・・・何度も訪問している「明日香村」ですが、「飛鳥京観光協会」主催で「古代ガラス」体験を実施しているというので行きました、ちょうど「彼岸花」も見頃です。
・・・いつも通り過ぎてばかりなので、今日は丘に登ってみました。
【雷丘】奈良県高市郡明日香村雷
万葉集に集められた和歌には飛鳥を題材にとった秀歌が多い。だが、雷丘を詠んだ歌は、柿本人麻呂が「天皇、雷丘に出でます時」に作ったと題する次の歌だけである。
"大君(おおきみ)は神にしませば 天雲の 雷の上に 庵(いほ)りせるかも"
意味:大君は神でいらっしゃるので、天雲の中にいる雷の上に仮の宮殿をお造りになっていらっしゃることだ
この歌は雷丘の讃歌と呼ばれている。初春のある日、明日香地方の国見のために、持統天皇が雷丘に行幸されたた時に、人麿が従駕して作ったとされている。「大君は神にしませば」という言葉から、天皇を神として歌ったことは自明であるが、天皇=神という意識が一般化するのは、壬申の乱以降の天武朝から持統朝にかけての頃である。
【石神遺跡】
石神遺跡は明日香村埋蔵文化財展示室がある一帯に存在する遺跡で、発掘調査で掘立柱建物群や方形池などが見つかっている。明治35年~36年には噴水機能をもつ須弥山石や石人像といった石造物が遺跡の一角から掘り出されている。これまでの調査成果から石神遺跡は大きく斉明朝,天武朝,藤原宮期の三時期の遺構が明らかとなっている。中でも斉明朝の建物群は当時、蝦夷や外国人使節をもてなし、服属儀礼や饗宴を行う飛鳥の迎賓館であったと考えられる。
・・・眼が痛むほどの「真紅」です。
【飛鳥水落遺跡】634-0103奈良県高市郡明日香村飛鳥
甘樫丘の東側、飛鳥寺の西側に位置する。発掘調査の結果、特異な基壇を持つ大形の正方形建物遺構が見つかった。発見された遺構は他に、基壇内を走る木樋暗渠、銅管、漆塗木箱などがある。基壇内部に引き込んだ水を基壇上へ汲み上げる装置を持ち、中国に現存する元・明・清代の漏刻の受水槽と同様の漆塗木箱の痕跡が検出されていることなどから、これらの遺構は斉明天皇6年の時、皇太子であった中大兄皇子が作ったと伝えられる「漏刻」台の跡であることが想定されている。「漏刻」台が築かれた背景として、当時の中国的な政治理念にもとづいた「時の支配」の観念が存在したことが考えられている。出土した土器の検討から650年~660年代の間に造営され廃絶したと推定されている。
【明日香村埋蔵文化財展示室】634-0103奈良県高市郡明日香村飛鳥225-2
http://www.asukamura.jp/shisetsu/maizobunkatenji.html
・・・「旧飛鳥小学校跡」という標記を多く見受けますが、「展示室」入口には「旧飛鳥幼稚園リズム室」を改修したもの、と書かれています。そこで実際に「旧飛鳥小学校」はどのあたりに建っていたのか、発掘調査時の画像等を調べました。「水落遺跡」のすぐ横、現在「駐車場」になっているところに校舎が建っていました。しかも、「水落遺跡」を「旧飛鳥小学校」の屋根上から撮影したと思われる画像には「屋根瓦」が確認できました。
・・・旧校舎(園舎)裏にまわると「プール」がありました。こんなことに興奮するのは、私ぐらいでしょうか。これからも、昔の面影を残すように工夫してほしいと思います。
・・・作業開始まで時間があり花などをながめていると、ホバリングしながら蜜を吸う昆虫発見。ホウジャク(蜂雀)と呼ばれる蛾の一種だそうです(帰宅してから調べました)。毎年、今ごろ現れて、ハチドリのように高速で羽を動かしながら、長い管を出して蜜を吸います、興奮しました。