紡績・赤煉瓦建築(23) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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◆「蛸地蔵」

596-0067岸和田市南町43-12/072-422-0773

https://www.city.kishiwada.osaka.jp/soshiki/3/mukashi3-takojizonohanashi.html

浄土宗の寺院。山号は護持山。院号は朝光院。本尊は阿弥陀如来と地蔵菩薩。この地蔵菩薩が蛸地蔵と通称され、当寺院の別称になっている。また、最寄駅となる南海本線蛸地蔵駅の駅名にも採用されている。


たこ1


・・・「赤丸ポスト」と「蛸」って似合いますよね。


創建は元亀元年(1570)と言われているが、天保年間の火災で、記録をすべて失ってしまい詳細は不明。しかし、『増上寺史料集』第五巻所収『浄土宗寺院史』「泉州寺院開山帳 岸和田組」には、寛永2年(1625)に得譽上人が建立し、以後、寛文13年(1673)までの48年間、住職をつとめたとしている。『天性寺聖地蔵尊縁起』によると、建武年問、岸和田城に高波が襲いかかった時、海の彼方より大蛸に乗った法師が海岸まで近付き波風を鎮められ城は救われたという。天正12年(1584)、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が尾張へ向けて大坂城を出発(小牧・長久手の戦い)。その隙を突いて、紀州征伐で敵対する根来衆・雑賀衆といった紀州の一向一揆の軍勢が、秀吉配下の中村一氏が寡兵で守る岸和田城へ攻め込み、大乱戦となった。数で圧倒する紀州勢の勢いが物凄く城が危うくなった時、蛸に乗った一人の法師が現れて、次々と紀州勢を薙ぎ倒した。しかし、紀州勢が盛り返して、蛸法師を取り囲もうとした時、海辺より轟音をたてて幾千幾万の蛸の大群が現れ、紀州勢を殺害することなく退却させた。一氏は喜び、その法師を探したが、結局分からなかった。ある夜、法師が一氏の夢枕に立ち、自分は地蔵菩薩の化身であると告げたので、その昔戦乱から守るため、堀に埋め隠し入れた地蔵菩薩像を出して祀ったという。その後、一般の人もその利益が受けられるように、日本一大きいとされる地蔵堂に移され、現在に至っている。


たこ2


【宮本町】

牛頭天王社を岸城神社にお祀りした時から、宮座の中心的な役割を勤めており、くじ引きなしの「宮本一番」。纏、旗、法被にいたるまで「宮本」の誇りを表し「町」は付けない。町内に保存されている大太鼓(文化八年製作)は、岸和田城大手門太鼓櫓において武士が登城する際に打ったものを、岸和田藩主・岡部公より拝領したと伝えられている。平成20年に岸城神社の新御社殿完成と時を同じくして新調されただんじりは地元大工<吉為>の力作である。


たこ3


1930和田家住宅」/登録年月日:20020821

596-0054岸和田市宮本町29-4

http://www.culture-h.jp/tohroku-osaka/shashin.html

和田氏は室町時代に楠正成が和田高家に城を建てさせ、「岸の和田殿」が岸和田の地名の起こりというが定かではない。現当主で27代を数え、建物は昭和5年に建設された。主屋ほか長屋門、蔵等件が登録されている。主屋は入母屋造本瓦葺の2階建で、2階は軒までを大壁漆喰塗りとして反りを付け、要所に格子窓を設けた重厚な造りである。玄関脇の洋室は放射状に傘を広げた天井根太を添わせ、極めて技巧的である。当家は昭和初期における地元の大工による日本の伝統技術を駆使した作品として貴重。

たこ5


城見橋筋商店街巴餅

596-0054岸和田市宮本町22-10072-422-3144

和泉銘菓「八陣」で有名。「八陣」は冬季限定のお菓子岸和田城八陣の庭から由来する名称「八陣」は岸和田のシンボルとも言える。創業は1928年(昭和)。一時は城見橋筋商店街(通称:やみいち)に40~50軒ものお店が両サイドに連なっていたという。


・・・「うさぎ」がかわいい、池田泉州銀行には「ひつじ」がいました。


1959池田泉州銀行泉州営業部」/設計:村野藤吾

大阪府岸和田市宮本町26-15
昭和34(1959)年に泉州銀行の本店として建築された。設計は日本を代表する建築家、村野藤吾(むらのとうご)によるもの全壁面が花南岩張りで、上部に横線のきいた連続窓と下部に格子のついた小窓を配し、色彩的にも、造形的にも美観あふれる建物である。村野藤吾は、自泉会館(岸城町)などを設計した渡辺節の門下生で、戦後建築としては初の重要文化財指定となった世界平和記念聖堂(広島)や、関西大学第一学舎・簡文館、宝ヶ池プリンスホテル、日生劇場などを手がけた日本近代建築史に欠かすことのできない巨匠である。奥行きをとったエントランスに羊の親子像が建っていて、客を迎え入れます。平成20年(2008)、泉州銀行は池田銀行と経営統合し、現在の正式名称は「池田泉州銀行泉州営業部」となっています。


たこ4


◆「五軒屋町(寺町筋)」

城下町には必須条件とされる寺内町、寺町筋。岸和田本通商店街と中央商店街とを結ぶ旧道に正覚寺に続いて高見観音円教寺、本徳寺本昌寺、西方寺。五軒屋町の由来はお寺が五軒あったから?寺町筋からかじやまち元岸和田中央商店街)」につながってます。宮入りくじ引きなしの「宮本三番」の五軒屋町はその昔、神社の燈明係りをしていた関係で、大屋根下に駒提灯を吊るし宮入りをするという旧習を今なお守っています。竹の節には「燈籠を担ぐ鬼」、木鼻には「提灯を持つ唐獅子」を配するなど町の特色を取り入れている。岸和田最古のだんじりとして現在★「岸和田だんじり会館に展示中の旧五軒屋町のカラクリだんじりは、文化文政時代に作られていて、京都で発見されました。三国志や四神獣の彫刻が大変見事です。纏の由来は文政10年(1827)11月落雷のため岸和田城天守閣が炎上した際、その消火活動の功績に対して藩主より五色の馬簾の纏を拝領したことによると言われています。