・・・調べものでスッキリしただけに、正面玄関から入館できなかったことが、よけいに悔しくて残念でなりません。
《NEWS》2004.2.29四国新聞社より
開かずの扉★50年ぶり開く/中之島図書館正面玄関
明治の洋風建築で、国の重要文化財に指定されている大阪府立中之島図書館(大阪市北区)の正面玄関の扉が2004年2月29日、50年ぶりに開かれ、抽選などで選ばれた約1000人が扉から館内に入った。開扉は中之島図書館100周年記念事業の一つで、1954年の50周年記念以来。正面玄関では、大阪センチュリー交響楽団金管アンサンブルがファンファーレ。昔の写真や記録がなく「開かずの扉」となった時期や経緯は分からないという。ギリシャ神殿風の建物正面にある木製の玄関扉は開館当時のまま。普段は内側からかんぬきがかけられ、利用者は玄関前の石段両脇にある出入り口を使っている。正面玄関が「開かずの扉」になった経緯は資料がなく不明だが、終戦直後の47年、連合国軍総司令部(GHQ)傘下の民間情報教育局(CIE)が同館に洋書図書室を設置した際には開放していた時期があったという。同館一般資料課長の前田章夫さんは「玄関内部は狭く、すぐホールにつながっている。前の通りが未舗装だったので土砂が入るのを嫌ったためではないでしょうか」。市民から開放の要望は多いが、内部の床や石段の強度に不安があり難しいという。記念式典での入場希望者が多かったため、同館は6月にも再度希望者を募って開放日を設ける予定という。
《向井教育長定例記者会見:平成27年4月17日(金)》
就任当日の4月1日に、今年で開館111年を迎えた中之島図書館の正面玄関の扉開きの式典に出席いたしました。テープカットの後に★54年ぶりに正面の大きな木製の扉が開かれ、合唱団による祝福の歌が館内に響き渡りました。今後、この中之島図書館は、中之島エリアの魅力向上の一環として、その建物の魅力、また歴史的に貴重な書物の活用、また、カフェスペースを設けるなど、大阪の文化のシンボルとして、大阪府民はじめ国内外から愛される図書館をめざしてまいります。
《府立中之島図書館の開館について》
大阪府立中之島図書館は、本を借りる、資料を調べるだけの従来型の図書館から、文化を創造・発信する図書館、わくわくするエンターテイメント性のある図書館に生まれ変わるため、2015年8月から11月までの間、臨時休館し、リニューアル工事を進めてまいりました。このたび、リニューアル工事の一部として実施していました大書架設置(3階)、記念室改修(3階)、トイレ改修(1階)の館内工事が竣工することから、2015年12月1日(火曜日)より開館いたしますので、お知らせします。なお、図書館は開館いたしますが、引き続き館内及び館外での改修工事を★2016年3月まで予定しておりますので、安全にご利用いただくためにも、皆様方のご理解とご協力をお願いいたします。
《2015年12月から2016年3月の改修工事》
・外壁の軒廻り及び樋の補修工事
・指定管理者(多目的スペース)及びカフェ事業者(2016年4月オープン予定)による改修工事
【大阪府立中之島図書館「記念室」】
http://www.sumitomo.gr.jp/contribution/index01.html
浅井忠の3点の油彩画、そしてこの図書館の建設資金を全額負担した住友春翠のレリーフが飾られています。同図書館は、その後も蔵書が増加したため、さらに春翠の寄付によって、1922年(大正11)に図書館両翼の拡張工事も行われていました。その際に、現在のホールに彫像が設置され、記念室も再整備されて、今日の姿になったといいます。そして、浅井忠の3点の作品は、図書館が竣工したその年(1904)に、住友春翠かが寄贈したものなのです。その後1906年(明治39)京都に関西美術院が開設され、浅井忠が初代院長となった際にも、春翠は、その校舎の建設資金として1000円を寄付し、この校舎は今もその姿を残しています。住友春翠は、東の黒田清輝、そして西の浅井忠という、わが国の洋画の展開において重要な位置をしめる二人の指導者に、可能な限りの支援を行い、そのことがわが国の洋画の土壌を築く上で、重要な役割を果たしていたのでした。
・・・お隣の「中央公会堂」の展示室には、図書館の図面などが展示されていますので、あわせて見学するのがおススメです。さてさて、再度「府立大阪博物場案内図」にもどりますが、重要な発見がありましたので報告しておきます。
・・・なんと「釣鐘」が置かれているではありませんか。この「釣鐘」は、かの有名な「釣鐘」に違いありません。