天橋立旅(11) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・車を停めて「天橋立」を振り返っていますと、

※「タンゴディスカバリー

北近畿タンゴ鉄道KTR8000形気動車京都丹後鉄道所有の車両です。丹後ちりめんのシートカバーを使用するなど、地域の特性を反映した車両となっています。2011年月13日のダイヤ改正で、列車名としての「タンゴディスカバリー」の愛称は廃止され、同ダイヤ改正以降は車両はそのままに「まいづる」「はしだて」で運用されている。同時に、2011年月から北近畿タンゴ鉄道線内運転の連絡特急「たんごリレー」にも使用されている。2012年10月20日「ジオパークディスカバリー運行実行委員会」により企画された特別列車「ジオパークディスカバリー」として、天橋立駅→鳥取駅間(久美浜駅→城崎温泉駅は回送扱い)を運行。


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【雪舟「天橋立図」を旅する】

http://www.amanohashidate.info/time-travel/index.html

雪舟晩年の大作、国宝『天橋立図』。甍が居並ぶ室町時代の守護所・丹後府中の姿は、当地をくまなく歩き、見聞きした光景や物語を再構成した"雪舟の記憶"でした。600年前と現在の風景を比べながら、名画「天橋立図」の中を歩いてみましょう

◆「国分寺(丹後国分寺跡)」/629-2234京都府宮津市字国分

天平13年(741)に聖武天皇の詔によって全国に建てられた国分寺の一つ。建武元年(1334)に円源房宣基により再建され、『天橋立図』には五重塔と金堂、中門や塀、堂舎が描かれている。『国分寺略縁起』によれば天文11年(1542)の兵乱で焼失したとあり、現在は礎石を残すだけとなっている。聖武天皇の詔は、国ごとに金光明最勝王経一部を安置した七重塔、国分寺、国分尼寺を造るというもので、造塔は国のもっとも良き箇所になすこととあった。天橋立を見下ろすこの地は、まさに詔どおりといえよう。南北朝時代の『丹後国分寺再興縁起』によれば鎌倉時代後期には衰退し、本尊の薬師如来像までもが盗難にあう有様であった。宣基上人は奈良・律宗西大寺派の支援を受けて伽藍を再興、造営には大坂・四天王寺大工と地元・府中大工が参加した。建武元年4月、後醍醐天皇の勅使が参列し金堂供養が営まれる。丹後・大和の僧衆も一堂に会して華やかな舞楽に彩られた盛大なものであった。天文の兵乱以後の国分寺の消息については不明だが、寺伝によれば天和3年(1683)の洪水によって堂宇が破損したとあり、その後に背後の丘陵地へ移転し、現在の護国山国分寺となっていることから再々興した建物があった可能性も指摘されている。

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◆【京都府立丹後郷土資料館ふるさとミュージアム丹後)】◆

629-2234京都府宮津市字国分小字天王山611-10772-27-0230

http://www.kyoto-be.ne.jp/tango-m/cms/

丹後は、ガラス釧や玉製品など絢爛たる副葬品を持つ弥生王墓、日本海側でも有数の巨大古墳に見られるような特長ある文化を育んだ地域です。また、丹後国分寺や籠神社、成相寺、智恩寺など古くから多くの寺社が営まれ、名所の地として天橋立は人々に知られ、足利将軍をはじめ著名な人物も訪れた場所でした。さらには、細川幽齋の事績や田辺籠城戦、与謝蕪村の画業修行など様々な歴史に彩られた所でもあります。国の重要有形民俗文化財に指定された藤織りなどの丹後の紡織資料や、伊根浦の捕鯨に見られるような漁撈資料は生活生業に関わる民俗資料としても貴重なものです。京都府立丹後郷土資料館は、その名のとおり丹後の地域に根ざし、調査研究・収集保存・展示活用を通して、地域の文化財を守り伝える文化情報の発信に取り組んでいます。2015年4月1日より、常設展の内容を「古代の丹後の王権」「天橋立の世界」「丹後の廻船・北前船」などにテーマを絞り、展示の流れもわかりやすく一新その他、史跡の見学路や駐車場整備、旧永島家住宅の茅葺屋根の補修も行い、装いを新たに再開館いたしました。知れば知るほど深くておもしろい丹後の歴史を探しに、どうぞお越しください。


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海の京都・春季企画展開け!丹後の宝箱

平成27年月25日(土)~6日(日)

今春、常設展の内容を、「古代の丹後の王権」「天橋立の世界」「丹後の廻船・北前船」「丹後の漁撈」「丹後の織物」などにテーマを絞り、展示の流れもわかりやすく一新しました。これを機に、資料館保管・所蔵の考古・歴史・民俗分野の国・府指定文化財や、日ごろ展示することの少ない美術品などを多く展示して、すぐれた文化財が残されている丹後の歴史的な魅力を改めて紹介します。


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成相山

天橋立を望む成相山の一帯は、日本古来の山岳宗教の修験場として信仰を集めてきた土地でした。成相寺は、文武天皇の勅願所として、704年に真応上人が創建したと伝えられています。以前は、今よりもさらに山の上部にお堂が建てられていましたが、1400年に大規模な山崩れにあい、現在地へと移りました。ものすごい急斜面あり、立派な五重塔あり、左甚五郎あり、天橋立の展望台あり、「土器盃投げ」ありと、とにかく色々と楽しめるお寺です。


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・・・展望台まで車で上がれるので、助かるなあ。