堺・寺社巡り(3) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

◆「妙國寺

堺市堺区材木町東4-1-4072-233-0369

http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/bunkazai/bunkazai/shokai/bunya/tennen/sotetsu.html


こく1


永禄5年(1562年)日蓮宗の学僧日珖が開いたとされ、境内には樹齢1,100年を超える蘇鉄(ソテツ)が堂々と堺のまちを見守っています。大蘇鉄は織田信長の所望で安土城に移植されましたが、毎夜「堺に帰りたい」と泣いたので、信長は激怒して「切り倒してしまえ」と命じました。蘇鉄は切り口から鮮血を流し大蛇のごとく悶絶し、恐れをなした信長は再び妙國寺に返したという伝説の樹で国指定の天然記念物です。現在大小120数本の幹枝を数え、江戸期の「和泉名所図会」には「大枝22本、小枝78本、総まわり25尺、高さ22尺余り、枝葉6~7間は一面の蒼色ですいらんの如し」と記された堺の名木の一つです。また、日本で唯一の「蘇鉄の枯山水」の庭園には、千利休の寄贈といわれる「六地蔵灯篭」や「瓢箪型手水鉢」があります。慶応4年(1868年)堺港に上陸してきたフランス軍艦の兵に対し、堺の警固にあたっていた土佐藩士が阻止しようとしてフランス人22名を殺傷した堺事件で、土佐藩士11名が切腹した地としても有名です。山門を出たところに「とさのさむらいはらきりのはか」と刻まれた碑があります。相州鍛冶の祖とされる新藤五国光の短刀銘「国光」や、名刀工正宗の十哲の一人といわれ備前長船住長義の脇指「朱銘長義」の重要文化財は、堺市博物館に寄託されています。


こく2


・・・再度、ゆっくり訪問したいお寺です。


こく3


◆「菅原神社」

590-0945堺市戎之町東2丁1-38072-232-2450

http://www.sakaitenjin.or.jp/


こく4


【参考】熊野八十八王子「境王子」(堺王子後に熊野神社となったと言う説がある。その熊野神社も明治41年に菅原神社に合祀されたまた、竹山真次氏は『難波古道の研究』の中で、王子社は熊野古道に沿う山ノ口神明神社の付近にあったとするのが妥当としている。神明神社は菅原神社内の薬師神社に合祀されている。

こく5


菅原道真自作の木像が堺の浜に漂着し、これを祭ったのがはじまりといわれています。天神さんと呼ばれ、堺戎(えべっさん)としても有名です。鉄砲鍛冶・榎並屋勘左衛門の寄進により、延宝年(1677)に建てられたと伝えられる楼門は大阪府指定有形文化財です。これの特徴のひとつは軒を支える複雑な組物に、彫刻を刻んだ絵様肘木という肘の形をした組物を用い建築技法を簡略化していることで、府下では数少ない楼門建築として貴重です。また白壇や珍しい樹木、夏のホタル観賞、月中旬の秋祭りのふとん太鼓でも知られています。