硝子物語(14) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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★古代ガラス製作体験

場所:「明日香村埋蔵文化財展示室裏側(飛鳥水落遺跡の隣)

634-0103奈良県高市郡明日香村飛鳥225-2飛鳥京観光協会0744-54-3240

http://www.asukakyo.jp/


こだい1


http://asukakyo.jp/garasu/index.htm

わが国最古の貨幣とされる「富本銭」の出土で話題となった飛鳥池遺跡。そこは日本初のガラス工房でもありました。飛鳥池遺跡より出土した飛鳥時代のガラス玉。2002年「あすか夢耕社工芸部会がそのガラス玉を実験考古学的手法による復元に成功いたしました。そして現在飛鳥京観光協会がその古代ガラスの復元と継承に取り組んでいます。これは近年周遊型観光だけでなく体験型観光に対する期待と需要が高まる中、他では体験することの出来ない貴重な機会を創出するとともに文化財資源の創造的活用という見地から古代ガラスの復元手法を広めていこうとするものです。古代の技法を今に再現古代ガラス製作インストラクターの指導の下、あなたも飛鳥時代のガラス玉作りに挑戦してみませんか?きっとあなただけのガラス玉ができあがるはず。古代に思いを馳せながら、明日香らしい思い出作りを楽しんでみましょう。


こだい2


あすか夢耕社 」(明日香地域振興公社)

634-0111奈良県高市郡明日香村大字岡1220/0744-54-9200

http://asukadeasobo.jp/

奈良県の中部に位置する明日香村は、1400年前の飛鳥の時代に都が置かれた古都として、毎年多くの方が訪れています。明日香を代表する観光スポットである石舞台や、極彩色の壁画で有名な高松塚やキトラをはじめとする古墳、遺跡群が数多く点在し、それらが農を礎とする景観と相まって、いわゆる歴史的風土が奏でる情景で人びとを魅了しています。ここは「日本の国のはじまりの地」であり、深い歴史と豊かな自然が息づく飛鳥は「日本人の心のふるさと」と親しまれています。一般財団法人明日香村地域振興公社は、明日香の人々が大切に守り育んできた豊かな自然を守る活動を進めています。ここ明日香の日本のみならず世界に一つだけの風致景観を、より輝かせて、五感で体感できるフィールドミュージアム「明日香まるごと博物館」づくりを進めるとともに、明日香に住む方々がより安心して誇りをもって暮らせる活動に取り組んでいます。明日香村地域振興公社は、平成26年4月1日より一般財団法人へ移行しました。古代ガラス製作体験工房」は、奈良県高市郡明日香村飛鳥112にありましたが、平成24年8月より明日香村埋蔵文化展示室後方に移転。さらにまた、移転が予定されているそうです。


こだい3


【参考】脇田宗孝(奈良教育大学名誉教授)

専門はやきものですが、古代ガラスの復元などにも取り組んでこられました。工芸・陶芸・文化財専門で、講義では、主にやきものについての指導をされています。研究室では日本の古代窯業技法を研究し、その成果を陶芸作品の創作に活かされています。陶芸を基礎として造形活動のなかに日本文化を伝承し探求する、陶芸指導を通じて地域に根ざした生涯教育活動なども重視しておられます。


こだい4


・・・帰路「万葉文化館」に立ち寄り、再度「ガラス工房」跡を確認しました。

◆【奈良県立万葉文化館】◆

634-0103奈良県高市郡明日香村飛鳥100744-54-1850

http://www.manyo.jp/


飛鳥池遺跡

http://www.asukanet.gr.jp/ASUKA4/koubou/welcome.html

古代日本の政治・文化の中心として繁栄を誇った世紀の飛鳥。広大な石敷きの宮殿群や甍を競った大寺院の、建物や調度品。高松塚古墳の壁画から伺い知ることの出来る貴人達の華やかな装束、地中の石室に眠る死者の装身具や武具。飛鳥の都の歴史の表舞台で活躍した主人公達の、身のまわりを飾ったさまざまな文物は、どれをとってもそういう品物を身につけたり使ったりする機会のほとんどなかった人々の手で生み出され、運ばれたものだった。1991年の春から夏にかけて、当研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部が発掘した飛鳥寺東南の小さな谷間の工房跡が、その腕で飛鳥文化の具体的な形を創りあげていた歴史の裏方達の、仕事の実態を伺う手掛りを与えてくれた。この飛鳥池工房跡の遺構・遺物を軸に鋳物・鍛治・ガラス細工など火を扱う工房で働いていた工人達の日常の作業の一端を、復原的に展開したものである。近い将来には、木工・溶工あるいは石工等々についてもこのような特別展を企画していきたいと考えている。


こだい5


★「ガラス工房

飛鳥池造跡の工場団地の中、鋳物師の仕事場の隣には、ガラス工房があった。飛鳥時代の末頃にできた法律、律令の役所の組織についての決りでは、ガラス玉造りは大蔵省の下部機開、鋳物司の仕事ということになっているので、鋳物工房の作業所が、ガラス工場を兼ねていたということも、あり得ないことでない。けれど、よく似た作業内容といっても、銅の鋳造とガラス造りとでは、仕事の千順も、使う道具も違ってくる。そして、遺跡からは100個近くものガラス坩堝が見つかっている。これは、銅の坩堝の数よりずっと多い位で、ガラスを扱う作業が、決して小規模な片手間仕事では、なかった証拠とみていいだろう。このような事からガラス屋さんのアトリエも、専用の建物と幾つかの炉を設えた、独立の工房だったと考えられる。ここで見つかっている、ガラス工作に関わる遺物は、まず蓋のついた砲弾形の柑禍が沢山あって、内側には一度熔けたガラスが付着している。それからガラスを流し込んで、ビーズを作るための鋳型のかけら。これは叩き伸ばした粘土の板に、直径5mm程の半球形の窪みをならべ、窪みの真中に針金で突いたような穴をあけ、これを焼きしめたもの。また方鉛鉱や石英などガラスの原料となる鉱物もある。あとは、炉に風を送りこんで、火力を上げるためのふいごの先、羽口があるが、これは、鍛治屋や鋳物師の炉で使われたものと、区別できない。飛鳥時代のガラス工場の跡に残されたものとしては、これ位が、はっきりとわかる遺物であまり種類も多いとはいえない。ここで、どんな風に仕事が進められていたのか、を推埋するのは、そんなにやさしいことではなさそうだ。


・・・真紅の「彼岸花」と坩堝の中の真っ赤な「硝子」、明日香は「赤三昧」です。