郷土ミュージアム(24) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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◆16【寝屋川市立埋蔵文化財資料館】◆

572-0862寝屋川市打上宮前町3-1寝屋川東ファミリータウン中1番館(地上14階の1階部分)072-822-3381

http://www.city.neyagawa.osaka.jp/organization_list/kyoiku_shakaikyoiku/maizou/index.html


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・・・ユニークな場所に設置されたミュージアムです。日常生活のすぐ横にあるというのが、いいですね。


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「古代の寝屋川市~高宮廃寺のある景色~」

平成26年7月12日(土)~平成27年7月5日(日)

寝屋川市教育委員会では平成25年度より国史跡高宮廃寺跡の過去の調査も含めた内容確認発掘調査を行っています。この調査を契機に高宮廃寺が営まれていた時代がどのような様子だったかを、市内に点在する古代遺跡を通して学べる企画展を開催します。市指定文化財の墨書銘曲物桶(ぼくしょめいまげものおけ)をはじめ、市内より出土した土器や瓦などを展示・公開しますので、ぜひご見学ください。


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・・・「石宝殿古墳」までの散策地図をいただきましたので、行ってみることにしました。


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【参考】鎌田製針株式会社

572-0802寝屋川市打上元町19-4/072-821-4135

http://www.aianet.ne.jp/~kamada/index.html

大正3年にメリヤス針製造業で創業し、70年近くメリヤス針の製造メーカーとして多くのお客様からご支持をいただいてきました。しかし、時代が大きく変化する中にあって、メリヤス針の需要も低迷する状況となり、自社技術の研磨加工技術を高度することで活路を見出し、メーカーからの賃加工業へ業態を大きく転換しました。その後、絶え間ない技術の高度を継続することで、ハイテク産業のメーカーからも技術評価を頂くことができました。「企業30年説」をよく耳にしますが、中小企業が生き残るには、時代変化に対応した技術革新しか手立てがなく、今なお技術革新に日々取組んでいます。

社屋は、代官屋敷を改装し事業所として活用しておりますので、外観や門構えは当時のままを残しています。


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石宝殿古墳

http://www.city.neyagawa.osaka.jp/Recommend/bunkazai/kunishiteibunkazai/1382413256640.html

寝屋川市東端の打上元町にある北河内唯一の古墳時代終末期に属する古墳です。古墳は生駒山地から派生する丘陵の南斜面に築かれていて、現状は巨大な横口式石槨が露出しています。主体部の横口式石槨は石を組み合わせたもので、上面を平坦に加工した底石(下石)の上に、直径メートル 、高さ1.5メートルで埋葬部分をくり抜いた蓋石を重ねています。内部は幅0.9メートル、高さ0.8メートル、奥行き2.2メートルで、入口部分は幅0.5メートルとせまくなっています。入口部分の左側には上下面に丸いくぼみがあり、この部分に軸をはめ込む扉状の施設があったと推定されます。玄室部の前面には板状の2石が平行に建てられていて、羨道部を形成しています。同じような構造の横口式石槨をもつ古墳は、奈良県斑鳩町御坊山3号墳、明日香村鬼の爼(まないた)・雪隠(せっちん)しかなく、きわめて特異な形状のものです。古墳の背後には3個の巨石が一列に並んでいますが、1988年(昭和63年)に行われた発掘調査ではこの列石の西側に続く石が埋っていることが確認されました。この石と列石との設置角は135度で、この石を古墳の外側のラインにすると、古墳の平面形が八角形になる可能性があります。古墳は江戸時代には現状のように開口していたことが記されていて、石槨内に納められていた棺の形状や副葬品などは不明です。発掘調査のときに石槨の周辺から須恵器の小片が出土していて、この土器や石槨の構造などから7世紀中ごろに築造されたと考えられます。被葬者については不明ですが、この地域を治めた有力豪族で、中央の政権とのつながりをもった人物と推定されます。