・・・堺市での「彫刻」巡りの途中に出会った「赤煉瓦」を紹介します。「南蛮橋」から南蛮人が何を見つめていたのか、
★旧南海本線「堅川橋梁跡」
現在は高架化された、南海本線堺駅近辺だが、昭和58年に高架化されるまでは当然地面を走っていた。堺駅のすぐ南東に、旧南海本線の橋脚が残っていた。残念ながら周辺の地形は、旧線を思わせるものは残っていないが、線路のすぐ横に高架線を作って、地上線を廃止してきた南海本線の中では、唯一のともいってよい遺構である。
◆「ダイセル工場跡地」
http://www.daicel.com/inheritance/
堺セルロイド(株)(1908年設立)の本社工場として1910年に完成しました。現在は、堺工場の跡地にモニュメントとして保存されており、大阪府の「大阪ミュージアム」にも登録されています。
★イオンモールが、ダイセルの堺工場跡地に「(仮称)イオンモール堺鉄砲町」を出店
「イオンモール」は、大阪府堺市に出店予定の「(仮称)イオンモール堺鉄砲町」の起工式を2014年10月21日に行いました。
●「(仮称)イオンモール堺鉄砲町」の開発計画について
堺市HPより都市計画決定等に関する提案書の提出について(鉄砲町地区)
南海本線に乗って、海側を見ていると「大和川」を超えたすぐの所に広大な更地があります。ダイセルの堺工場跡地です。ダイセルの堺工場はかなり前に閉鎖され、解体されてずっと更地のままでした。出店予定地であるダイセルの堺工場跡地は、大阪府を南北に縦断する国道26号線に接道し、東側には南海本線「七道駅」が隣接する広域からもアクセスが見込まれる好立地です。「大阪ミュージアム」にも登録されている貴重な建造物「堺鉄砲町赤レンガ建築」を生かした広場を設置し、多彩なイベントなどを行い賑わいある堺を演出します。
【(仮称)イオンモール堺鉄砲町の概要】所在地:大阪府堺市堺区鉄砲町1番地
敷地面積:約102,000㎡/延床面積:約135,000㎡/駐車台数:約2,300台/開店:2016年03月予定
◆南海電鉄「七道」
590-0905堺市堺区鉄砲町1-22/072-232-0673(堺駅)
http://www.nankai.co.jp/traffic/station/shichido.html
駅の西側にはロータリーがあり、その中心には★河口慧海の銅像が立てられている。駅北方には工場が多い。駅東側は鉄砲試射場のあった七道浜で、堺市街の北西端となる。当駅高架下を2本の道路が横断しているが、改札のある南側の道路を東へ行くとすぐ、内川に架かっていた江川橋跡になり、そこから東が堺市街となる。さらに東へ行くと非公開だが鉄砲鍛冶屋敷が現存している。北側の道路は土居川と呼ばれる環濠の北部分を埋め立てた道路で、西から千日橋、北之橋(大道筋)、稲荷橋が架かっていた。千日橋は千日井と呼ばれる井戸に由来し、行基建立の高渚寺(たかすでら)の井戸と伝わる。高渚寺は現存しないが、諸説ある七道の地名由来のひとつに高渚寺の七堂伽藍説がある。堺市街の北東端に近い稲荷橋跡には、鬼門封じとして鉄砲鍛冶の芝辻理右衛門によって勧請された高須神社(たかすじんじゃ)という稲荷社が現在も鎮座する。
【河口慧海】
昭和58年(1983)「堺ライオンズクラブ25周年記念アクティビティ」として建立、制作:田村勤。羊二頭に荷物を積んで(ネパール入国の初めての日本人)チベット高原を行く慧海。
・・・残念ながら工事が進んでいて、外周から「赤煉瓦」の建物は確認できませんでした。しかし帰り道、
◆「旧天王貯水池」堺市堺区中三国ヶ丘町3丁78/登録年月日:20010828
http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/bunkazai/bunkazai/torokuseido/oldtenochosuichi.html
旧天王貯水池は、明治43年(1910)に計画給水人口6万人の規模の上水道配水池として建設され、昭和37年まで約50年間にわたり、その役割を担ってきました。明治43年の水道施設の建設は、大阪府下では大阪市(明治28年建設)に続くもので、市民の大きな期待が寄せられたものでした。建設にあたっては、出入口を初めとして全体を、その当時の最新の建材であった煉瓦で造っています。正面入口には水道施設の先進地であるヨーロッパで用いられていた建築の古典様式にならい「凱旋門」風のデザインが採用されました。設計は★野口広衛。建物内部では、点検用の通路を中央に通し、両側に貯水槽が造られています。それぞれの貯水槽は5つに区切られ、内部は半円筒のヴォールト架構になっています。また外部は、貯水槽の周囲に土を盛り上げて、直射日光などをさえぎることで細菌の繁殖を防ぎ、水質の安全をはかってきました。このように、旧天王貯水池はそのデザインと施工技術の優秀さの面で建築的にきわめて価値が高く、また堺における上水道の歴史の一端を知る上で貴重な建物であるといえます。
・・・中に入ってみたいものです。