琳派(5) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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◆「京都タカシマヤ」

600-8520京都市下京区四条通河原町西入真町52075-221-8811

https://www.takashimaya.co.jp/kyoto/


たかし1


●「芝康弘展〈日本画〉-やさしくつつみこむように-

10月21日(水)27日(火)6階美術画廊 ※最終日は午後4時閉場

芝先生は、1970年大阪府に生まれ、1996年に愛知県立芸術大学大学院日本画科を修了されました。2001年に院展に初入選し、現在、日本美術院院友、愛知県立芸術大学非常勤講師として活躍されています。今展では、馬やこどもたちなど心温まるモチーフと、郷愁に誘う風景を中心とした作品約20点を展観いたします。

【ヒグチユウコ】

http://higuchiyuko.com/

http://higuchiyuko.com/kyototakashimaya20150930/

琳派400年を記念したイベントが京都高島屋さんにて本日から開催されています。(9/30~10/13まで)。ヒグチはsousou様とのコラボで「猫風神雷神図」として参加、猫風神雷神図屏風が京都髙島屋様の1Fゆとりうむステージで展示されています。また、ギュスターヴのポップアップショップが10月7日(水)~13日(火)で京都髙島屋様の1Fに登場します。「猫風神雷神図」をモチーフとした扇子など限定商品を販売予定です。


たかし2


NEWS風神雷神図、現代版キラリ京都の服飾会社と東京の画家共作

俵屋宗達の「風神雷神図」をモチーフに、京都の服飾ブランド「SOU・SOU」(中京区)と東京都の画家ヒグチユウコさんが共作した屏風が、下京区の京都高島屋で飾られている。琳派の美を現代風に解釈し、存在感を放っている。京都高島屋が両者に制作を提案して実現した。屏風は二曲一双で、右隻(うせき)、左隻(させき)ともに縦約1・6メートル、横約1・7メートル。雑誌などで活躍しているヒグチさんは、愛らしい猫をモデルに風神と雷神を描いた。SOU・SOUは背景を手掛けた。300以上のテキスタイルデザインの中から、本来は花柄だが、雲や雨のようにも見立てられる柄を選んだ。若林剛之代表(47)は「昔には描けない画風で、楽しい表現になった。見る人が自由に楽しんでもらえたら」と話す。13日まで1階ゆとりうむ、14~27日は7階ダイニングガーデン京回廊に展示する。(京都新聞より)


●「芝康弘展〈日本画〉-やさしくつつみこむように-

10月21日(水)27日(火)6階美術画廊 ※最終日は午後4時閉場

芝先生は、1970年大阪府に生まれ、1996年に愛知県立芸術大学大学院日本画科を修了されました。2001年に院展に初入選し、現在、日本美術院院友、愛知県立芸術大学非常勤講師として活躍されています。今展では、馬やこどもたちなど心温まるモチーフと、郷愁に誘う風景を中心とした作品約20点を展観いたします。


たかし3


特別展示風神雷神四曲一双/作:冨田渓仙1917(大正6)年/髙島屋史料館蔵

冨田溪仙】(18791936

初め狩野派、四条派に学んだが、それに飽きたらず、仏画、禅画、南画、更には西洋の表現主義を取り入れ、デフォルメの効いた自在で奔放な作風を開いた。福岡県博多に生まれる。本名は鎮五郎。字は隆鎮。別号に雪仙、渓山人など。狩野派を学んだ後、京都に出て四条派の都路華香に師事。のち仙厓義梵、富岡鉄斎に傾倒。各地を旅し幅広い研鑽を積む。横山大観にみとめられ大正年日本美術院同人。昭和10年帝国美術院会員となる。京都で死去。駐日フランス大使であった詩人のポール・クローデルや俳人河東碧梧桐との交遊も知られている。

・・・せっかくなので、少し「四条通」を散策してみます。


たかし4


新京極

http://www.shinkyogoku.or.jp/index.html

天正年間(1573~1592)、豊臣秀吉が市中の多くの寺院を寺町通に集めたことに伴い、その境内が縁日の舞台として利用され、周辺は見世物や催し物を中心に発展するようになりました。明治年(1872)、このことに注目した京都府参事槇村正直は、東京遷都で衰えていた市民の士気を盛り上げるべく、寺院の境内を整理してそこに新たな通りを造った。新京極通りの誕生です。明治10年(1877)頃には、芝居座、浄瑠璃、寄席などの興行場や飲食店などの多くの店舗が建ち並び、明治30年代には東京の浅草、大阪の千日前とともに日本の三大盛り場として知られるようになりました。

◆「染殿院

京都市中京区新京極通上ル西入ル中之町562新京極8社寺075-221-3648

http://www.shinkyogoku.or.jp/jisha/somedono.html

文徳天皇の皇后藤原明子(染殿皇后)はこのお地蔵さんを祈って清和天皇を降誕されたという。それにあやかり、安産のお地蔵さんとして名高く、現在女性の参拝者が絶えない。

■「京都野村證券ビル」

600-8006京都市下京区四条通堺町角075-221-7211

http://www.nomura.co.jp/branch/branch/kyoto.html

通りにある祇園祭「山鉾巡行」のときのくじ改めが行われる場所です。店舗正面の長刀鉾のからくり時計も目印。オープンなスペースで気持ち良くお出迎えいたします。

1989OKIBARI YASU おきばりやす」/作:流政之


たかし5


◆高倉通「錦の名水」

604-8142京都市中京区四条通高倉上ル西魚屋町622075-256-0015

http://ailedor.main.jp/kintsuba/index.html

韓国料理と和創作料理「金の翼・焼肉エルドール」の店頭にある井戸水。京の台所錦市場が古来より発展してきたのは豊富で良い地下水があったからです。そのおいしい水で豆腐、饅頭、湯葉などを作って京の食文化を支えてきました。京都の地勢は北になだらかに高く南に下っています。四条より北は御所そして北山になります。大きな工場などはありません。水脈がちょうど御所の下あたりに流れています。当金の翼にももともと井戸はあったのですが使われないままの状態でした。平成16年にもう一度深く掘り70メーター付近でよい水脈に当たりました。錦の名水が復活しました。

◆「浅見綱斉邸跡」(1652~1711

604-8142京都市中京区錦小路高倉西入る南側大丸脇

尊皇攘夷に影響を及ぼした儒学者です



1994「はんなり地蔵」/作:流政之

1994「SENKYAKUBANRAI」/作:流政之


・・・流さんの彫刻は、親しみがあって楽しいですね。