茶の湯(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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千利休は1522年、現在の宿院西1丁の豪商魚屋(ととや)で長男として生まれました。18歳の時、武野紹鷗(たけのじょうおう)の弟子となり、茶を学び「わび茶」を大成させました。財政界も強いパイプがあった千利休は信長にも茶頭として重用され、信長の茶会でも活躍したそうです。信長の死後は、茶に熱心だった秀吉に仕えます。「北野大茶湯」を取り仕切るなど天下一の茶匠として認められるまでになりました。その後、秀吉と千利休の確執が深まり、1591年、秀吉の逆鱗に触れ切腹を命じられます。享年69歳でした。

武野紹鴎は千利休のお茶の師にあたる方です。武野紹鴎の屋敷跡地は、阪堺線宿院駅を降りてすぐの場所ひっそりと佇む記念碑があります

武野紹鷗】(1502~1555

室町後期の茶人・豪商。幼名は吉野・松菊丸、通称は新五郎、道号は一閑。茶の湯を藤田宗理・十四屋宗悟らから学ぶ。また三条西実隆に古典・和歌を学び、著名連歌師とも親交した。31才で剃髪、紹鷗と号する。京都四条に茶室★「大黒庵を設け、村田珠光の提唱した侘び茶の道を更におしすすめて次代の千利休らに深い影響を及ぼした。弘治元年(1555)歿、53才。


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◆【堺市博物館】◆

590-0802堺市堺区百舌鳥夕雲町2072-245-6201

http://www.city.sakai.lg.jp/kanko/hakubutsukan/

堺市博物館は、市制90周年記念事業として昭和55(1980)年に開館しました。生涯学習と市民文化の向上のため、堺市の歴史、美術、考古、民俗に関する博物館として、多くの資料を収集、保存、展示しています。古代史のロマンを秘めた百舌鳥古墳群のほぼ中心にある大仙公園の広大で緑豊かな中に、博物館、堺市茶室、中央図書館、自転車博物館、日本庭園、都市緑化センターなどが整備されています。楽しく有意義なひとときを、博物館と大仙公園でおすごしください。


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常設展

堺市は、伝統ある歴史と文化を誇りとする町です。かつて、大小100以上の古墳が集まった百舌鳥古墳群には、仁徳陵古墳に代表される巨大古墳が数多くあります。海を渡ってきた人々は、権力者の力を見せつける巨大なモニュメントに、驚きの声をあげたことでしょう。しかし、いったい何人の人々が参加し、どれくらいの月日で、どのようにして造りあげたのでしょう。まだ解き明かされていない数々のなぞがあります。交通の要所として発展しつつあった堺の町が、応仁の乱の影響で遣明船の発着港となってから、会合衆とよばれる有力商人たちが中心となり、自由都市・貿易都市として栄えました。キリスト教の宣教師が「堺は日本のもっとも富める港」と記すほどの繁栄ぶりでした。この富を背景として文化が花開き、堺商人の一人である千利休が茶の湯を大成しました。アジアではもちろん、ヨーロッパからも注目される重要な役割をはたしていたのです。大坂夏の陣の余波により町は全焼しますが、江戸幕府によって堺の町域が広げられ、碁盤の目状に整備されます。江戸時代初め頃までは、生糸の貿易で栄えましたが、しだいに商業の中心は大坂へと移っていきます。古来の伝統でつちかわれた堺鉄砲の生産技術が、江戸時代の平和により終息していくと、煙草庖丁をはじめとして今日まで続く庖丁へと引き継がれていきました。ほかにもすり鉢・瓦・織物など、江戸時代の堺は職人の町・工業の町として成熟していきます。慶応4年(1868)につくられた堺県は後に大阪府に吸収されますが、明治22年(1889)に市制が敷かれ、堺市になりました。港が改修され洋式灯台が設置されました。レンガや自転車など、新しい製造業が生まれました。明治6年(1873)に浜寺公園が、ついで、幕末の砲台跡に大浜公園が開設され、大浜海岸は海水浴場となり、明治36年(1903)の第5回内国勧業博覧会で水族館が設けられました。大浜公園は潮湯場、少女歌劇が行われた公会堂など大阪近郊のリゾート地としても発展しました。堺市博物館では、常設展で堺の歴史と文化を紹介し、特に、2つのテーマ「仁徳陵と自由都市」に焦点をあてるとともに、様々な展示企画を実施しています。


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企画展昭和へタイムトリップ吉田初三郎のパノラマ世界

5月30日(土)~7月12日(日)

堺市博物館はパノラマの手法で近代の景観を描いた吉田初三郎のパノラマ地図のコレクションを数多く収蔵しています。作品は過去にも特別展で公開し、多くの方に観覧していただきました。昨年は吉田初三郎生誕130年、今年は没後60年にあたります。各地で吉田初三郎のパノラマ地図展が開催されています。当館においても館蔵コレクションを新しい角度から見ることによって、企画展を開催したいと思います。今回は、昭和へタイムトリップをするという視点で企画しました。昭和の景を独特の手法で描いた吉田初三郎のパノラマ世界は、昭和世代には懐かしく、平成生まれには新鮮に映ることでしょう。不思議で懐かしい地図の世界をお楽しみください。また、描かれた景観には台風や大火からたくましく復興をしつつある途上の様子を記録したものもあります。21世紀に生きるわれわれは、そこから何らかの示唆を得ることができるでしょう。


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堺市茶室「伸庵」「黄梅庵」072-247-1447

堺市博物館の横に、国登録有形文化財堺市茶室「伸庵」「黄梅庵」があります。この二つの茶室をつなぐように庭園(露地)が整備されています。庭園の見学は無料です。園内には、国指定重要文化財の旧浄土寺九重塔があります。


黄梅庵(おうばいあん)

黄梅庵は、奈良県橿原市の今井町の豊田家住宅(国指定重要文化財)にあった江戸時代からの茶室を、日本の電力開発に尽力し、明治・大正・昭和に亘る茶道の四天王の一人とされた故松永安左ヱ門翁(耳庵)が譲り受けて改装し、小田原で愛用した茶室で、昭和55年にご遺族より寄贈され移築したものです。


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伸庵(しんあん)

伸庵は、数奇屋普請の名匠といわれた仰木魯堂が粋をこらして昭和4年に建てた茶室で、もと東京芝公園にあったものを、昭和55年に福助株式会社から寄贈され移築したものです。建物は茶室を含めて10室の和室を持つ風雅な二階建てで、多人数の茶事を催すことができます。また、立礼席(約20席)も設けて、気軽に抹茶を楽しんでいただけます。

・・・「緑化センター」に寄り道、「半夏生」を観て帰りました。

◆【堺市都市緑化センター】◆

590-0803堺市堺区東上野芝町1-4-3/072-247-0310

http://www.sakai-hanatebako.org/

ともに育む花と緑あふれるまちづくりをめざして、子どもからお年寄りまでが体験したり、花と緑に関する知識を得ることができる庭園見本、四季の庭、里山の庭、花と水の広場、実習園、花と緑の相談コーナーなどがあります。また、市民主体の花と緑のまちづくり活動の推進拠点として各種事業を行っています。園内にはミラー、ターフ、デッキ、シェードなど憩い楽しむことができる各ガーデン、館内には花と緑の相談、図書の各コーナー、温室や展示会、講習会ができる多目的室、イベントや展示、会議などに利用できる緑化ホールなどがあります。年回のイベント(四季物語)では、展示会、講習会のほか講演会やコンサート、植物のフリーマーケット、夜間開館(ライトアップ)など季節に合わせた催しが行われます。都市緑化センターに誕生したキャラクター「ポピアン」が各種催しやセンターイベントに登場します。


ハンゲショウ(半夏生)

大阪府の準絶滅危惧種に指定されているハンゲショウが見頃を迎えています。7月中旬までご観賞いただけます。半夏生とは雑節の一つで、夏至から数えて11日目にあたる7月2日頃のこと。呼び名の由来には、漢方薬に使われる半夏(サトイモ科のカラスビシャク)が生える頃だからという説があります。またドクダミ科ハンゲショウという植物は、この時期に花が咲くことから名付けられたという説もあります。



【参考】梅雨空の夏至、白いハンゲショウ涼やか京都・両足院

一年で最も日中が長い夏至の6月22日、京都市内は梅雨空に覆われ、蒸し暑くなった。東山区の建仁寺塔頭・両足院では、葉を一部白く染めたハンゲショウが見頃となり、白化粧が夏本番を告げていた。ハンゲショウの名前は、夏至から11日目の「半夏生(はんげしょう)」の時期に花を咲かせることや、葉の片面が白く「化粧」することなどが由来とされる。同院では今月中旬から葉を染め、房状の花を咲かせ始めたという。京都地方気象台によると、この日の市内の最低気温は平年(20度)よりやや低い186度。曇り空だったが、日が昇るにつれ蒸し暑さは増した。庭園には、朝から参拝者が訪れ、額に汗しながら、約800株のハンゲショウを眺めていた。埼玉県志木市から長女と訪れた自営業西山久幸さん(65)は「白い葉が涼しげでした」と楽しんでいた。(京都新聞より)


・・・昨年は「両足院」まで観に行きました、素敵ですよ。