茶の湯(7) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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【参考】PRESIDENT2009年6月15日号)より

臨済宗大徳寺派の大本山である京都大徳寺は千利休ゆかりの寺院として知られています。二層からなる山門の上層「金毛閣」は参禅していた利休の寄進で完成し、大徳寺は寄進の顕彰として利休の木像を安置しました。しかし、これが天下人のくぐる山門を見下ろすのは不敬という言いがかりのような咎の種になり、利休は秀吉から切腹を言い渡されます。現在は江戸時代に復元した複製の像が安置されています。取材で大徳寺の山門に上げていただいたときに拝見して、長谷川等伯の巨大な竜の天井画とともに実に印象に残りました。等身大に作られたそうですが、大変大きい。伝えられているように大柄な人だったのでしょう。私は大徳寺の近くで生まれ育ちました。父親が学生時代に大徳寺の塔頭に下宿していたし、私も子供の頃は境内で遊び回った。利休にまつわる話もよく聞かされていました。作家になり、戦国期や幕末の職人を主人公にした小説を書き続ける中で、日本史のなかの美の巨人である利休をいつか書きたいという気持ちが温まってきたのは、私にとって自然な流れだったように思います。しかし、利休の美学を描くとなれば茶の湯の世界に触れなければ始まりません。執筆の1年ほど前、大徳寺のある塔頭でお茶のお稽古会に参加させてもらいました。最初は本当に驚かされることばかり。こんな凄まじい美学を考えた人は殺されてもしょうがないと思いました。茶席では亭主が茶碗と棗(茶を入れる器)と水指を運び込みます。最初に水指を置いて、次いで棗と茶碗を水指の前に置き合わせます。このとき、つの道具の中心線を結んだ形が二等辺三角形になるように、茶碗と棗を畳三目離さないといけません。お点前を始めるときには、炉に向き直った膝前に置き直し、棗と茶筅を五目離して置きます。帛ふく紗さを捌さばくのは左膝の前。柄杓なら竹の節が真ん中にくるよう持つ位置が決まっていて、間違ったら「もうちょっと下」と直される。そういう決まりごとがいくつもあります。利休は道具のしつらえの美しさ、それから道具を扱う所作の美しさの黄金律というものを見抜いていて、そういう決まりごとにしたのでしょう。畳の目一つで、点前の席の空気が凛と引き締まる。張り詰めすぎず、さりとて窮屈ということもない絶妙な塩梅になる。「別に四目でもいいじゃないか」と思うのですが、やはり三目であると落ち着く。悔しいことに、利休が言った通りにしたほうが美しい。絶対音感ならぬ、「絶対美感」のようなものが利休には備わっていたのではないかと私は思います。たとえば同時代の茶人でも高弟の古田織部などは師の侘び茶とは一線を画して、武家らしい、大胆で雄渾な茶を求めました。どこか織部自身を表出しているような茶席で、どこか近代の美術、近代絵画にも通じる自己表現が感じられます。しかし、利休のお茶は決して自己表現ではない。人の中に共通している美意識の黄金率、それを見出して形にしたのが利休ではないかと思うのです。山本兼一


たずね1


【映画「利休にたずねよ」】監督:田中光敏2013年12月7日全国公開)

直木賞に輝いた山本兼一の小説を実写化した歴史ドラマ。戦国時代から安土桃山時代に実在した茶人・千利休の若い頃の恋、それを経て培った美への情熱と執着を壮大に映し出す。『一命』の市川海老蔵が千利休にふんし、10代から70代間際までの変遷を見事に体現。出演は、千利休演じる市川海老蔵、妻役を中谷美紀、織田信長を伊勢谷友介、豊臣秀吉を大森南朋が演じる他、2013月に亡くなった市川團十郎が利休の師匠役として特別出演され、海老蔵と初の親子共演を果たされたことでも話題を集めました

場所(ロケ地)大徳寺「金毛閣」裏千家「今日庵」三井寺大徳寺神護寺南禅寺彦根城他

セット黄金の茶室北野天満宮の大茶会国宝「待庵」(※三井寺「覚勝院」に作りこまれました)


たずね2


市川団十郎12代目19462013

http://www.naritaya.jp/

歌舞伎俳優の市川団十郎さんが2013年2月3日午後9時59分、肺炎のため東京都港区の病院で死去した。66歳だった。201212月から、肺炎の兆候がみられるとして入院していた。201212月に中村勘三郎さん(享年57)を失ったばかりの歌舞伎界に大きな衝撃が走った。

山本兼一(19562014)

京都市生まれの小説家。京都市立紫野高等学校、同志社大学文学部文化学科美学及び芸術学専攻卒業。出版社、編集プロダクション勤務、フリーライターを経て作家デビュー。99年『弾正の鷹』で小説NON短編時代小説賞を受賞。2004年『火天の城』で松本清張賞を受賞。『利休にたずねよ』で第140回直木賞受賞。その他の著作に、『雷神の筒』『いっしん虎徹』などがある。2012年10月に肺腺癌で一度入院。2013年12月中旬に病状が悪化して再入院し、病床で執筆を続けていた。2014年2月13日午前3時42分に原発性左上葉肺腺癌のため京都市の病院で死去。57歳没。雑誌『中央公論』に2013年11月号から連載していた「平安楽土」が絶筆となった。最後となった同作の第回を編集者に送ったのは死去前日、亡くなる約時間半前であった。


・・・この面々、三者三様ながら★「写しの達人」だとは思いませんか。


たずね3


◆「爽籟軒庭園

722-0045広島県尾道市久保2-6-60848-37-1234

http://www.city.onomichi.hiroshima.jp/bunka/facility/souraiken.html

爽籟軒(そうらいけん)は江戸時代の豪商で名刺を多く輩出した橋本家(加登灰屋)の別荘で、建設された当時は現在よりも広大な敷地を誇る豪邸でした。その日本庭園にある茶室「明喜庵(みょうきあん)」は京都山崎にある国宝の「妙喜庵待庵」の写しとして現存する、国内でも貴重なものです。こうした立派な茶室の「写し」を造ることができたのは選ばれた人たちだけでした。2007年には庭園が尾道市の名勝に指定され(指定面積858平方メートル)、茶室明喜庵は尾道市重要文化財に指定されました。

三桝正典】(1960~

http://mimasu.blog.enjoy.jp/blog/2013/04/post-9a75.html

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1401867831405/index.html

広島県出身。高知大学教育学部特設美術過程(版画科)卒。現代美術が専門。現在、広島女学院大学人間生活学部幼児教育心理学科にて教授を務める。広島県を中心に個展など多数開催。これまでに京都市・大徳寺「瑞峯院」や、呉市下蒲刈・蘭島閣美術館に隣接する茶室「白雪桜」、尾道市爽籟軒庭園の茶室「明喜庵」、広島市・明星院の茶室「敬慎斎(写)」のふすま絵などを手がける。


たずね4


・・・「写し」だからこそ、いろいろな工夫★挑戦ができるのかもしれませんね。


たずね5


◆「らくたび

http://www.rakutabi.com/

京都の旅行企画、京都観光ガイド、講演、京都本の制作などさまざまなかたちで千年の都・京都の魅力を発信しています

国指定登録有形文化財/市指定景観重要建造物
≪らくたび京町家(旧村西家住宅)≫株式会社らくたび

604-8141京都市中京区蛸薬師通高倉西入泉正寺町333075-257-7321

http://essay.kyo2.jp/e467704.html

らくたび京町家(旧村西家住宅)は、昭和7(1932)年に棟上げされた築80年を超える京町家で、奥に建つ蔵とともに近代京町家の代表事例として登録有形文化財/市景観重要建造物に指定されています。京都の中心部四条烏丸エリアに位置し、地下鉄・阪急・市バスなどの交通アクセスもよく近くには六角堂、錦市場、京都文化博物館などの観光スポットが点在しています。2015年1月より、京都の多彩な魅力を発信する「らくたび 」のオフィスとして活用し、京の町衆の粋を感じる町家ならではの贅沢な空間で、季節の行事、展示会、イベント、お茶会、各種教室などの場としてご利用いただいています。


・・・「町屋」の中の「写し」も★粋ではありませんか。