大阪市交通局(5) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「大江ビルヂング」と同じ葛野壮一郎さん設計の建物です。


うめ1


1930中央電気倶楽部」/設計:葛野設計事務所葛野壮一郎

530-0004大阪市北区堂島浜2-1-25/06-6345-6351

http://www.chuodenki-club.or.jp/


うめ2


電気関係者が主体となって、1914年(大正3)に関西電気倶楽部を設立したのが始まりです。そして、翌1915年(大正4)に、中央電気倶楽部へと名称変更しています。2013年(平成25)には、100周年を迎えた歴史と伝統のある社交倶楽部です。現在の建物は、1930年(昭和5)に完成したもので、外観はイタリア風の茶褐色のスクラッチタイルで覆われた地上5階地下1階の鉄筋コンクリートで大阪を代表する倶楽部建築。電気関係者の社交場として、音響効果の素晴らしい大ホール、談話室・娯楽室・食堂・会議室、そして郷愁感溢れるレトロ建築。階ホールは昭和松下幸之助氏が当時の松下電器(現パナソニック)の創業記念式典で「水道哲学」を表明したことで有名。最近では会議室や食堂、ホールといった随所がNHK朝のTV小説「芋たこなんきん」で登場していた。経済産業省から平成20年度「近代化産業遺産」に認定(平成21年月)される。関西電気協会や日本電気工業会大阪支部など電気関係法人のほか、関西鉄道協会、大阪バス協会など会員に名を連ねている。


うめ3


葛野(かどの壮一郎】(18801944

関西を中心に多くの建築物の設計を手がけた建築家。建築にとどまらず、音楽、絵画などにも造詣が深く、また、女子教育にも熱心に関わるなど、多方面で活躍した。1880年(明治13)大阪府豊島郡池田町(現池田市)に生まれる。1905年(明治38)東京帝国大学工科大学建築学科を卒業し、横河工務所に入る。その後、神奈川県技師大阪府技師を務める。1919年(大正8)葛野建築事務所を開設する。1944年(昭和19)逝去(享年65)

【参考1】水道哲学

幼少期に赤貧にあえいだ松下幸之助が、水道ののように低価格で良質なものを大量供給することにより、物価を低廉にし消費者の手に容易に行き渡るようにしようという思想(経営哲学)である。1932年(昭和7)5月5日、大阪堂島の中央電気倶楽部で開催された松下電器製作所(当時)の第1回創業記念式で産業人の使命は貧乏の克服である。その為には、物資の生産に次ぐ生産を以って、富を増大しなければならない。水道の水は価有る物であるが、乞食が公園の水道水を飲んでも誰にも咎められない。それは量が多く、価格が余りにも安いからである。産業人の使命も、水道の水の如く、物資を無尽蔵にたらしめ、無代に等しい価格で提供する事にある。それによって、人生に幸福を齎し、この世に極楽楽土を建設する事が出来るのである。松下電器の真使命も亦その点に在る。」と社主告示をおこなった。


うめ4


【参考2】芋たこなんきん

NHK連続テレビ小説の2006年度下半期の作品である。シリーズ通算第75作目で、大阪放送局が制作するシリーズでは通算30作目。放送期間は、2006年10月2日2007年3月31日(全151回)。脚本は長川千佳子、原案・題字田辺聖子で、田辺の自伝的ドラマ物語は、37歳の町子が戦後の大阪市内の金物問屋で働いている時期から始まる。店員と、文筆活動の二足のワラジが原因となり、過労で倒れる。往診してもらった開業医、通称“かもかのオッチャン”(「噛もか」という口癖がある)と出会い、恋に落ち、やがて結婚。ところが、あろうことか、この“かもかのオッチャン”はバツイチで、しかも5人の子持ち。なおかつ、両親や兄弟とも同居する10人の大家族だった。しかも、オッチャンは開業医で、毎日のように近所の患者たちが押し寄せる。町子は、想像もつかなかった大家族と、ひとつ屋根の下で、七転八倒しながらも、持ち前のパワーとエネルギーで、日常の家事、育児をこなしていく。やがて、子供たちが成長するにつれて、いろいろな難問も噴出。その一方、懸命に文筆活動を続けていく。あるときは風呂で、台所で、はたまた、トイレで。そんな中で、他人同士が、いつか本当の家族になっていく。


・・・梅田まで歩いて「地下鉄」に乗って帰りました。



うめ5


御堂筋線梅田駅のアーチ空間を刷新しますリニューアルデザインが決まりました

http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/general/announce/w_new_info/w_new/list_h25_all/20140217_umeda_arch.html

大阪市交通局では、梅田駅がより一層お客さまに愛される魅力的な空間に生まれ変われるよう、駅の改修に合わせてアーチ空間の刷新を行います。公営初の地下鉄として昭和年に開業した梅田駅の歴史あるアーチ天井のフォルムを活かしながら、斬新なデザインと照明を活用することで、より魅力的なアーチ空間に生まれ変わります。さらに、ホームやコンコース全般にLED照明を採用し、省エネルギー化を図ります。今回のリニューアルデザインは、伝統ある梅田駅にふさわしい空間デザインとするため、公募型プロポーザルにより事業者を広く募集し、最優秀に選出された事業者とともに決定しました。

「日本の美、ほのぼの」LIGHT&SHADOW

公営初の地下鉄の代表的な駅「梅田」、国際都市として進化し続ける大阪の玄関口「梅田」。建設当時を振り返ると、その時代の最先端の照明を多用し、脚光を浴びた斬新なモダンデザインで、大阪を代表する梅田駅でした。新しく生まれ変わる梅田駅アーチ空間は、梅田駅のランドマークとして、また大阪の玄関口として「梅田駅にふさわしい、アーチ天井を活かした空間」をテーマに、お客さまに末永く愛していただける駅空間をめざします。歴史あるアーチ天井のフォルムを活かしながら、斬新な凸凹型の肌合いを持つ逆富士型の小型アーチを連続して配置し、天井と一体になった照明から放たれる光と影のコントラストと合わせて幻想的な空間を演出します。このたびアーチ空間を刷新することにより、斬新さによって日本を代表する「美」を、光と影のコントラストによってやさしく包み込む「ほのぼの」をお客さまに提供したいと考えています。完成予定平成27年末

平成27年度末までに、今里筋線を除く地下鉄112駅において、各駅1か所以上のトイレを整備します。(平成26年3月27日現在、梅田駅を含め37駅において整備済。)なお、トイレのリニューアル情報については、駅トイレリニューアル情報でお知らせします。

http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/general/eigyou/top01/20130107_ekitoiret-koji.html

御堂筋線梅田駅(設置初年1963年)の百葉箱

地下鉄ホームに初めて百葉箱が設置されたのは1934年(昭和9)の淀屋橋駅が最初だそうです1号線(御堂筋線)梅田心斎橋間開業の翌年に設置されていますので、大阪の地下鉄の歴史そのものでもあります。地下鉄ホームは列車進入時の風の影響など安定した温湿度の計測が難しく、そのために設置されたのが百葉箱でした。ことに夏期の熱環境対策として重要視され、2001年(平成13)に地下駅舎の冷房化が完了するまでは、冷房化計画の立案にもおおいに活躍したそうです。その後も冷房期間外の温湿度変化を長期的に確認するために観測が続けられてきました。近年では、アナログ式からデジタル計測器に変更されて、職員がデータを回収する手間も大幅に軽減されました。しかし、百葉箱に収納しなくても正確な計測が可能なデジタル機器が発達しており、もはや必要のない存在となりました。今後、順次撤去されていくことになりますが、駅(梅田駅や淀屋橋駅)によっては大学などの研究施設から依頼を受け、現在も計測データを提供しているそうです。

【土木学会選奨土木遺産】心斎橋駅舎他御堂筋線の地下駅群

http://committees.jsce.or.jp/heritage/node/96

★心斎橋駅/建設:1933年所在:大阪市中央区心斎橋筋1設計者原設計・監修:武田五一実施設計:大阪市電気局臨時高速鉄道建設局構造:鉄骨鉄筋コンクリート造