・・・安堵町を散策しながら、「安堵町歴史民俗資料館」に向かいます。
★極楽寺「広島大仏(阿弥陀如来坐像)」
639-1061奈良県生駒郡安堵町東安堵1453番地/0743-57-2231
真言宗・紫雲山「極楽寺」は第31代用明天皇の時代、用命2年(587)今から約1400年前に聖徳太子により建立されました46ヶ所の内の寺の1つと伝えられています。その当時はこのお寺の名前を常楽寺と申しまして、ここ安堵の守り神の牛頭天王社(飽波神社)と、共に聖徳太子により建てられました。寺にある高さ約4メートルの阿弥陀如来座像が、戦後、広島市で原爆犠牲者を弔うために原爆ドーム近くの寺に安置され、その後、行方がわからなくなった「広島大仏」とみられることがわかりました。広島の原爆資料館によると、大仏は1950年、別の寺から原爆ドーム近くの「西蓮寺」に移され、人々の心のよりどころになっていたが、1955年に別の寺に移された後、所在が分からなくなっていたということです。現在の田中住職が来たのは約10年前。その際、祖父の知り合いだった古物商から譲り受けたのがこの大仏だった。安堵町を終の住み処にされた仏様は、まさに安堵されているご様子でした。将来にわたり、安堵町が平和で発展し続けるよう、静かに見守って下さることでしょう。
・・・まさかここで「広島大仏」に出会うとは、感動です。
◆「水屋敷天神社」道標
※天津神社(水屋敷天神社)/大道教本部内にあり、御井神が祀られている。「飛鳥川のほとり」、「秋篠川の堤防上」にあったから「水屋敷」なのか、「天理教祖が水のおさずけを戴いた」からなのか。
・・・知らないうちに、大道教敷地内に入りこんでしまっていました。
◆大道教本部
639-1061奈良県生駒郡安堵町大字東安堵1461/0743-57-2006
飯田岩治郎(1858~1907)が創始者。飯田忠雄(第一世管長)、飯田善一(第二世管長)、飯田尚(第三世管長)らによって継承されている。飯田岩次郎は★天理教の本部準役員・平安支教会長であったが、1896年に啓示を受けたとして大道教を開教。1897年に天理教から離れ、1900年に大成教所属の教会となる。戦後★神道大成教から独立。1954年に宗教法人。
◆飽波神社
639-1061奈良県生駒郡安堵町大字東安堵1379/0743-57-5090
聖徳太子の創始と伝えられている。安堵の総社で、祭神は素戔嗚尊。「なもで踊り」は雨乞いをする踊りで、その際使用された絵巻や祭具、楽器を所蔵している。平成7年に約100年ぶりに「なもで踊り」を復活させました。境内には聖徳太子が腰掛けたという伝説の石があります。太子道はこの神社の前から安堵の町を南へ通り抜け、大和川へと向かっています。
※太子腰掛石/太子がここで休んだ時に雀が舞って太子をいやしたことから雀は飽波神社の使いとされているという。
・・・境内はそれほど広くはありませんが、奥行きを感じる神社です。