博物場(18) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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【明治】

1875(明治8)府の上申を受けた内務卿の創設指令により、大阪府庁移転後の旧西町奉行所施設を転用して「大阪博物場」の名称で開設。

・1879(明治12)大阪府の直営となり「公立大阪博物場」と改称。

・1881(明治14)「府立教育博物館」を併合。

・1884(明治17)「動物園」を併設して「大阪府立博物場」と改称。「絵画品評会」開催。(のちの「美術館」建設につながる)

・1886(明治19)隣接地2600㎡を買収して「事務所」「物品陳列所」などを増築。

1888(明治21)「大阪府立博物場・美術館」開館(場長:天野皎)

※「大阪府立博物場中央館(美術館)」と括弧書きで表記される場合もある。

・1890(明治23)「大阪府立商品陳列所」が貿易を主眼に置いた商業博物館を模範としながら工業奨励をもうひとつの使命として、堂島河畔「朝館」跡地に開所した。陳列所には商品陳列室荷造法(パッケージ)参考室広告室等の施設が設けられ内外産品の収集展示分析試験陳列品の貸渡および分与を行った。また同所では早くも1891年に図案課を設けている。以来国と同様に大阪府においてもデザイン振興はおおむね貿易行政の中に位置付けられてきた。

1909(明治42)7大阪市北区大火により府立商品陳列所大部分焼失仮事務所へ移転

1902(明治35第5回内国勧業博覧会準備のため大阪市役所に数名の図案家が集められ大阪図案調整所が設置された。1907(明治40)解散。ここには、深田藤三郎、大森、森田らがいた。深田はその後深田図案研究所設立

・1903(明治36)「第5回内国勧業博覧会・美術館」、博覧会閉会後も「美術館」「市民博物館」として用いられた。

【大正】

・1914(大正3)「大阪博物場」が「府立商品陳列所」と統合される。

1916大正5)「大阪府図案及工芸品展覧会開催

・1917(大正6)「府立商品陳列所・図案館」と併合され「美術館」は閉館。

1917大正6)8.16大阪毎日新聞より・・・又旧美術館は陳列所図案館として博物場より分離し又西北隅百五十余坪の敷地は懐徳堂の所有地となれるを以て府立博物場は僅に衆楽館と之に附属する能楽堂及び茶室を存するのみにて事実上その存在を失えるに等しく一見又その全部を陳列所に占領されたるの観あり然れど府令の表面は博物場商品陳列所も共に独立したる二箇の営造物として現に其職制を存し居れり其博物場が将来陳列所に併合さるべきものなりや否やに就ては当局者間に於ても多少の議論を存せるものの如し

・1918(大正7)「大阪市中央公会堂」竣工。

・1920(大正9)美術振興策として「美術館」建設が議決され1923(大正12)を開館予定としたが、大幅に建設が遅れる。

1921(大正10)1月から1922(大正1110月まで芹澤銈介年間大阪府立商品陳列所に技師として勤め、内外の図案の動静を業者に伝えるなど講演を行う。

1922(大正11)府立商品陳列印刷文化展覧会開会

1925(大正14)大阪市は東成郡・西成郡を合併し、大規模な市域拡張を行いました。これにより大阪市は当時の東京市を人口・面積で抜き、日本第一の規模の都市となったのです。いわゆる大大阪の時代の始まりです。これを記念して大阪毎日新聞社(現毎日新聞社)は同年3月15日から4月30日まで「大大阪記念博覧会」を開催しました。主な会場は天王寺公園と大阪城。大阪の現状や未来の姿を「パノラマ館」や「参考館」など、様々なパピリオンで展示し、その入場者数は天王寺会場で128万人を数えました。

【昭和】

1929(昭和4)「大阪府工業奨励館開設

1930(昭和5)「大阪府立商品陳列所大阪府立貿易館と改称

戦時中は貿易関係業務が集約され、南方資源調査などに当たることから大阪南方院という名前なります。戦後、大阪府立貿易館が復活しましたが大阪府の機構改革に伴い、1987(昭和62)廃止。

1932(昭和7)同館に輸出雑貨の高級化と国民生活の向上を目的として工業産業奨励部設置デザイン指導の強化をはかりこれが後の工業技術研究所デザイン部へ受け継がれ工業分野の研究指導に当たった。

・1936(昭和11)「大阪市立美術館」開館。

・1948(昭和23)1年制の各種学校として大阪高等貿易講習所が建てられた。当時、日本で唯一の公立の貿易実務分野の専修学校貿易実務や国際ビジネスについて学ぶ大阪府立の年制の専修学校大阪府立貿易専門学校は、2004(平成16)廃校。

1976(昭和51)「繊維技術研究所において繊維工業部門のデザイン指導開始

1983(昭和58)「デザイン指導室へと展開された。

1987(昭和62)「府立産業デザイン研究センターが設置され貿易館工業技術研究所繊維技術研究所のデザイン部門はここに統合事業は再編拡充される。

・・・その後「府立商品陳列館」は「府立貿易館」となり「国際見本市会館」に改築されるに際して、1937(昭和12)「博物場美術館」が取り壊される。


せいり


・・・こんな素敵な図式(識)を見つけました。これにて頭はスッキリ整理できました、やれやれ。