紡績・赤煉瓦建築(40) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・東京巡りで「駿河台狩野家」についてふれました。「和歌山市立博物館」で「紀伊狩野家」のちょっとした展示があるというので、行ってきました。


【田中太山】※和歌山放送ビル玄関に掲示されていました。

1978年、和歌山県太地町生まれ。広島県で飲食店を経営し、店内に作品を展示。その作品をお客さんに褒められたことをきっかけに、芸術家の道を志す。2000年から活動を開始し、一時期は資金が底をつき、ホームレスも経験。紆余曲折を経て、「名前の詩」(太山氏のオリジナル書画作品)などで、全国各地で個展を開いたり、ドイツでイベントを開催するなど、幅広く活躍中。「自分や作品を通して世の中に笑顔・幸せ・感謝をあふれさせる事」を活動理念に、独特の作風で人気を集めている。太山氏のポジティブさが満ちた講話と、豪快であり、繊細な書道の実演で人気です。


わか1


◆【和歌山市立博物館】◆

640-8222和歌山県和歌山市湊本町3-2073-423-0003

http://www.wakayama-city-museum.jp/

天正13年(1585)に和歌山城が築城され、城下町和歌山が拓かれてから、ちょうど400年目にあたる昭和60年(198511月に開館いたしました。本館は、郷土和歌山の歴史・文化遺産に関する市民の理解と認識を深め、教育・文化の発展に寄与することを目的とした歴史系博物館です。常設展示は、「資料が語る和歌山の歴史」をテーマに、この地を中心とした歴史と文化を正しく理解し、その継承と発展に資する学習の場として構成されています。また、特別展示室では、年次計画に基づいて特別展・企画展を開催し、展示図録を発行しています。加えて、教育普及活動の一環として、市博講座・体験学習・史跡散歩などの事業を実施しています。


わか2


●常設展/原始から戦後復興期に至る和歌山市の歩みを、6つのコーナーに分けて展示しています。常設展示室を一回りすると、この町の歴史を一通りマスターすることができます。


わか3


コーナー展示9/291129

紀州藩御絵師紀伊狩野家笹川家)」、雑賀の兜


【紀伊狩野家歴代当主】

狩野興以(~1636)★狩野光信の高弟で後に探幽・尚信・安信を指南する。

-興甫(~1671)-興益(~1705)-興伯(~1707)-興碩(~1751)-興川(17131751)-興円(17401762)-永興(17321787)-興元(17661796)-興永(17851853)-興益(1811~)


・・・もちろん「狩野家」以外にも南画・文人画など様々な絵師たちが雇われていました。


わか4


・・・シンプルではありますが、なかなか充実した内容・展示のミュージアムです。なんと言っても「赤丸ポスト」がアンケート回収Boxとして活用されているのが、最高です。


わか5


・・・これが最大の目的です。


◆「和歌山競輪場」

640-8076和歌山市5筋目10-1073-431-1019

http://www.keirinwa.com/

和歌山競輪場は、昭和2412月に開設、全国で21番目、近畿では、「住之江」「宝ヶ池」「神戸」(現在はありません。)などに次ぐ6番目の競輪場とし、石田雄彦や山下八郎といった有名選手を輩出しています。バンクは日本最後となったクロソイド曲線バンクに別れを告げ、平成1112月にマッコーネルのバンクとして生まれ変わり、ファンだけでなく選手にも好評を得ています。メインスタンドは平成5年12月に竣工、冷暖房完備の特別観覧席、初心者だけでなく上級ファンにもうれしいガイダンスコーナー、子供連れでも安心して観戦できるレディース・ファミリールーム、女性専用トイレなど、多くのファンのニーズにお応えできる魅力ある施設を備えています。交通アクセスは、和歌山市の中心に位置することから、公共交通機関が充実しており、特に、大阪方面からも、南海和歌山市駅で下車すれば、競輪場までゆっくり歩いても約8分程度と、交通の便の良さは見逃せません。


・・・公営ギャンブルが目的ではなく、


旧和歌山紡績紀ノ川工場(紀ノ川倉庫)

640-8076和歌山市五筋目10/073-423-6201

南海本線和歌山市駅の少し手前で、右手に煉瓦造りの倉庫が見えてきます。現在は紀ノ川倉庫の倉庫として使われていますが、かつては和歌山紡績紀ノ川工場の建物群の1つでした。和歌山紡績は、大正8年(1919)に操業を開始しました。敷地は約2万329坪、現在の紀ノ川倉庫と西隣の競輪場を合わせた広さになります。綿布生産の主力工場として拡張されていき、昭和16年(1941)に合併の結果大和紡績となりました。昭和20年(1945)日の和歌山大空襲で被災・全焼の結果、再建を断念して昭和24年(1949)に和歌山県と民間に売却されました。和歌山県は跡地を和歌山競輪場として活用しました。民間に売却された土地を買い取ったの倉庫会社で、焼け残った煉瓦の建物を倉庫として再生しました。倉庫は和歌山で盛んであった捺染や紀州ネルの工場が製品を大阪へ出荷するまでの一時保管場所として活用され、現在に至ります。構造は、内部は煉瓦の壁により3つに区分されています。積み方はイギリス積みです。壁の高い所に鉄扉の窓があり、その周囲にも装飾が施されています。