・・・国宝「曜変天目茶碗」を紹介しましたので、国宝「油滴天目茶碗」も掲載しておきたいと思います。
◆【大阪市立東洋陶磁美術館】◆
530-0005大阪市北区中之島1-1-26/06-6223-0055
この美術館は、世界的に有名な★「安宅コレクション」を住友グループ21社から寄贈されたことを記念して大阪市が設立したもので、1982(昭和57)年11月に開館しました。館蔵品は「安宅コレクション」の中国・韓国陶磁を中心に、「李秉昌(イ・ビョンチャン)コレクション」の韓国陶磁、濱田庄司作品などの寄贈や、日本陶磁の収集などにより、東洋陶磁のコレクションとして世界第一級の質と量を誇っています。このなかには、★2点の国宝と13点の重要文化財が含まれています。また、ペルシア陶器、鼻煙壺など関連分野のコレクションの寄贈によっても館蔵品の充実が進んでいます。 展示では、代表的な作品約300点によって中国、韓国、日本の陶磁などを独自の構成と方法により系統的に紹介しています。 年1~2回の企画展、特別展では専門的なテーマのもとに、学術的水準と芸術性の高さを保ちながら、魅力ある内容の展示をめざしています。
●企画展「白檮廬(はくとうろ)コレクション-中国古陶磁清玩」
平成25年8月10日(土)~11月4日(月・振休)
白檮廬コレクションとは、奈良県在住の収集家・卯里欣侍氏(号「白檮廬」)より寄贈を受けた中国陶磁、韓国陶磁、中国工芸品など約180点からなるコレクションです。卯里氏は、中国の文化、芸術に造詣が深く、その半生をかけたコレクションは時代的、技法的に広範囲に及んでいます。今回の展示では、コレクションの中核をなす中国陶磁から約90点を選び、新石器時代から清時代までの約5千年にわたる中国陶磁史を辿ります。
★国宝【飛青磁花生】
釉上に鉄斑を散らした青磁は、日本では「飛青磁」と呼ばれ、茶人らに好まれてきました。この作品はその中でも釉色・鉄斑の現れ方ともに優れた作例のひとつです。この瓶は俗に「玉壺春」と呼ばれる器形です。ほっそりした頸と豊かに膨らんだ胴部が好対照をなして、見事な均整美を見せています。高台は畳付から5ミリほど釉を削っており、露胎部は濃い赤褐色となっています。鴻池家伝来品であり、類品がイギリスのヴィクトリア&アルバート美術館とスイスのバウアー・コレクションなどに見られます。
・・・2年前になりますが、ミュージアムを訪問した際、国宝「油滴天目茶碗」の展示がありませんでした。担当の方にお聞きしますと、再発見「大阪の至宝」於:大阪市立美術館に展示されるということでした。ということで、わざわざ市立美術館まで観に行ったのでした。
◆【大阪市立美術館】◆
543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-82(天王寺公園内)/06-6771-4874
http://www.osaka-art-museum.jp/
大阪市立美術館は、市民が優れた美術文化に接する機会を提供し、生活に潤いをもたらすとともに、美術家の活動を助成し、広く大阪の文化振興に資することを目的として、昭和11年5月に開館しました。美術館は天王寺公園の中に位置していますが、その敷地は住友家の本邸があった所で、美術館の建設を目的に庭園(慶沢園)とともに大阪市に寄贈されたものです。美術館は設立当初の本館と、平成4年に美術館の正面地下に新設した地下展覧会室からなります。地上3階、地下2階からなり、本館陳列室では、特別展覧会や平常展示を開催しています。平常展示では購入や寄贈によって集まった日本・中国の絵画・彫刻・工芸など8000件をこえる収蔵品と、社寺などから寄託された作品を随時陳列しています。これらの作品には国宝や重要文化財に指定された作品も多く含まれています。また地下展覧会室では、常時様々な美術団体が主催する展覧会を開催しています。本館地下には美術館に付設されている美術研究所があり、素描、絵画、彫塑の実技研究を行っています。
★平成27年8月4日付け官報告示により、当館が登録有形文化財(建造物)に登録されました。
●「再発見!大阪の至宝」展
平成25年10月29日(火)~12月8日(日)
大坂(大阪)は、日本の政治的中心地や諸外国との窓口に位置し、古くは豊臣秀吉などの天下人やあまたの豪商たちが「事・物」の集積を担ってきました。近現代になると経済界の人々が多様な“数奇”の道に足を踏み入れ、大きな美術コレクションが形成されてきました。これらの大阪や関西にゆかりの数々のコレクションは、収集者の死後に大半が散逸してしまいましたが、一方で自らの収集品を市民共有の文化遺産と考え、次代への継承を意識するコレクターたちも登場しました。その受け皿となったのが国公立の美術館・博物館であり、コレクターを母体とした私立の美術館・博物館でした。国公立の美術館・博物館は、市民の情操の向上や学術の発展に寄与するために、コレクションの寄贈を受けたり廉価に譲渡いただき、展覧会活動を充実させてきました。本展は、大阪市の美術館・博物館が所蔵する主要な美術コレクションについて、その収集の軌跡をコレクターのまなざしとともに振り返ろうとするものです。加えて大阪を発祥とするコレクションを所蔵する私立美術館の名品や、大阪市立美術館に寄託されている作品の一部も陳列させていただきます。個々のコレクションを育んだ大阪という都市や関西という地場の感性を浮き彫りにし、大都市の欠かせない施設としてのミュージアムとコレクションの関係を、およそ160件の作品を通して再考します。
★国宝【油滴天目茶碗】
天目は黒釉の碗という意味にも使われています。この名称は中国の浙江省北部の天目山に由来しているといわれます。油滴天目は福建省にある★建窯で焼かれたもので「建盞(けんさん)」とも呼ばれています。水面に浮かぶ油の滴のようにみえる金・銀・紺に輝く斑点から油滴と呼ばれています。油滴は釉薬に含まれる鉄分が雄の表面で結晶したもので、中国では「滴珠」と呼ばれています。口縁部に施された金覆輪は、口縁部を補強するためのものですが、見た目にもアクセントになっています。本品は鎌倉時代に日本にもたらされ、関白豊臣秀次が所持し、のち西本願寺、京都三井家、若狭酒井家に伝来しました。南宋時代の漆の天目台3点が添えられています。
【天目茶碗】
鉄釉を用いて焼かれた陶磁器は中国においては、周の時代に遡るが、本格的な製造は東晋期に現在の浙江省にあった徳清窯で焼かれたものであるとされている。宋以後盛んに制作されるようになった。その頃日本では禅宗が盛んになった鎌倉時代にあたり、中国禅宗の中心であった浙江の天目山に留学した禅僧が喫茶の習慣とともにこれを日本に持ち帰った事から、鉄釉のかかった茶碗を「天目」と称し、その中でも特に鼈口を有した2段の口造り構造となった天目の茶碗は中の茶の保温に優れたものとして茶道を愛好するものに好まれたために、こうした茶碗を「天目茶碗」と呼んで珍重して、台子点前・貴人点などの重要な茶会などの際にも用いられた。天目を焼くために用いられる釉薬(鉄質黒釉)は、釉薬の中に含まれている鉄分によって黒く発色する。従って、鉄分の含有量によって、その色合いが異なり、鉄分が少ない天目は飴釉(あめゆう)、多い天目は柿釉(かきゆう)とも称されている。
【鼈口】
すり鉢のように開いた形で、口縁部はいったん少しすぼまってから再び外に開く「鼈(すっぽん)口」で、高台は低く小さいもの。茶の湯で貴人用・台子点前用に用いられ、高台が小さいため「天目台あるいは貴人台」にのせて用いられます。
・・・「茶碗」も素晴らしかったのですが、「陣羽織」のモダンなデザインに脱帽です。
【富士御神火文陣羽織】
伝豊臣秀吉所用の陣羽織です。御神火たちのぼる富士山を大胆に描き、山すそには水玉模様をあしらう、いかにもしゃれたデザインとなっています。
【NEWS】2013読売ニュースより「戦場は美の競演・バサラの魂、今に」
大阪城天守閣(大阪市中央区)内に列の絶えないところがある。戦国武将の「兜」のレプリカを試着するコーナーだ。鹿の角をあしらった兜は真田幸村(さなだゆきむら)、水牛の角は後藤又兵衛、烏帽子の形は加藤清正・・・。どれも奇抜で派手そのもの。総じて「変わり兜」と呼ばれる。豊臣秀吉の愛用と伝わる「馬藺後立付兜」(高さ約60センチ)に至っては、もっと大胆だ。アヤメの一種・馬藺の尖った葉をかたどった装飾。29枚の葉を広げ、仏像の後光が差すように見せている。コーナーで一番の人気という。現代美術家★天明屋尚さん(47)は、そんな戦国の美に魅せられた一人だ。サッカーボールを奪い合う変わり兜の武者を描いた「蹴球之図」は、2006年サッカーW杯ドイツ大会・公式アートポスターの1枚に選ばれ、注目を浴びた。「海外の人たちが、かっこいいねと面白がってくれた」という作品。内心、手応えもつかんだという。「戦国衣装は、武将の理想や勝ちたい執念、家訓のすべてが詰まっている。その美意識は世界に通用する」
戦場は<美の競演>の舞台だったのだろう。映画「武士の家計簿」の原作者で歴史家の磯田道史さん(42)(静岡文化芸術大准教授)はそのわけを解く。戦のたび、武将たちが見知らぬ敵に自らの存在を知らしめたのは「何よりも、あっと言わせるファッション」。むろん死ぬ時も美しくありたい。それは「死に装束」でもあった。派手さの源流は、南北朝時代の「バサラ(婆娑羅)」と呼ばれる社会風潮という。動乱のさなか、大名らが幕府などの権威に盾突き、華美な服装や振る舞いを好んだ美意識でもある。もとは反骨や異端精神の表れ。戦国期に入ると、下克上のエネルギーと結びつき、天下を目指す織田信長や秀吉らがバサラの体現者となっていく。磯田さんは「天守閣を築くのと同じで、権力者は着る物でも圧倒しなければならない。それに気付いたのが信長、全面展開したのが秀吉」という。例えば秀吉の品と伝わる★「富士御神火文黒黄羅紗陣羽織」。漆黒の空に、噴火する黄色の富士山を配した大胆な柄。最高峰を身にまとい、他を見下ろす感がある。いかにも天下人。秀吉はどんな思いを込めたのか。磯田さんは笑う。「秀吉は背が低いことも意識したんです。大きく見せる効果的なデザインですね」
戦国の美から着想を得て、奇抜なファッションを海外に発信した草分けは、デザイナー★山本寛斎さん(69)だ。1970年代にロンドンで日本人初のコレクションを成功させ、英ミュージシャンのデビッド・ボウイのステージ衣装も手がけた。静謐な「わびさび」とは★対極ともいえる派手な文化。天明屋さんは、一瞬を生きた武将たちの刹那的な美意識が理解されつつある、と感じる。「BASARA」を自らのテーマに掲げ、ポスター以降も、日本の伝統美術をベースに劇画やアニメ、時には刺青や暴走族の意匠までを用いた画風で、多くの人をあっと驚かせる。合戦の絵は米国の美術館に収蔵されている。「バサラの美は今後、クールジャパンの新潮流になりうる」と天明屋さん。大阪城天守閣2階の試着体験コーナーでは、実物とほぼ同じ材質で復元された変わり兜5種類が用意されている。秀吉愛用とされる「馬藺後立付兜」のほか、「大坂夏の陣図屏風(びょうぶ)」(同天守閣蔵、重文)の絵図から復元した真田幸村の「鹿角脇立付兜」も人気。3階で5月7日まで開かれている展示「信長、秀吉、家康――天下人の時代」では、秀吉が織田信長から拝領したという猩猩緋に白の文様を散らした★「木瓜桐文緋羅紗陣羽織」(同天守閣蔵)も出展されている。
・・・「夏ミュージアム」で孫と訪問した「狭山池博物館」、その中に設置されている「大阪狭山市郷土資料館」に、「御神火」が前立ちとして飾られた兜の展示がありました。「わびさび」の対極にある「バサラ(婆娑羅)」、「和」と「洋」、「新」と「古」それらの融合(コラボ)こそがめざすべき方向ではないかと思うのです。
・・・実は、この夏「主題派美術展」に出品した作品は★「茶室」をイメージして制作しました。「炉」や「掛軸」などが配置されているのが、おわかりでしょうか。使用した素材も、様々な和紙・写経や表装用の糊、墨などです。今後も対極にあるものを「融合(コラボ)」させていきたい、と思っています。