【2011「本町南ガーデンシティ」】/設計:日建設計
541-0057大阪市中央区北久宝寺町3-6-1(本町南ガーデンシティ)06-6245-6500
鴻池ビル跡地に建設された高さ111mの超高層オフィスビル。 基準階面積は約416坪。竣工から1年以上オフィステナント未入居の状態が続いたが、2012年7月に鉄鋼系商社の阪和興業の大阪本社が仮移転。2013年8月★「鴻池組」は本社・本店が再入居した。2013年12月★飛行船の「メットライフアリコ」生命保険の近畿・北陸地区営業統括部署であるAG 近畿北陸リージョナルオフィスが開設された。 ほかにも生命保険会社のコールセンターなどが入居する。 1階の店舗フロアには女性向けスポーツサイクルショップ「リブ/ジャイアント大阪」と★「ランボルギーニ大阪」がオープンしている。
※ランボルギーニ
http://www.lamborghini.com/jp/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/
・・・ついついウットリ眺めてしまいます、カッコイイ。さて「御堂筋」までやってきましたが、そもそも「鴻池」とは?
【664-0006兵庫県伊丹市鴻池1~7(摂津国川辺郡鴻池村)】
http://www.city.itami.lg.jp/shokai/sansaku/
摂津国川辺郡鴻池村は鴻池直文(新六)を祖とする鴻池財閥発祥の地として知られる。新六は慶長年間に清酒醸造法の鴻池流を確立し、鴻池流の流れを汲む伊丹酒は江戸時代後期に灘五郷が台頭するまで長く清酒の代表格と言える存在であった。1889年(明治22)、町村制施行に伴い川辺郡長尾村の大字鴻池となる。酒造業が下火になって以降は近隣の荒牧や山本と同様に園芸が盛んになり、1927年(昭和2)には苗木の燻蒸室が設けられた。1942年(昭和17)北東部の土地が接収され陸軍獣医資材支廠長尾分廠が置かれる。この土地は戦後の1951年(昭和26)頃までに民間へ売却され、1970年(昭和45)鴻池から分離されて北野1~5丁目となった。長尾村は1955年(昭和30)3月10日に全域が宝塚市へ編入合併されたが、3週間後の4月1日には南部の荒牧・鴻池・荻野・大野が宝塚市より伊丹市へ移譲された。2007年(平成19)大字鴻池の全域と大字荒牧に最後まで残った5つの小字において住居表示を実施し、鴻池1~7丁目の町丁が設定される。
【鴻(ヒシクイ)】
町内にある西池および黒池(現在の鴻池第一公園)に鴻(ヒシクイ)が群れを成していたからとも「こうのいけ」の「こう」は国府を指し、摂津国の国府を当地に移す計画があった名残であるとも言われる。
・・・さて、大阪にもどって「鴻池新田」へ。
【鴻池新田会所】
578-0974東大阪市鴻池元町2-30/06-6745-6409
http://www.bunkazaishisetsu.or.jp/kaisho/
鴻池新田会所は、江戸時代に豪商鴻池家が開発した新田の管理・運営をおこなった施設です。江戸時代中期以来の古建築群と庭園、鴻池家から寄贈された民具類を現代に伝えています。近代的な市街化が進んだ東大阪市周辺に残る数少ない歴史的建造物群のひとつです。10,662m2の 会所敷地は国の史跡で、本屋、屋敷蔵、文書蔵、米蔵、道具蔵と江戸時代の本屋座敷の棟札、米蔵の御札は重要文化財です。会所は通年公開されています。とくに春と秋には鴻池新田と河内平野の歴史にちなんだ特別展示や歴史講演会、伝統芸能観賞会、などを開催しています。米蔵では鴻池新田についてパネル解説し、道具蔵では農具類を中心とした民具を展示しています。蔵の前には、かつて新田の水路を往来した舟や河内 木綿の畑があります。春には綿の種をご観覧の方々に配布しています。