茶の湯(4) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・現在国内には国宝の茶室が三棟あります。待庵、犬山の如庵、大徳寺の密庵であり、利休の作として伝えられる確かなものは★「待庵のみとなっていて、にじり口が設けられた小間の茶室であり、数寄屋造りの原型となっています。


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妙喜庵「待庵」

618-0071京都府乙訓郡大山崎町竜光56075-956-0103

http://www.eonet.ne.jp/~myoukian-no2/


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妙喜庵山号は豊興山。妙喜禅庵とも称します。「妙喜庵」の寺号は、宋の大慧禅師の庵号からつけられたもので、連歌の祖である山崎宗鑑が住んでいたとの説があります。この庵に、国宝の茶室「待庵(たいあん)」があります。待庵は、日本最古の茶室建造物であると同時に、千利休が作ったと信じうる唯一現存している茶室です。庵三世、功叔士紡の時、世に天下分け目の天王山の合戦(山崎合戦)がおこりましたが、秀吉は、戦争が終わったあとも天王山に城を築き、本拠として半年間ほど住み、千利休を招いて城下に二畳の茶室を作らせたとしています。功叔和尚は利休の弟子といわれており、秀吉が山崎にて茶会を催した折には利休の手伝いをしていたようです。茶室はその後解体され、慶長年代(1596~1615)にこの妙喜庵に移されたといわれています。また他にも、室町時代の文明年間(14691487)に妙心寺の霊雲院書院を模して建てられたとされた書院:明月堂があります。この書院の正面に男山があり、その頂より月が上るのが眺められたため明月堂という名がつけられました。明月堂は連歌の祖である山崎宗鑑の旧居と伝わりますが、跡地として関大明神社の前が有力でありますがはっきりしていません。なお、今の建物は昭和初期に新築されたものです。


妙喜庵を見学するには、およそ1か月前までに往復はがきによる予約が必要です。見学が許可された場合も、待庵はにじり口からの見学で、内部に立ち入ることはできません。2015年時点で、妙喜庵内部の写真撮影は禁止となっています。・・・したがって、掲載画像は借り物です。


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◆【大山崎町歴史資料館(大山崎ふるさとセンター2階】◆

618-0071京都府乙訓郡大山崎町大山崎竜光3075-952-6288

http://www.town.oyamazaki.kyoto.jp/contents_detail.php?co=cat&frmId=6992&frmCd=30-20-0-0-0


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大山崎。それは天王山が淀川へ最もせり出した場所を意味します。その自然の関門ともいうべき地形から、日本の東と西を結ぶ交通の要衝として古代以来発展してきました。当歴史資料館の常設展では、これまで歩んできた歴史的特色を踏まえ、つのコーナーを設けて町の歩みを紹介しています。まず、エントランスルームでは、年表、文化財地図パネル等で町の歴史概観ができます。そして竹林のプロムナードをぬけると、そこには大山崎の名水にちなむ井戸ビジョンがあり、映像で各時代の特色ある文化・歴史を紹介し、次のコーナーへの興味を高めます。展示室はつのコーナーに分かれ、古代コーナー、中世コーナー、山崎合戦と待庵利休のコーナー、近世コーナーという構成になっています。各コーナーとも実物展示のほか、解説ビデオやイラスト、模型や複製などを用いて、楽しみながら歴史学習ができるように心がけた展示となっています。天王山、淀川とともに生きる大山崎町の歴史を存分にお楽しみください。


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★「待庵利休のコーナー

利休の没後400年を記念して。妙喜庵待庵の原寸大モデルが造られました細部まで忠実に再現されており、実際に茶室として利用できそうな風格があります。・・・ここも撮影禁止となっており、画像は借り物です。