◆「丸の内ドットコム」
★「Marunouchipix写真展」2015/02/02~2015/10/16
http://www.marunouchi.com/event/detail/2240
丸の内の写真共有ウェブサイト「Marunouchipix」オリジナルハッシュタグ「#marupix」をつけてInstagramに投稿され、「Marunouchipix」に表示された写真の中から、毎日数枚を現在解体中の★「富士ビル」工事仮囲いに展示するもので、今秋には仮囲いの丸の内仲通り側がすべて、投稿された丸の内の写真で埋め尽くされる予定です。眺めるもよし!参加するもよし!毎日作品が増える新しい写真展が楽しめます。
■「丸の内オアゾ」
100-0005東京都千代田区丸の内1-6-4
名前のオアゾ(OAZO)は、丸の内地区(O)と大手町(O)を包括的に(AZ)結ぶ、「Office&Amenity ZOne」であることを表現しており、エスペラントで「オアシス、憩いの地」を意味するオアーゾ(oazo)の意味も含んでいます。「丸の内(○:マル)と大手町(○:オー)をつなぐ広場」というのが名称の由来。ピカソの★『ゲルニカ』の原寸大複製陶板壁画が飾られています。
■「日本工業倶楽部」
100-0005東京都千代田区丸の内1-4-6/03-3281-1711
http://www.kogyoclub.or.jp/index.html
大正6年、当時の有力実業家により「工業家が力を合わせて、わが国の工業を発展させる」ことを目的として創立された団体。初代理事長は三井の団琢磨氏。大正9年11月に、地上5階、鉄筋コンクリート造、一部鉄骨造の会館が、現在の丸の内に完成した。設計は★横河民輔、松井貴太郎他。日本における数少ない本格的なセセッション様式の建物で、全体に、「雅にして堅」を旨としていて、国賓を迎えることを考慮して、入り口にはドリック・オーダーが配され、正面階段も広くとられた。正面屋上には小倉右一郎作の二つの人像が置かれ、男性はハンマー、女性は糸巻きを手にし、当時の二大工業石炭と紡績を示していた。この工業倶楽部会館は、第一次世界大戦による工業の発展、昭和初期の大恐慌、戦争、敗戦、復興、経済成長を通じて常に経済界の大きなドラマの舞台であって、財界の記念碑的な存在であった。
創立後は、重要経済問題、労働問題などに関して調査活動および政府への建議を行い経済団体としての機能を果たしてきた。第二次大戦後は戦後経済の復興発展の礎のような役割を担い、経団連、日経連をはじめ職能的な経済団体の設立と育成に協力し、それらの団体と重複する事業は行わないこととなった。現在は、財界人の交流の場として、また、定款に記された事業を行うことによって公益法人としての役割を果たしている。公益法人制度改革関係三法の施行に伴い、新法人への移行を進め、内閣府認可を受けた後、平成25年7月1日移行が完了し、一般社団法人日本工業倶楽部となりました。
堅牢と優美さを誇った工業倶楽部会館も80年の歳月には抗しきれず、平成9年、その老朽化、耐震性の欠如、機能更新の必要性から、建替えざるを得ないとの結論に至った。建替えに当たっては、日本工業倶楽部が社団法人日本都市計画学会に委託して設置した、学識経験者を中心とする「日本工業倶楽部会館歴史検討委員会」(座長:伊藤滋氏)による保存・再現方法の提案を受け、会館の西側部分を保存、その他の部分を再現し、登録文化財としての歴史的景観の保全を図ることとした。屋上の坑夫と織女の像、正面玄関の石柱、石材等はオリジナルの材料を使用し、主要施設である大会堂、大食堂部分をほぼ完全に保存すると共に、玄関から3階に至る大階段、ロビーについては内装材を保存活用し、内部空間を再現することにした。また、会館部分全体を免震材の上に載せて、耐震性を完璧なものとし、平成15年3月竣工。
■1993「東京銀行協会ビル」(旧東京銀行集会所)
100-0005東京都千代田区丸の内1-3-1/0120-339-520三菱地所ビル営業部
赤レンガ建築の東京銀行集会所(大正5年築)のファサードを保存し、20階建て高さ82mに高層化した。東京銀行集会所は★松井貫太郎の設計。隣接地に本社ビルのある東京海上日動火災保険などがテナントとして入居する。三菱地所などによって周辺を含めた一体的な再開発が計画されている。
■1974「東京海上日動ビル」設計:前川國男
100-0005東京都千代田区丸の内1-2-1/03-3212-6211
http://www.tokiomarine-nichido.co.jp/
本館は1918年に完成した「東京海上ビルディング旧館」の建て替えとして1974年(昭和49)3月に竣工し「東京海上ビルディング本館」と称された。新館は、1930年に完成した「東京海上ビルディング新館」の建て替えとして1986年(昭和61年)12月に竣工し「東京海上ビルディング新館」と称された。東京海上火災保険と日動火災海上保険は2004年(平成16年)10月1日に合併し東京海上日動火災保険となったのでそれぞれ、本館は「東京海上日動ビルディング本館」、新館は「東京海上日動ビルディング新館」と改称された。
本館ビル西広場に、「くぐりえびす」があります。ビル竣工時に完成して以来、丸の内を行き交う人々を見守ってきました。恵比寿様は、七福神の1人。右肩に釣りざお、左腕に鯛を抱え、古来、大漁を祝う海の神として敬われてきました。この「くぐりえびす」は、国際的な彫刻家として知られている★流政之さんの作品で、全長は2メートル程あります。台座に彫られたすき間をくぐり抜けると、幸せになれるという言い伝えがあるそうで、時々観光にいらした方がくぐり抜けようとしている様子を見かけることがあります。すき間は28.5センチと横向きになってようやく通れるほどなので、大柄の方にはちょっと難しいかもしれません。同じく流政之さんの「波がしら」という作品も設置されています。
■1980「岸本ビル」
100-0005東京都千代田区丸の内2-2-1/03-3287-2591
http://kishimoto-estate.co.jp/index.html
皇居のお堀端に立地するレンガ貼りの歴史あるビルです。1926年(大正15)東京言論界の雄「時事新報社」の社屋「時事ビル」として建築される。1937年(昭和12)関西の鉄鋼問屋★「岸本商店」の岸本家がこれを入手、賃貸ビルとして改修して、「岸本ビルヂング」と改称。1980年(昭和55)7月7日、現「岸本ビルヂング」建替竣工。電気設備、空調設備等にも最新の設備を導入し、エレベーター、トイレ等の防災環境に配慮したリニューアルも既に実施済み。新築ビルと同等の機能を有するオフィス環境を提供しております。