待望のミュージアム(18) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「待望」というより「あきらめて」いたのですが、あらためて訪問しますと、いとも簡単に「どうぞ」ということでした。以前は、開園時間を過ぎていた上に「塔に登れますか?」などと聞いたものですから、そっけなく断られたようです。ということで、今回は意気揚々と。


PL1


1970「PL大平和祈念塔」/設計:日建設計

584-0091富田林市新堂2172-10721-23-6617

正式名称は「超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔」で、高さ180mの粘土細工のような造形の白い塔である。歴史上のあらゆる戦没者の霊を人種、民族、国家、国境、地域、また宗教、宗派、信条などを問わず慰霊と鎮魂するためパーフェクト リバティー教団が建立し管理運営する慰霊塔と平和への祈念塔を兼ねるもの。塔の低層階は戦没者でない一般にも開放されている。塔の設計は日建設計、施工は東急建設である。塔の下部には神殿もあり、毎年8月1日に年祭と呼ぶ祭事を行う。遊園地PLランドの開園当時には展望塔まで一般公開されていたが、現在は教団信者へ塔の下部の神殿への参拝しかしていない。


PL2


勅使河原蒼風

華道家・勅使河原久次の長男として1900年に生まれる。幼いときからいけばなの指導を受け、やがて卓越した才能を発揮し、注目を集めるようになるが、型通りにいけるそれまでのいけばなに疑問を持ち、父と決裂して、1927年草月流を創始する。1928年、蒼風は銀座千疋屋で第1回草月流展を開催し、軽快でモダンな花が評判となり、NHKラジオのいけばな講座を担当、この放送や以後の草月展を通じて草月流いけばなが広く知られるようになる。戦争中は活動停止を余儀なくされるが、1945年「勅使河原蒼風、小原豊雲二人展」を皮切りに戦後の活動を開始。50-70年代にかけて、欧米各地で展覧会やデモンストレーションを精力的に行い、いけばなを世界的な文化に高めた。60年にフランスの芸術文化勲章、61年にはレジオン・ドヌール勲章、62年には芸術選奨を受賞する。また、その活動はいけばなに留まらず、彫刻、絵画、書、と幅広い創作を最晩年まで続ける。1979年死去。2001年、生誕100年を記念して世田谷美術館で大規模な回顧展が開催された。


PL3


「人生は芸術である」

http://www.perfect-liberty.or.jp/seiti.html

パーフェクト リバティー教団(PL)は、「人生は芸術である」の真理をもって人心を教化し、教えの持つ霊徳を広く人々に及ぼして、人類永遠の福祉を実現するとともに、世界平和の樹立に貢献することを目的としています。


PL4


顧みますと、地球上には有史以来、多くの戦乱が繰り返されてきましたし、現代もなお戦火が消えるには至っていません。しかし、たとえどのような名目であろうとも、戦争が罪悪であることは、過去に私たちが経験した戦禍の苦しみと、家族や友人知人を失った悲しみをはじめ、折々に報道される紛争や戦争の悲惨さを見ても明らかです。さらには宗教同士が、自分の教えだけが正しいという信仰のもとに、引き起こした戦争がいかに多いことか。それを見るとき、神を冒とくするばかりか、人を愛し人を救うという本義すらわきまえない宗教が存在することを、深く嘆かずにはおれません。


PL5


私たちは、全人類がその英知と良識のもとに芸術生活の理念を悟り、自他を祝福する自己表現に徹するならば、宗教の本義もまたおのずから解明されるものと信じます。PLでは、今こそあらゆる宗教が真の世界平和具現への心を一つに結び、人類永遠の福祉に向かって互いに協力していくことを、広く世界にアピールしています。PL聖地に立つ『超宗派万国戦争犠牲者慰霊 大平和祈念塔』は、その願いのシンボル・タワーなのです。塔の神殿には、人種・民族・国境の区別なく、宗教的信条の違いも超えて、有史以来のあらゆる戦争による犠牲者の霊を奉祀してお慰めしています。そして、世界の国々が共に繁栄し、自他祝福の大平和社会が永遠に確立する日が一日も早く実現するを祈念するものです。