街角ミュージアム(14) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《NEWS》2016.1.20東大阪経済新聞より

鴻池新田会所で江戸~昭和の民具展示両替商で使ったそろばんも/大阪


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国指定史跡・重要文化財の鴻池新田会所(東大阪市鴻池元町06-6745-6409)乾蔵で1月13日、鴻池家寄贈民具展「むかしの道具いろいろ」が始まった。江戸時代の豪商・鴻池家と鴻池新田会所で江戸時代の終わりごろから昭和までに使われた道具を展示。地域の小学3年生が3学期に学ぶ授業の内容に合わせ、毎年開催している。蔵には、江戸時代に使われていた嫁入り籠や明治時代の人力車、大正時代の写真機や腰掛け体重計、電話機など60点の道具が並ぶ。会所では両替商もしていたといい、明治時代の七つ玉そろばんやさおばかりなどの両替道具もある。「特別にあつらえたものでは」という、漆塗りや家紋入りの火鉢、上部に加湿器が付いた昭和初期の電気暖炉などの珍しい道具もそろえた。


かいしょ2


見学に来ていた東大阪市立荒川小学校の児童らは学芸員の話を聞いた後、個々にショーケースをのぞいたり体重を量ってみたりするなど、興味深そうに展示物を観察。「カメラの画像が逆さに見える」「時間の数だけ時計の音が鳴る」などと言いながら、昔の道具を体験した。「鴻池家は購入日や修理日を台帳につけて管理しており、修理をしながら物を大切に使っていたので状態がいい」と学芸員の別所秀高さん。開館時間は10時~16時。入館料は、大人=300円、小・中学生=200円。月曜・祝日の翌日休館。月28日まで。


かいしょ3


《新田会所》

http://www.city.osaka.lg.jp/suminoe/page/0000066283.html

大阪の歴史的発展を語る上で、江戸時代に行われた大和川の付け替えとその後の新田開発は非常に大きな役割を果たしています。たびたび氾濫を起こしていた大和川は、1704年(宝永元)流路をほぼまっすぐ西に向ける形で付け替えられました。この大事業は、今米村(現東大阪市)の庄屋・中甚兵衛らの嘆願により、幕府による直轄事業として、当初の見込みよりもはるかに短い約カ月の期間で、延べ2百数十万人を動員して完成させました。

 このことを契機に、旧大和川の周辺や海岸部、内陸の浅瀬などを農地に変える新田開発が盛んに行われました。その際に新田開発の拠点となり、のちに小作人からの年貢米徴収・貯蔵や新田の堤防・水路などの維持管理業務、役人への応対などを行う場として「会所(かいしょ)」という管理事務所が設けられました。現在、大阪府下では、東大阪市鴻池新田会所跡、八尾市安中新田会所跡(旧植田家住宅)、大阪市住之江区加賀屋新田会所跡のつが公開されています。同一の府県内でか所も遺構が公開され、実際に見て歩けるということは歴史的にも非常に意義深いことです。また、鴻池新田会所跡は国の重要文化財にも指定され、安中新田会所跡・加賀屋新田会所跡はそれぞれの市の文化財・史跡に指定されています。これらは、単に新田開発の遺構というだけでなく、江戸時代中期の趣深い古建築群や回遊式の庭園を備えるなど、新田開発を支えた豪商などの文化的志向なども垣間見える貴重な歴史景観を今に伝えています。

・・・さて「鴻池新田」から南下(★東大阪市下小阪3-11-18)したところに「司馬遼太郎記念館」もありますが、次のような話があります。


かいしょ4


《「新撰組血風録」著:司馬遼太郎》

近藤に対する一種の皮肉や諧謔を交えた話・・・近藤は自分が贋物の虎徹を掴まされたとも知らずに剣を振るっていたが、或る日、鴻池から真物の虎徹を譲り受ける。しかし、真物の虎徹で斬りあいに及んだ時にはまるで相手を斬り伏せられない。実はその時の相手が鎖帷子を着込んでいたため、刃が通らなかったのだが、近藤はそんな事情を聞かされても納得できない。贋物の方の虎徹こそ真物だと思い込もうとする、近藤勇という男の愛すべき稚気と武骨さと単純さを描いています

新選組局長・近藤勇は、講談などでの決め台詞「今宵の虎徹は血に餓えている」が広く知られている。どのようにして手に入れたかについては諸説ある。子母沢寛の『新撰組始末記』では「江戸で買い求めた」「鴻池善右衛門に貰った」「斎藤一が掘り出した」の三説を挙げている。司馬遼太郎の小説『新撰組血風録』の中では、つの説全てを取っており、近藤は本の虎徹を所有していたとしている。つまり、江戸で買ったのが偽虎徹であり、鴻池からもらったものと斎藤が掘り出した真の虎徹が計本、近藤が常用したのは偽虎徹となっている。水木しげるは近藤の伝記漫画『近藤勇星をつかみそこねる男』の中で、「本物の虎徹だと信じ込んでいたからよく切れたのだ」という解釈を述べている。京都時代、大坂の豪商鴻池の京都別邸に賊が入り、それを取り押さえた際に、謝礼としてもらったという話もありますが、近藤の刀は、近藤の死後にどこかの神社に奉納されたようで、現在は行方不明だそうです。


かいしょ5


・・・さすが「鴻池」、落語や小説などに採り上げられてこそ「豪商・財閥」です。