イケフェス大阪(8) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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◆「阪堺電車」

http://www.hankai.co.jp/

大阪市施行の阿倍野地区市街地再開発事業に伴う都市計画道路長柄堺線(阿倍野筋)拡幅整備により、当社阪堺上町線の移設工事を行うこととなりました。また交差点等を除く区間には併せて軌道敷の緑化も予定しています。

工事区域:阿倍野区阿倍野筋1丁目地内~阿倍野筋4丁目地内

工事期間:平成27年7月下旬平成2912月下旬


さなだ1


■「あべのキューズモール」

545-0052大阪市阿倍野区阿倍野筋1-6-1/06-6556-7000

http://qs-mall.jp/abeno/

◆「みんなの魚」作:薮田洋嗣

http://www.eonet.ne.jp/~bamboofish/index.html/index.html

兵庫県在住。ドローイングやオブジェを作るアーティストです。作品の発想はじっくりネイチャーウォッチングすることから得ています。子どもの頃から生き物を観察することが大好きでした。 自然を身近なところに感じることが楽しく、いつも喜びを感じます。

1970アベノセンタービル」/設計★村野藤吾

545-005大阪市阿倍野区阿倍野筋1-5-36

http://www.kisimoto.co.jp/building.html

地階の商業施設部分は「あべのフェスタ」と名付けられている。



・・・こんなところに「泉茂」さんの作品がありました。



泉茂19221995

1922年(大正11)大阪に生まれ、大阪市立工芸学校(現在の大阪市立工芸高等学校)を卒業した後画家を志します。1951年、早川良雄、山城隆一、棚橋紫水らとともに、瑛九の提唱するデモクラート美術協会に加わった。敗戦後、油絵を春陽会に出品したり、個展で発表したりしていた彼は、このころ久保貞次郎や瑛九のすすめで銅版画をはじめ、のしイカ製造機を銅版プレス機に転用したという。だが、それらの銅版画にみられる繊細な幻想は、やがてリトグラフに転じて強烈な色彩、奔放な幻想、親しみやすい物語性として炸裂する。とりわけ、太陽と鳥と顔のないインディアンといったモチーフが、彼の初期作品のユニークな特徴を形づくっている。


さなだ2


◆「天王寺真田幸村博『決戦!天ノ陣』

平成27年10月31日(土)

http://sanadayukimura.jp/

大阪市天王寺区は、大坂の陣を代表する戦国武将・真田幸村が、最大の激戦地として名高い「真田丸」を築いた地であり、最期を迎えた地でもあります。平成26年(2014年)は大坂冬の陣から400年、翌27年(2015年)は大坂夏の陣から400年を迎えるシンボルイヤーです。この2年間にわたって、天王寺区にゆかりの深い真田幸村を切り口に各イベントを組み立て、天王寺区の魅力を広く発信していきます。

メインビジュアルは、絵巻作家の大家・正子公也氏の真田幸村を採用。

つのメインビジュアルは、正子先生の画集に掲載されているものですが、歴史イベントでの使用は、この「幸村博」が初めてとなります。真田幸村は、平時は穏やかな性格でしたが、一度戦になると鬼神の如き働きをし、死に際は静かにこの世を去っていったといわれています。「動」と「静」、このつの絵は幸村の生き様をドラマチックに表現しています。

正子公也

絵巻作家。1960年、岡山県生まれ。中央大学理工学部物理学科卒。大学在学中、寺沢武一氏に師事、寺沢プロダクション制作部長を経て、89年独立。「戦国武将」や「三國志」、「水滸伝」などの武将イラストで一躍注目を集めた絵巻作家。映画「PROMISE」では衣装を監修。『戦国武将』を題材に、時代背景から人物の内面までを鮮明に描き、豪快にして繊細な作品は他の追随を許さない。


さなだ3


★「真田丸」復元ジオラマの展示

大坂冬の陣最大の激戦地として知られている「真田丸」は未だ多くの謎に包まれていますが、最新の研究結果を反映したジオラマを作成し、大坂城惣構~真田丸~四天王寺・茶臼山までをひとつの戦場として再現しました。「決戦!天ノ陣」の会場で、このジオラマを展示します。


さなだ4


1956通天閣」/登録年月日:20070515

556-0002大阪市浪速区恵美須東1-18-606-6641-9555

http://www.tsutenkaku.co.jp/

脚部をSRC造とした103m高の鉄塔で塔の東側には円筒形の補助塔を設ける。四角形から八角形に平面形状が変化する塔身に独特な形状の展望台を戴き四周に広告用等の施設を付設し大阪のシンボルとして広く親しまれる。

【NEWS】2014年7月4日

大阪のシンボル「通天閣」(大阪市浪速区、高さ103m)を免震化する計画が2014年7月3日、発表された。免震ゴムを地上10mの柱脚部に設置する計画で、タワーの免震改修は世界初という。この方法だと外観の変化はほとんどなく、大地震が発生しても来場者の安全を確保できる。免震改修の設計・施工は竹中工務店が担当。10月に着工し、15年6月の完成をめざす。通天閣を経営する通天閣観光(西上雅章社長)などが計画を発表した。工事では、まず四つある柱脚部をコンクリートで固め、上端部に免震ゴムやオイルダンパーを置くスペースをつくる。柱脚同士をつなぐ梁を設置した後に免震ゴムを設け、2階底部との間に厚さ2.2mのコンクリート層を形成してタワー中上層部の垂直荷重を受ける。最後に免震ゴム付近の鉄骨柱脚部を撤去する。通天閣観光の協力を得て、振動計測を行った大阪大学の宮本裕司教授によると、通天閣は構造的な劣化は進んでいない。ただ、阪神大震災や東日本大震災の発生後、設計用地震動が強化されたのに加え、南海トラフ巨大地震の発生の切迫性も指摘されるようになったことから耐震診断を実施した結果、南海トラフ地震で塔の一部が変形する恐れが判明したという。現在の通天閣は2代目。初代は第2次大戦で焼失し、現通天閣は戦後復興のシンボルとして1956年に誕生した。2階には展示スペースや売店、3階には100年前の通天閣や一帯の新世界などを紹介するスペースを設け、4階と5階が展望台になっている。東京タワーも手掛けた内藤多仲が設計し、奥村組が施工した。


さなだ5


・・・「通天閣」近くに行けば、必ず前を通って眺めていた「ギャラリー再会」、やっと訪問の機会がやってきました。しかも、岩井ゆき子さんの「ミニJazzライブ」も聴けるのです。