安堵町へ(6) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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【参考】「天理軽便鉄道模型運転会安堵町歴史民俗資料館

2015年2月11日(水・祝)

かつて当町を通って運行された天理軽便鉄道の最終運転日にちなみ、復元車両などを走らせます。手作り模型が館内を走ります。(※乗車運転会ではありません)

1915年(大正)日開通天理教信者の旅客輸送を目的として建設された。大正普請と呼ばれた本部神殿・教祖殿の建設に伴い、大阪方面から天理へ向かう人が増えた。当時は大阪湊町から奈良経由で丹波市(天理)駅へ回っていたので、法隆寺から天理へ直行する鉄道として大正年天理軽便鉄道が蒸気機関車で開通した。唯一のナローゲージ幅がわずか762mmの線路の上をゆっくりと走っていました。因みに、JRは1067mm、新幹線は1435mm、近鉄は両方ありこうしたナローゲージの鉄道は、全国各地で地域の足として活躍してきましたが、時代の流れとともに次々と姿を消していきました。



ど1


一方、大阪電気軌道は大正月上本町奈良間が開通し、西大寺から南進し橿原神宮に至る畝傍線が大正11年に平端まで開通し12年には橿原神宮まで開通した。実は畝傍線計画段階から、天理軽便鉄道へのダメージが予想されていたため大正10年に大阪電気軌道に事業譲渡された。これに合わせて天理線と法隆寺線に分離し、平端—天理間が大正11年に電化・標準軌道化され、西大寺・天理間の直行列車が開始する。一方、平端—新法隆寺間は戦況悪化により昭和20年運転中止となった。


ど2


・・・歴史資料館で充実した時間を過ごさせていただき、この余韻を楽しみたくて、せっかくの「安堵町」ですから、帰路に「中家住宅」を外観だけでも拝ませてもらおうと立ち寄りました。


ど3


16151660中家住宅」/重文指定年月日:19680425

639-1064奈良県生駒郡安堵町大字窪田1330743-57-2284

http://www.town.ando.nara.jp/contents_detail.php?co=&frmId=258


ど4


中氏は南北朝時代ごろから在地武士として成長し、戦国時代には筒井氏の一族として活躍した土豪です。窪田氏を名乗っていましたが、その惣領家は中殿と呼ばれたため、やがて中氏と称するようになりました。二重の濠に囲まれた広大な屋敷は、かつての窪田殿の居館であり、中世後半の大和地方における平城の姿を今によく伝えています。屋敷内には、国の重要文化財にしていされた大和棟の美しい主屋をはじめ表門・新座敷・蔵・持仏堂などが残り、中世武士の居館様式を伝えています。屋敷内は見学ができますが、予約が必要です。


・・・時間が停まったような、この不思議な感覚は何だろう。


ど5


石田家住宅

http://www.nara-np.co.jp/graph/gra080127_house.html

戦国武将・松永久秀が造った多聞城の城門を移築している安堵町の石田家住宅は、重要文化財の中家住宅に隣接している。大きな環濠の中に2軒の住宅が並ぶ様子は豪壮で、往時の面影が浮かぶ。多聞城は今の奈良市法蓮町の若草中学の場所にあった。築城術にたけた久秀が、戦国時代の1560(永禄3)年に築城。信貴山城では天守閣を初めて造営した久秀は、ここでは「多聞櫓(たもんやぐら)」と呼ばれる城の石垣の上に築いた長屋形式の建物を考案。防壁と食料や兵器庫を兼ねる城郭の施設として使った。1573(天正元)年に久秀は多聞城を織田信長に差し出し、信貴山城に退いたが、1578(天正5)年に織田、筒井順慶軍に攻められ自決した。豪華だったといわれる城は、織田信長の命を受けた筒井順慶によって壊された。石垣は順慶の城となる郡山城の石垣に利用。門は順慶の親族にあたる在地武士の石田氏に譲られ移築されたと伝えられる。住宅は1600年代に、中氏が石田氏を養子に迎えた際に建てられた。ここ数年は空き家となり荒れ果てていたが、大阪・船場で着物の卸・小売業を営む大成元さんが借りることになり、私費を投じて改修を行っている。現在は全体の約割が仕上がっただけだが、主屋の座敷などは使える状態になり、着物などのギャラリーとして活用を始めた。大成さんの話によると、主屋建物中央部分の土間と田の字状に四間取りの和室が古く、江戸時代のもの。西奥の座敷二間と土間の東側は後から増築や改築されたようだという。和室は各部屋に床が設けられたり、丸窓があるなど茶室の雰囲気を持たせている。離れとして20年ほど前に茶室が建てられてた。裏庭には神社や霊安殿もあり、武家屋敷らしさも。主屋を中心に、各世代がそれぞれ趣向を凝らして改造を試みているようで建築年代は分かりにくい。だが城門は荒れてはいるものの、ちょうちんを掛けたと思われる金具や、外の様子をうかがうための窓などは昔のまま残されている。傷んだ茅ぶき屋根の修理などが早急に必要で、大成さん個人だけでなく、公的な支援が必要だろう。(奈良新聞WEBより


・・・今回の「安堵町」巡りを通して、各地にある「歴史民俗資料館」をもっともっと訪問したいと、あらためて思いました。