イケフェス大阪(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

NEWS2015.9.25読売オンライン

英知集め名建築保存弁護士建築家ら「住宅遺産トラスト関西」設立

明治時代から昭和にかけて建てられた町家や洋館など、優れた建物を後世に残そうと、関西の弁護士や建築家ら14人が今月、一般社団法人「住宅遺産トラスト関西」を設立し、所有者の支援に乗り出す。維持費の問題などから、取り壊しの危機に直面する建物は多い。修繕策を提案し、独自の値付けで市場価値をアピールするなどして建物の有効活用を目指すといい、10月3日に大阪市で設立シンポジウムを開く。「素晴らしい建築だが、このままでは廃れてしまう」。今年7月、神戸市内。大正期の1923年に建てられた洋館の前で、調査を終えた法人設立メンバーの建築士が表情を曇らせた。愛媛県庁などを手がけた建築家・木子七郎が設計した木造3階建て。かつては汽船会社の迎賓館として使われ、60年以降は現在所有する80歳代の男性の家族が購入し、暮らしていた。だが、95年の阪神大震災で天井や壁の一部が剥落したため転居。補修しきれず、住めない状態のまま20年が過ぎた。所有者の男性は「固定資産税や管理費など、子に負担を残したくないので手放そうとも思ったが、愛着がある。活用策があるなら、ぜひ検討したい」と話す。一般的に不動産市場では、建物は年月を経過するほど価値が下がるとされる。総務省の調査では、50年以前に建てられた住宅は93年時点では296万戸あったが、2013年には164万戸まで減り、20年間で半数近くが姿を消した。こうした流れから貴重な建築物を守ろうと、法人では所有者と契約を交わし、建物の価値を高めるアドバイザー役を担う計画だ。設計の珍しさ、由来、周辺環境への貢献度などを考慮し、独自に建物の価格を算定。レストランや結婚式場などの施設として保存、活用法を探る。神戸の男性の相談については、文化財の指定を受けられる可能性や、最適な改修方法などを検討する方針という。設立メンバーの一部は、旧大阪中央郵便局(大阪市北区)を国の重要文化財に指定するよう求め、12年に地裁に提訴した原告側の建築家や弁護士ら。敗訴して建物は解体されたが、歴史的な建物をどう守っていくか、勉強会を重ねてきた。メンバーの奥村太朗弁護士(大阪弁護士会)は、「維持に苦しみ、泣く泣く取り壊す所有者は多い。専門知識を生かし、名建築を未来に継承するサポートをしたい」と話している。シンポジウムは10月3日午後1時半~4時半、大阪市北区堂島浜★「中央電気倶楽部4階大ホールで開催。「良質なすまいのうけつぎ方」をテーマに住宅の活用や保存の事例報告、座談会を行う。参加費500円。


でんき1


■「中央電気倶楽部

大阪市北区堂島浜2-1-25/06-6345-6351

http://www.chuodenki-club.or.jp/

堂島川に架かる渡辺橋の近く、堂島の一角に褐色のスクラッチタイルが張られたレトロなビルが建っています。中央電気倶楽部の会館です。中央電気倶楽部は、大正年(1913)に関西における電気事業関係者の親睦を図る目的で設立された団体で、当初は中央電気協会と称しましたが、後に現在の名前に改められました。会館は当初、大正年に建設されましたが、これは竣工まもなく原因不明の火災によって全焼してしまい、二代目の建物は同11月に再建されました。このとき施工にあたったのは清水組で、設計は野口孫市だったと伝えます。ところが、この建物もすぐに利用者の増加によって手狭になったため、昭和年には新館建設が決議され、東隣の土地117坪を買い足して敷地が354坪に拡張されました。そして建物は葛野建築事務所(葛野壮一郎)の設計、大林組の施工によって同月に着工され、翌年10月に竣工しました。現在はこのときのものが残っています。なお葛野壮一郎は明治38年(1905)に東京帝国大学を卒業し、横河工務所、大阪府技師を経て独立し、大正から昭和初期にかけて大阪で活躍した建築家で、大江ビルディングの設計者としても知られています。建物は、鉄骨鉄筋コンクリート造の地下階地上階建で、外観は当時流行していたスペイン風の意匠でまとめられています。また内部は、正面玄関を入ると広いホールになっており、その奥には談話室と囲碁室、さらに奥にはビリヤード台が置かれた球戯室が配されています。つぎに階は正面中央に迎賓室と横に和室の日本室が並び、奥は広い談話室で一隅にはバーも設けられています。そして階には大食堂、階には舞台付きの大講堂が作られています。ところで、設計者の葛野壮一郎はこの会館が竣工した昭和年に、クラブ建築というのは「客室と食堂の延長」のもの、つまり「純粋な社交機関」であり、したがって談話室・図書室・食堂・特別室(和室)・娯楽室・酒場・大会堂などの諸室が必要である、と述べています(『建築と社会』昭和五年十一月号)。中央電気倶楽部の会館は、葛野が描いたクラブ建築そのものだったことがわかります。大阪倶楽部(大正13年、安井武雄)、綿業会館(昭和年、渡辺節)と並び、大阪を代表するクラブ建築の一つといえるでしょう。


でんき2


・・・シンポジウムに参加させていただき、いろいろ勉強になりました。所有者も支援者も「楽しむ」ことが必須であり、かつ「守秘義務」が重要な鍵となること、何よりも「収益(活用)」のためのアイデアが問われる。そして印象に残ったのが「建物にも運・不運(出会い)がある」という言葉でした。


でんき3


・・・この後、気になっていた「新ダイビル」を見に行くことにしました。


でんき4


【参考1】「ダイビル七十五年史」より

「新ダイビル」は、大阪新歌舞伎座と同じ1958村野藤吾67歳の作品。1963年に増築。地上9階/地下4階、延面積約24,693坪曲線を入れて、直線的で堅い立面を和らげることを目的として、隅の羊と屋上ルーバー端部の造形を入れた。また、1期工事南館の隅の羊のうち北側の箇所は期工事の際に一度取り払われ、期工事完了後、西の継ぎ目部のみ復活された。羊さんがいる場所は最終的には全部で5箇所10体で、★藤本美弘(日展)さんのです。


でんき5


【参考2】新ダイビル屋上樹苑樹木移植工事稲治造園工務所

http://www.inaji.jp/index.html

530-0047大阪市北区西天満3-11-406-6365-9211

http://www.inaji.jp/news/2011/20110324.html

本プロジェクトは新ダイビル(大阪市北区)の建て替えに伴う屋上庭園の樹木移植工事です。この庭園は、大阪の中でも最も古い屋上庭園のひとつとして完成より約50年にわたって憩いの場となってきました。約半世紀を経て成長した樹木は、10メートルを優に超える高さのものもあり、貴重な都会の森となっていました。今回の新ダイビルの建て替えに伴ってこの屋上庭園の樹木が新しいビルへ移されることとなり、ビルの解体前に樹木の移植工事が行なわれました。樹木の移植への準備は2010年の春から始まり、まず移植対象の樹木に根回し・環状剥皮を行いました。そして2011年の年明けに屋上から地上への本格的な移植作業となりました。 本プロジェクトは新ダイビル(大阪市北区)の建て替えに伴う屋上庭園の樹木移植工事です。この庭園は、大阪の中でも最も古い屋上庭園のひとつとして完成より約50年にわたって憩いの場となってきました。約半世紀を経て成長した樹木は、10メートルを優に超える高さのものもあり、貴重な都会の森となっていました。今回の新ダイビルの建て替えに伴ってこの屋上庭園の樹木が新しいビルへ移されることとなり、ビルの解体前に樹木の移植工事が行なわれました。樹木の移植への準備は2010年の春から始まり、まず移植対象の樹木に根回し・環状剥皮を行いました。そして2011年の年明けに屋上から地上への本格的な移植作業となりました。この庭園の歴史的な価値や今日までその育成に携われた人々の想いを作業員全員が心にとどめ、細心の注意を払いながら作業は進められました。屋上という制限された空間のわずかな土層で、このように成長した樹木の根はどうなっているのか大変興味深いものでしたが、高さ12メートルのケヤキの根は厚さわずか50センチの土層の中でおさまっていました。樹木の生きようとする力に驚かされるとともに、その可能性をあらためて感じることができました。地上に降ろされた樹木は弊社の圃場へ移植。今は養生管理をしており、圃場で今後約3年間にわたり灌水作業・施肥・薬剤散布等の養生管理を行ない「新・新ダイビル(仮称)」が完成した後に再移植をする予定です。