・・・「待望のミュージアム」で奈良国立博物館に行きましたので、博物館にある茶室「八窓庵」について、公開された時の画像を紹介(再掲)しておきたいと思います。
・・・季節は「秋」、画像を観ているだけで涼しくなってきます。
★「八窓庵」
http://www.narahaku.go.jp/guide/07.html
奈良国立博物館の中庭にある「八窓庵」は、もとは興福寺の大乗院庭内にあった茶室で、「含翠亭」ともいい、江戸時代中期に建てられました。江戸時代の名茶人、★古田織部(1544~1615)好みと伝えられる多窓式茶室として有名です。
この茶室と興福寺塔頭慈眼院の「六窓庵(現所在:東京国立博物館)」、東大寺塔頭四聖房の「隠岐録(東京へ移建の後、戦災で消失)」と称される茶室とあわせて大和の三茶室といわれていました。
【参考】「六窓庵」/東京国立博物館庭園
慶安年間(17世紀中頃)に奈良の興福寺慈眼院(じげんいん)に建てられた金森宗和(1584~1656)好みの茶室。もとは興福寺大乗院 内にあり現在奈良国立博物館に移された八窓庵、東大寺塔頭四聖房の隠岐録とともに大和の三茶室といわれました。明治8年(1875)に博物館 が購入、解体輸送中に伊豆で船が難破しましたが、幸い材は流失をまぬがれて明治10年に当館に移築されました。その後、第二次大戦中再び解体され疎開しま したが、昭和22年(1947)9月、数寄屋の名工木村清兵衛により現在の位置に再建されたものです。水屋、寄付、腰掛などは明治14年に古筆了仲によって設計、増築されたものです。にじり口にある手水鉢(ちょうずばち)は四方仏水盤といわれる形式のもので、延長3年(925)関白・藤原忠平が建立した山城国法性寺の石塔のひとつでした。その後、銀閣寺を経て所有者がいく人か変わり、明治18年に博物館の所有になりました。
この「八窓庵」は、地元に永久保存されることを望む奈良在住の篤志家数名の努力によって当時の帝国奈良博物館へ献納されたものです。明治25年(1892)に博物館の敷地に移設されました。様式は四畳台目下座床で、草庵風になっており、入母屋造り茅葺で、天井は床前から点前座にかけて蒲天井とし、残りは化粧屋根裏になっています。
・・・この時、「仏教美術資料研究センター」も公開でした。
・・・「古田織部美術館(太閤山荘)」にも行きたいと思っています。