博物場(11) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・小西酒造/小西新右衛門・業茂は、自邸に能舞台をつくるほどの演能者。その「能舞台」が「赤穂大石神社」に寄贈されていたことがわかりました。さらに、小西家旧蔵面の一部が現在彦根城博物館に所蔵されていることも判明しました。

赤穂大石神社

678-0235兵庫県赤穂市上仮屋旧城内0791-42-2054

大正元年赤穂四十七義士並びに中折の烈士萱野三平を主祭神として赤穂城三の丸大石内蔵助、藤井叉左衛門両家老屋敷跡に鎮座しています。その後浅野家三代の城主長直・長友・長短の三侯、浅野家断絶後の城主森家の遠祖、本能寺の変で亡くなった森蘭丸等七代の武将を合祀しています。ご祭神大石内蔵助を始め四十七義士が1年10ヶ月の間苦労を重ねお殿様の仇を討ったことにより「大願成就」「心願成就」の神として全国の方々より崇敬を集めています。小西家の能舞台は昭和24年6月、赤穂城内の大石神社に寄進された。移築された時は、橋懸かりと渡り廊下で、国の史跡となっている大石邸(大石内蔵助)長屋門とつながっていたが、昭和46年、文化財保護法に基づいて分離された。


ひこね1


NEWS2011.11.1赤穂民報より

http://www.age.ne.jp/x/satomako/nenpu13.htm

上仮屋の大石神社(飯尾義明宮司)で2011年11月1日、62年前に境内へ移築された能舞台の修復完成式が行われた。神社総代と関係者約40人が完成を祝った。社史によると、昭和241949伊丹白雪酒造小西新右衛門氏より赤穂大石神社へ能舞台1棟並びに掛りなど1式を寄贈す。能舞台は池泉に面して移築、橋掛りは大石邸長屋門に連絡して掛けられる。これにより絵馬殿移転、長屋門に設けられていた義士宝物陳列所は閉鎖され、以後は遺物社宝収蔵庫となる。当時は地元の文化団体によって能楽師を招いた公演も開かれた。その後は結婚式写真場、書庫として使われていたが、来年に神社創建満100年を迎えるのを機に、「再び伝統文化の発信拠点に」と修復を手がけた。2011年3月に着工。老朽化した部材は取り替えたが、老松と若竹が描かれた鏡板、四隅の柱、音響をよくするために床下に据え付けられていた大きな甕5口などはそのまま活かした。5、6歳のころに子方として同神社の能舞台に立った記憶があるという姫路市の能楽師江崎金治郎さん(67)=重要無形文化財総合指定保持者=も式典に出席。「先々代と先代に連れられ、舞台の周りで遊んだ思い出がある。こうして復活し大変感慨深い」と懐かしそうに振り返った。この日は女性3人組ユニット「iroha」が二胡と尺八、ピアノを演奏。飯尾宮司は「これからも能、狂言をはじめ、文化活動の場として幅広く活用していきたい」と話している。


ひこね2


NEWS2012.9.23赤穂民報より

忠臣蔵の新作能が初上演

今年で鎮座満100年を迎える上仮屋の赤穂大石神社(飯尾義明宮司)で23日、能楽史上初めて忠臣蔵を題材にした新作能「大石」が初上演された。かがり火が焚かれる中、拝殿前の特設舞台で約650人の観客が幽玄の美を堪能した。大正12年(1923)に作られた同名の謡曲を福王流ワキ方江崎家の11江崎金治郎さん(68)=重要無形文化財総合指定保持者=が数年がかりで翻刻。観世流シテ方の大西智久さん(74)、礼久さん(44)親子が型を付けた。義士たちの冥福を祈る華岳寺住僧の夢の中に大石内蔵助の霊が降臨し、討ち入りの場面を再現するという筋書き。厳かな前半とは打って変わり、後半は本懐を遂げるまでの様子が緊迫感のある立ち回りを交えて演じられた。黒を基調とした装束で現れた内蔵助の堂々とした所作に観客の視線が集まった。住僧を演じた江崎さんは「ご当地での初演を果たすことができ、ほっとした。みなさんのご協力のおかげ」と満足そうな表情。飯尾宮司は「節目の年にふさわしい舞台とすることができ、ご祭神の義士たちも浮かばれる」と話していた。同神社の薪能は4回目。人気狂言師野村萬斎さん(46)による狂言「成上り」も上演された。


ひこね3


◆【彦根城博物館】◆

522-0061滋賀県彦根市金亀町1-1/0749-22-6100

http://hikone-castle-museum.jp/collection/collection03

彦根城博物館は、昭和62年(1987)2月、彦根市の市制50周年を記念して、彦根城表御殿跡地にその復元の兼ねて建てられた博物館です。彦根は、彦根城を中心とする城下町として栄え、数々の歴史・文化を育んできました。代々彦根藩主を勤めた井伊家には、このことを物語る豊富な美術工芸品や古文書が伝えられてきました。その数は約4万5千点にのぼり、現在、それらは彦根城博物館所蔵資料の中核となっています。その他、彦根および彦根藩に関する資料も収集しており、収蔵資料は8万6千件を超えます。


ひこね4


15代井伊直忠】(1881~1947

旧彦根藩主井伊家の第15代当主、伯爵。最後の藩主だった井伊直憲の長男。母は井伊宜子(有栖川宮幟仁親王の王女)。東京生まれ。後に彦根市長を務めた井伊直愛の父生涯の大半を★「に打ち込み、東京の麹町にあった本邸に★「能舞台を構え、初世梅若万三郎(18681946)や二世梅若実(18781959)に師事し、能の実力はかなりのものだったという。しかし、関東大震災で本邸が焼失すると角筈にあった別邸に再度能舞台を造り、能道具の収集等を行った。現在、彦根城博物館にある能面や装束は直忠が収集したという。1944年(昭和19年)、彦根城を彦根市に寄贈し、現在に至る。


ひこね5


【NEWS】2015.9.23朝日新聞デジタルより

井伊直弼ゆかりの能と狂言、彦根城舞台で上演

幕末の大老で彦根藩主だった井伊直弼の生誕200年を記念し、直弼ゆかりの能と狂言が2015年9月22日、彦根市金亀町の彦根城能舞台で演じられた。直弼自作の能は近江国坂田郡(現米原市)の筑摩神社の伝承を元にした「筑摩江」。この日は当時の抱えだった★喜多流が素謡で上演した。また能「竹生島」も直弼が好んだと伝わる演出で披露。シテ(主役)の粟谷能夫が、舞台上で老人から弁財天への早変わりを見せた。直弼が自作した狂言「鬼ケ宿」を演じたのは大蔵流13世茂山千五郎。1860(安政7)年、江戸の彦根藩邸で9世千五郎が初演し、その数日後に桜田門外の変で直弼は暗殺された。「9世は命からがらで京都へ逃げ帰ったそうです」と当世千五郎は伝える。11月1日には同じ舞台で直弼作の狂言「狸腹鼓」の上演が予定されている。


・・・あきらめずにコツコツ調べると、いろいろ分かってくるから、ますます知的好奇心、というよりハマリますねえ。脱線・寄り道ばかりですが。