■「丸の内マイプラザ」
100-0005東京都千代田区丸の内2-1-1/03-3283-9252ビルマネジメント
丸の内仲通りのほぼ中央に位置する丸の内 MY PLAZAは、1934年に建てられた国の重要文化財★「明治生命館」と、2004年に完成したインテリジェントビル★「明治安田生命ビル」で構成される、伝統と最新が調和する空間です。「明治安田生命ビル」のB2Fから3Fには、ファッション、インテリア、グルメを中心に、上質なスタイルを提案するブランドや、こだわりのレストランなど、それぞれに個性をもったショップが集まっています。さらに、現代建築と歴史的景観が融合する開放的な吹き抜け空間「MY PLAZAアトリウム」や、約400平方メートルの自在空間「MY PLAZA ホール」も備え、ショッピング・お食事に留まらない複合施設です。丸の内仲通り側の正面エントランスから日比谷通り馬場先濠に抜ける、開放的な空間――それがMY PLAZA アトリウムです。広大なその吹き抜け空間にはガラス屋根から取り込まれた自然光があふれ、隣接する国の重要文化財「明治生命館」の重厚さと美しく調和しています。ここでは季節毎に装飾物が施され、コンサートなど各種イベントも催されています。人と人、人と情報が響き合う、約400平方メートルの自在空間。丸の内の中心に位置する「MY PLAZA ホール」は、抜群の交通アクセスとプレスティージ性、そして最新の機能性を併せ持つ多目的ホールです。講演会、企業セミナー、発表会、レセプションなど、用途にあわせてアレンジし、ご活用いただけます。(03-5219-5602)
★1934「明治生命保険相互会社本社本館」重文指定年月日:19970529
http://www.meijiyasuda.co.jp/meiji_seimeikan/
「明治生命館」は、古典主義様式のオフィスビルの最高峰として、3年7か月の歳月をかけて完成しました。鉄骨鉄筋コンクリート造、地上8階地下2階建てのオフィスビルで、昭和5年に工事に着手、同9年に竣工している。設計監理は岡田信一郎と弟の捷五郎の手による。戦時下の金属供出、東京大空襲、1945年から56年までのGHQによる接収(アメリカ極東空軍司令部として使用するため)など、まさに昭和の激動期を乗り越え、1997年、昭和の建造物としては初めて国の★重要文化財に指定されました。現在、無料一般公開しております。「資料・展示室」では、明治生命館の見どころ、設計者★岡田信一郎はじめ建設に携わった人々、明治生命館の70余年にわたる足跡についてパネルにて詳しく紹介するとともに、立体映像などによって各諸室の詳細もご覧いただけます。創建時の設計図、古写真、関係書類など、現存する史資料のデジタル閲覧サービスもご利用いただけます。(月・火を除く。水~金曜日はエリア限定での公開となります。)土・日曜日11:00~17:00(最終入場16:30)水~金曜日(祝日を除く)16:30~19:30(最終入場19:00)※水~金曜日はエリア限定での公開となります。ただし12月31日~1月3日、ビル電気設備定期点検日は休館。
■1966「国際ビルヂング(帝劇ビル)」
100-0005東京都千代田区丸の内3-1-1/03-3287-0818(帝劇ビル防災センター)
http://www.teigeki-building.jp/index.html
◆1911【帝国劇場】03-3213-7221
http://www.toho.co.jp/stage/teigeki/
東宝の直営劇場である。帝劇(ていげき)の通称で知られる。益田太郎、西野恵之助、渋沢栄一、荘田平五郎、福沢捨次郎、福沢桃介、日比翁助、田中常徳、手塚猛昌が発起人となり、大倉喜八郎が采配を振って設立された本邦初の西洋式演劇劇場で、1911年(明治44)3月1日に竣工式が行われた。★横河民輔の設計によるルネサンス建築様式の劇場だった。1912年(大正元年)~1916年(大正5年)にイタリア人音楽家ローシーを招いてオペラ・バレエを上演したほか、六代目尾上梅幸・七代目松本幸四郎・七代目澤村宗十郎らが専属俳優となり歌舞伎やシェイクスピア劇などを上演。当時の「今日は帝劇、明日は三越」という宣伝文句は流行語にもなり、消費時代の幕開けを象徴する言葉として定着した。
1923年(大正12年)の大正関東地震(関東大震災)では隣接する警視庁から出た火災により外郭を残して焼け落ちたが、横河民輔により改修され、翌1924年(大正13年)に再開した。1930年(昭和5年)に松竹の経営となり、間もなく洋画封切館に転用。SYチェーン(松竹洋画系)の基幹劇場となった。1939年(昭和14)、運営会社を東宝が合併し、翌1940年(昭和15)松竹の賃借期限が切れると共に東宝の手により元の演劇主体の興行形態に戻す。しかし1955年(昭和30年)、舞台に巨大映画スクリーン・シネラマが設置され、再びシネラマ主体の洋画ロードショー用の映画館に転じたが、1964年(昭和39年)から翌年にかけての『アラビアのロレンス』を最後に解体。★谷口吉郎の設計で新たに現在の帝国劇場が1966年(昭和41年)9月29日に落成した。帝劇ビルの一部は落成当時から、石油業界大手の★「出光興産」が本社として使用している。1969年(昭和44年)から1984年(昭和59年)まで、『日本レコード大賞』発表会も行われた。現在、年間10作品程度上演している。また大晦日に行なわれる年末ジャンボ宝くじの抽せん会場としても知られた。
【参考】1965「新国際ビル」/東京都千代田区丸の内3-4-1
街路樹が並ぶ格調高い丸の内仲通り、ビルの高さはかつての高さ制限である31m。
・・・東京最後の目的地、閉館間際に飛び込みました。
◆【出光美術館】◆帝劇ビル9階
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/index.html
出光美術館は、昭和41年(1966)、出光コレクションを展示する美術館として東京都千代田区丸の内に開館しました。美術館は皇居のお濠に面した帝劇ビルの9階に位置します。ビルのワンフロアであることを感じさせない独特の空間は、開館当初の伝統的な和の雰囲気を残しつつ、その後の改装を経て、より快適にゆったりとお過ごしいただける環境へと整備をかさね、現在に至っています。展示は日本の書画、中国・日本の陶磁器など東洋古美術が中心です。テーマに沿った内容で、年5~6回の展覧会を開催しています。そのほか、コレクションを代表するルオーの作品と、オスロ市立ムンク美術館のご協力によりノルウェーの画家ムンクの作品をご覧いただくことができます。また、アジア各国および中近東の陶片資料を集めた陶片室は、充実した陶磁器コレクションをもつ当館ならではの施設として親しまれています。ムンク作品の展示は★2015年10月4日をもって終了します。
●日本の美発見Ⅹ「躍動と回帰=桃山の美術」
2015年8月8日(土)~10月12日(月・祝)
16世紀末から17世紀初頭にかけての日本は、戦国武将たちが天下の覇権をめぐってせめぎ合う、激動のただなかにありました。この時代、彼らの好みを反映しながら、躍動感に富んだ魅力的な造形が数多く生み出されるようになります。本展は、豊臣秀吉が没する慶長3年(1598)、あるいは徳川家康が江戸幕府を開く同8年(1603)までとする政治史の区分よりもやや幅を持たせつつ、この時代の美術をつらぬく特徴を考えるものです。きらめく金と、目にも鮮やかな絵具で樹木や草花、鳥たちの姿をあらわした狩野派の屏風絵、あるいは、紙の上に墨を荒々しくぶつけた長谷川等伯(1539~1610)の水墨画。そして、絵師と同じ時代を生きる人々の姿を、実感たっぷりに描き出した風俗画――桃山時代の絵画は、どれも豪華でエネルギッシュな魅力に満ちていますが、その斬新な発想の一端は、過去の時代の絵画、とりわけ日本の生活に深く根ざした「やまと絵」の主題と技法を大胆に変容させることで生まれたものだといえます。一方、この時代に頭角をあらわしたやきものは、志野・織部・古唐津、そして高取、備前、伊賀など、いずれも日本のやきものの歴史を大きく塗り替えた、豊かな造形性に満ちています。「歪み」「割れ」といった負の要素をこそ、肯定的な美の創造力に置きかえたそれらは、実は、平安・鎌倉時代の六古窯で作られた壺や甕から、生命を包み、運ぶうつわとしての力を掴みとっていました。本展は、ときに革新的とたたえられる桃山時代の美術の魅力が、実は過去の造形との関わりによって生み出されていることに注目します。出光コレクションから選りすぐった約90件の工芸作品と20件の絵画作品を通して、桃山時代の美術をより新鮮にとらえるための視点をご紹介いたします。
●「陶片室」
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/establishment/ceramic.html
日本をはじめアジア各地の遺跡や窯跡から出土した世界各地の貴重な陶片資料を常時展示しています。やきものの新たな魅力やおもしろさを発見できる当館ならではの展示室です。
●「朝夕菴」
★谷口吉郎氏が設計した茶室「朝夕菴」では季節の取り合わせをご覧いただくことができます。本茶室は昭和50年(1975)、表千家家元即中斎宗匠を迎え「朝夕菴」披きの茶会を行いました。ロビーを望む館内の一角で、季節にあわせた茶道具の展示をお楽しみいただきます。
・・・私は「大阪」大好き人間だけど、「東京」もいいよなあ。