・・・先日、住吉区の「大阪市立大学」に行きましたので、阿倍野区の「医学部」の方にも行ってみましょう。
◆1972「あべのアポロ」/設計:村野藤吾
545-0052大阪市阿倍野区阿倍野筋1-5-31/06-6633-0001
http://www.apollo-lucias.jp/index.html
近鉄グループのきんえいが運営する複合商業施設である。1950年に開館した「アポロ座」がアポロビルの前身である。「アポロ座」は★村野藤吾が設計し★東郷青児の壁画で知られていた。現在のアポロビルは、アポロ座の流れを汲む映画館(あべのアポロシネマ)を核テナントとし、書店や飲食店、アミューズメント施設などが入居している。隣接する再開発ビル「あべのルシアス」とは連絡通路で複数階が繋がっており、きんえいが両ビルを一体運営している。アベノセンタービルとも連絡通路で地下1階・地下2階が繋がっているほか、あべのキューズタウンとは道路を挟んで接している。アポロ座の名称は、アメリカの「アポロ計画」とは直接関係はない。ただ、アポロビル開業3年前(1969年)のアポロ11号による月面着陸成功に影響を受けたのか、ビルの外観はロケットの形を模しているようにも見える。「アポロビル」の設計も★村野藤吾である。ビル正面には大阪国際空港行きの空港バス乗り場が設置されている。
◆1998「あべのルシアス」/設計:昭和設計
545-0052大阪市阿倍野区阿倍野筋1-5-1/06-6649-2361
B1階~6階までが映画館(アポロシネマ8)やファッション・フードテナントなどがある商業フロアとなっている。6階~14階は大阪市環境局、ハローワーク阿倍野などが入居するオフィスフロア。また15階、16階はスカイレストランフロアで無料展望スペースも設けられている。
◆1995「あべのメディックス
545-0051大阪市阿倍野区旭町1-2-7
阿倍野地区市街地再開発事業の一環として建設されたオフィスビル。大阪市保健所をはじめとする大阪市関連部局と、隣接地にキャンパスをもつ大阪市立大学大学医学部(医療研修センターなど)が フロアの大半を使用している。
★大阪市立大学・学術情報総合センター「医学分館」
/8・9F(医療研修センター内)06-6645-3491
・・・ビル前にあるモザイクタイルの「換気塔」がいいですねえ。
★1935「阿倍野橋ホテル新館~1948・近畿電波管理局~1975・大手前看護専門学校~2012」
大阪市天王寺区旭町1-1-2東側/設計:鈴木太吉
★1931「阿倍野橋ホテル本館~1948・浪速郵便局阿倍野橋分室~2012」
大阪市天王寺区旭町1-1-2西側/設計:鈴木太吉
【参考】大手前看護専門学校跡地を約19億円で取得/天王寺駅近くの好立地活かし、商業施設を開発/ドンキホーテホールディングス
ドンキホーテホールディングス(本社・東京都目黒区青葉台2-19-10、大原孝治代表)は大阪市・天王寺駅近くの大手前看護専門学校跡地を2014年11月21日に取得した。近畿財務局が行った一般競争入札で19億0628万1119円で落札した。現在はRC造3階建ての既存建物が残っている。跡地には新たに商業施設を開発するとみられる。敷地の所在地は大阪市阿倍野区旭町1-1-2の敷地915・89平方㍍。敷地内には延べ1752平方㍍、建築面積が574平方㍍の既存建物が建っている。用途地域は商業地域で、建ぺい率が80%、容積率が800%。10月7日に開札した入札には10者が参加した。最低売却価格は10億8900万円。11月5日に契約を結んでいる。
・・・とうとう「解体工事」が始まりました。
★1993「大阪市立大学医学部附属病院」
545-8586大阪市阿倍野区旭町1-5-7/06-6645-2121
http://www.hosp.med.osaka-cu.ac.jp/
◆大学院医学研究科/医学部医学科
545-8585大阪市阿倍野区旭町1-4-3/06-6645-3611
1944年(昭和19年)に設立された大阪市立医学専門学校が前身となって設立された大阪市立医科大学が、1955年(昭和30年)に大阪市立大学に編入されて誕生しました。医学部は、杉本キャンパスと連携しながら、阿倍野キャンパスで学舎および附属病院の整備・拡充を進め、2004年(平成16年)看護学科を編入し、今日の大阪市立大学大学院医学研究科・医学部に至っています。医学部学舎の玄関には、本医学部のシンボルとして★三女神像が微笑んでいます。向かって右側は本を抱く「智」の女神、高度な知識とすぐれた技術の習得を表現しています。真ん中が薬壺を持つ「仁」の女神、人が抱えている悩みや苦痛をやさしく受け止める心、真に医療人として奉仕できる深く温かい志を持つことを表しています。そして左側が月桂樹を手にする「勇」の女神、育まれた勇気に基づく積極的な行動力を発揮することを教えてくれています。本学部では毎年、「智」「仁」「勇」にもっとも近い学生がそれぞれ投票で選出され、表彰されています。この女神像に象徴されるすぐれた医療人を育成するとともに、世界力と創造力を駆使して研究に取り組み、高度かつ緻密な医療に結びつけ、市民の健康を守るという社会ニーズに応えていきたいと考えています。
★「三女神像」/作:山畑阿利一
旧基礎学舎北館(昭和27年竣工)の壁面レリーフとして掲げられていたものですが、医学部学舎の完成を機に、これを原寸複製し、ここに設置したものです。
【山畑阿利一】
1908(明治41)年9月12日大阪府枚岡市に生まれ、大阪府立泉尾工業学校窯業科を卒業後上京、小倉右一郎に師事し、また川端画学校で学んだ。1928年第9回帝展出品作「女立像」が初入選、38年、39年の新文展で「母子」「みのり」がそれぞれ特選となり、42年無鑑査となった。一方、第一美術協会、構造社にも出品し、34年第一美術協会に無鑑査となり、38年の構造社第11回展「胸像」が研究賞、翌年第12回展「愛撫」が構造賞を受賞した。戦後、55年の都市美展出品作「大地」が文部大臣賞を受賞、日展では56、62年に審査員をつとめ、58年に日展会員、64年評議員、70年からは参与となった。日本彫塑会委員、日本陶彫会委員も兼務。主な作品は上記受賞作のほか、「関東大震災慰霊碑」「慈愛」「聖観音像」など。1980年10月14日、東京都文京区の日本医科大学附属病院で死去(享年72)。
・・・市大病院からさらに西側は、まだまだ昔の大阪が色濃く残っています。