・・・土屋さんに関して、できるだけ多くの情報を集めてみました。
【土屋壽満】
スマ・プライト・アート研究所主宰、日本現代美術家連盟会員、民族芸術学会々員、サロン・ド・フィナール協会々員、日本建築美術工業協会々員、総合デザイン協会々員、大阪芸術大学講師。ホテル日航大阪、六本木サントリーコンサートホール、北京市、上海市等々に作品が展示されている。
★大阪市住吉区の街情報リンク集より
「スマ・プライト・アート研究所」
URL http://www.art-tuchiya.com/ 閉鎖されていました。
■三重県上野市に生まれる。
上野市は合併により2004.11.01から伊賀市になりました。
■三重大学卒業。
新制「三重大学」は、1949年(昭和24)5月31日、三重師範学校・三重青年師範学校・三重農林専門学校を母体として発足し、学芸学部・農学部を設置しました。
※1942年(昭和17)生まれ・1948年(昭和23)三重大学卒業と書かれている資料を発見しましたがアリエナイ、どちらかが間違っている・もしくは両方間違っていることになります。
《参考》博物館明治村「三重県尋常師範学校本館・蔵持小学校校舎」
明治19年(1886)の師範学校令により、東京に高等師範学校が、又各県に一校ずつ尋常師範学校が設けられることになった。尋常師範学校は小学校教師の養成を目的としており、国民皆学の基礎となったものである。明治21年に三重県の尋常師範学校本館として建てられたこの建物は、昭和3年(1928)、本館の改築に伴い県下名張市の蔵持村に売却・移築され、蔵持小学校として使われていた。明治村で保存公開されている三重県庁舎と同じ清水義八の設計になり、三重県庁舎と同様、E字形左右対称二階建であったが、昭和48年(1973)明治村に移築保存するに際しては、特色ある中央玄関部分と右翼の二教室分のみを遺した。
・・・伊賀上野にも行きたくなってきました。
■1964年(昭和39)光による絵画、「スマ・ブライト・アート研究所」を創設。創作活動を始める。
・・・前回も書きましたが、「スマ・ブライト・アート研究所」は大阪市住吉区にあったようなので、この頃に?三重県上野市(現・伊賀市)から大阪市住吉区に移ってこられたということになります。
■1970年(昭和45)
日本万国博覧会★「生活産業館」を初め、各種建造物・施設の空間映像絵画を制作。
《参考》
※乃村工藝社「博覧会資料コレクション」
http://www.nomurakougei.co.jp/expo/exposition/detail?e_code=600
※「大阪有名大店会」
542-0083大阪市中央区東心斎橋1-15-27白水社ビル/06-6484-7096
http://www.yumei-daiten.com/profile/profile03.html
※「タマノイ酢」
639-1038 奈良県大和郡山市西町100/中央研究所0743-56-1338
http://www.tamanoi.co.jp/company/info/history.html
※日本産業館通信「大阪万国博(1970)の生活産業館」
http://www.lailai-web.sakura.ne.jp/sangyoukan_091214/this_is_japan_news/sakaiya/2008_11_04.html
・・・万博にも関わっておられたとはスゴイ、「生活産業館」の隣には専売公社「虹の塔」が建っていました。「虹」をモチーフにしておられた土屋さんとの「縁」を感じます。つづく