろうとするとたたりがあるから切れなかったようです。


がくひ5


・・・このような「街角大明神」はあちらこちらにあります。科学技術が進歩した時代にあって、ほんとに微笑ましい風景です。