堺・寺社巡り(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・堺伝統産業会館の2階「刃物ミュージアム」で、じっくり刃物を堪能しました。


さかい1


・・・会館を出たところで、堺トラム「茶々」に遭遇。阪堺電車を追いかけて、「寺地町駅」あたりまでやって来ました。


さかい2


◆浄土真宗本願寺派「多聞山・善宗寺」

590-0969堺市堺区新在家町西1-1-4/072-232-4512

【参考】真宗大谷派「善宗寺」

590-0952堺市堺区市之町東6-1-30722-33-7854

・・・前を通るたび、気になっていたお寺です。「五重塔」というより「五重塔風」と呼ぶべき建築ですが、「紀州街道」沿いにありとても目立っています。その近くにあるガソリンスタンドには大きな「旧堺灯台」があり、これも非常に目立っています。


さかい3


小走石油)「Dr.Driveパロス寺地SS

590-0962堺市堺区寺地町東1-1-24072-223-4747

http://servicestation.jp/%E5%B0%8F%E8%B5%B0%E7%9F%B3%E6%B2%B9/

元禄年間:具足屋の屋号にて貿易ならび廻船問屋を営む傍ら植物油の製造販売を創む。

明治12年:小走好三郎、現在地に於いて植物油及び石油の取り扱いを開始。「★創業」

明治40年:小倉石油株式会社の特約販売店となる。昭和10年:小走董吾家業を継承する。

昭和16年:小倉石油株式会社と日本石油株式会社の合併により日本石油株式会社の特約販売店となる。昭和17年:石油および植物油の配給統制につき指定配給所となる。昭和22年:石油配給公団の指定配給所となる。油糧公団堺地区配給元となる。昭和37年1月:業務拡大伸展に伴い株式会社に改組し、小走董吾代表取締役となる。昭和38年12月:日本石油ガス株式会社の特約販売店となる。昭和54年3月:自動車整備工場の認証を受ける。昭和57年4月小走好弘代表取締役となる。平成元年関西セルラー電話株式会社の代理店となる。平成10年4月:小走好彦代表取締役となる。平成11年4月:日本石油株式会社と三菱石油株式会社の合併により日石三菱株式会社の特約販売店となる日石三菱株式会社から新日本石油に特約店名の変更平成12年7月:新日本石油の合併により特約店名をJX日鉱日石エネルギー株式会社に変更

旧堺燈台

木製の六角形の灯台で、高さは11.3メートル。1877年(明治10年)に完成し、1968年(昭和43年)1月29日まで使用されていた。1972年(昭和47年)7月12日に国の史跡に指定された。2005年(平成17年)から保存解体修理を行い、2007年(平成19年)3月に修理工事が終了。

江戸時代の堺港の燈台の変遷については、『堺市史史料』に収められている「堺港燈台起源沿革等取調上申書」(『堺市史』第6巻に「堺港燈台起源沿革書」として掲載)に記録が残されている。これによると、堺港の燈台は、1689年(元禄2年)に初めて市中の商人の寄金で建築されて以降、1877年(明治10年)の洋式燈台まで7期にわたって、位置を変えながら新設されていったとされている。堺港は、特に1704年(宝永元年)の大和川付替え以降、土砂の流入などにより修築を繰り返し、それにあわせて、燈台も規模を大きくしながら位置を変えていった。このことは同時に、堺の町の発展を表すものであるといえる。明治時代初期、堺港の改修事業に伴い、新しい灯台設置の必要性が高まった。そこで高山保次郎をはじめ、堺の有力者らは自ら基金を出し合い、当時の堺県からの補助金も受けて灯台を建設した。灯台の建設にはイギリス人技師指導のもと、堺の大工や石工も深く関わっている。1877年(明治10年)に大波止(南突堤)の西端に灯台が完成し、同年9月15日から稼働した。当初の光源は石油ランプを使い、約18キロメートル先まで灯台の光が届いたとされている。しかし時代が下り、1959年(昭和34年)から始まった堺泉北臨海工業地帯の埋め立てにより、徐々に灯台の役目を果たせなくなった。そのため灯台は1968年(昭和43年)に廃止され、90年の歴史に幕を閉じた。旧堺燈台は堺市のシンボルのひとつとされ、市内各所でモチーフとして使用されている。とりわけ堺区内には旧堺燈台をモチーフにした公衆電話ボックスや時計台があり、旧堺燈台をデザインしたマンホールが随所に見られる。1997年(平成9年)に開催されたなみはや国体を記念して、堺市内の和菓子製造業者らが共同で、旧堺燈台をかたどった「堺燈台もなか」を開発している。近年では海の日の前後の2日間で、市職員立会い(ガイド)の下で燈台内部の一般公開も行われている。旧堺港の沿岸部はプロムナードとして整備され、大波止には詩人・伊東静雄の歌碑『燈台の光を見つつ』も建っている。また、2000年(平成12年)には、かつて大浜公園にあった龍女神像が小波止(北突堤)の波除住吉神社跡地に復元設置され、旧堺燈台とともにシンボルとなっている。なお、旧堺燈台の先代にあたる第6期の灯台(遥明台)は小波止に置かれていた。


さかい4


・・・堺を巡り、あらためて寺社の多さに驚いています。すべてを紹介することはできませんが、気に入った寺社をいくつか掲載することにします。「南宗寺」界隈は「茶の湯」関連で紹介していますので、フェニックス通りよりも北側を紹介していきます。


さかい5


◆「祥雲寺」/堺市堺区大町東4丁2-7

http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/bunkazai/bunkazai/shokai/bunya/meisyo/shounjiteien.html

寛永年(1625)に沢庵和尚によって創建され、庭園は枯山水の様式で大徳寺の方丈庭園と類似し、府の指定名勝になっています。方丈の南庭として作られ、庭全体を平らとする平庭式の枯山水様式の庭園で、土塀寄りに石組を配置し手前に広い白砂空間をとっているのは、江戸時代初期の枯山水に共通する様式です。第二次世界大戦で敷地全体が焼けましたが、焼け残った石組をもとに整備され当時の姿をしのぶことができます。寺の創建に関わった堺の豪商谷正安の依頼で描かれた「沢庵和尚像」や、釈迦の教えを聴聞する「釈迦二声聞像」は重要文化財に指定されています。

祥雲寺の松

https://www.lib-sakai.jp/kyoudo/sakai_taikan/sakaiTaikan_25.htm